現在の男子中学生はどうか知らぬが、当時の中学生とくると、甚だ小児的なところがあって登校、下校の途中、他校の中学生とゆきちがうと、それだけで喧嘩をする奴がいたものである。ちょうど二匹の犬が出会うと、すぐ歯をムキ出してウーンと唸るがごときであった。喧嘩の道具には剣道の竹刀の鍔を使ったり、自転車のチェーンをかくしている者もいた。
そういう連中も、道ですれちがう相手が男子中学生ではなく、女子学生だと途端に体をかたくし、ニキビ面を真赤にする。男女交際は禁じられていた時代だから、不良といわれる連中も事、女性に関するとウブなところがあったのだろう。
私は硬派でもなく軟派でもなかった。私はノラクラ者で勉強が甚だしくできないことと、先生にはクラスで一番ビンタを受けているがゆえに硬派からも軟派からも交際を拒まれることはなかった。私は硬派の男が芦屋川の河原で他校の生徒とケットウを行う時、附添人としてついていったことがある。附添人だったから二人が喧嘩している間しゃがんで待っていた。
既に書いたことだが、私たちの近所に甲南女学校(現在の甲南女子大)があって、その生徒がわれらの憬れの的であり、そのなかに佐藤愛子が存在していた。存在していたなどと大袈裟な表現を使うのは、当時の彼女は立てばシャクヤク、すわればボタンとまではいかなくてもタンポポよりはずっと美しかった。くろい、大きな眼でじっと見られると、呼吸がとまりそうになる感じだったが、彼女は我々にそうしてくれたことはない。
「俺のこと、おぼえているか」
後年、彼女が私と同業者になった時、そうたずねると、
「おぼえてへんなア。でも何や、電車のなかでうすぎたなくて、臭いのによう出会うたのおぼえているけど、あれ、あんたやあらへん?」と言った。
私は俺やないでと答えたが、おそらくそれは私だったかもしれぬ。私は当時、入浴一週に一度もせぬことを自慢にしていて、友人からソバプンなどとアダ名をつけられていたからだ。ソバプンとはけだし、そばに寄るとプンとにおうからである。
こんなことを平気で今、書けるようになったのも、おたがい、もう欲のなくなった爺さん、婆さんになったからかもしれぬ。
往年、大きな眼でじっと見ると男の子が身震いをした佐藤愛子も今や媼《おうな》になりつつある。
この稿を書くために、私は彼女に電話をかけたばかりである。(取材費のなんと、かかることよ)
周[#「周」はゴシック体]「なに今、してんネン」
愛[#「愛」はゴシック体]「なにも、してへん。テレビで『ガメラ対ギャオス』という子供映画、見てるねん」
周[#「周」はゴシック体]「あれ、おもしろいわ。亀のおばけの出てくる映画やろ。働かんのか」
愛[#「愛」はゴシック体]「原稿用紙、見るのイヤになってん」
周[#「周」はゴシック体]「年やなあ。ぼくかて、もう駄目や。この頃、溲瓶《しびん》、枕元においてんのや。年で便所が近うなったさかいなア、あんた、まだ溲瓶使うてへんのか」
愛[#「愛」はゴシック体]「まだや。でもあの溲瓶を使う音、ええもんやわ。人生のわびしさがあるわ」
周[#「周」はゴシック体]「君も……年とったなあ」
愛[#「愛」はゴシック体]「何、言うか。あたし、まだ若いつもりやッ」
周[#「周」はゴシック体]「若うないで。若うないで。若い頃の君やったら、司葉子さんや犬養智子さんを狙うた泥棒がイの一番に入った筈や。あの泥棒は美人好みやさかい、彼が避けて通るようになったら、もう年とったことやがな」
愛[#「愛」はゴシック体]「何、言うか。一週間のうち、必ず泥棒を入らしてみせるから」
諸君、賭けよう。彼女の家には絶対に泥棒ははいらない。