六本木から狸穴に向う通りの左側にもう四年ほど前、ドラキュラーという店があった。店のなかは薄暗く、妖気にみちており、あちこちに血まみれの人形や棺桶をおき、不気味な音楽をたえずながし、客がそのなかに入ると言いようのない不安に襲われる雰囲気に作ってあって、コカコーラやビールの小瓶しか飲料として出さない。
このコカコーラかビールを飲んで腰かけていると突然、壁が裂けて、そこから世にも恐ろしい顔をした男があらわれ、客席を歩きまわって皆を縮みあがらせるという趣向で——その後、このエピゴーネンの酒場が新宿、渋谷にできたのだが、造作の豪華さではこのドラキュラーに及ぶものはなかった。
店が出来た時、好奇心に駆られ私は早速、見物に出かけたが、怪物に扮した男が客席を歩きまわると、
「キャー」
「ヤメテエ」
などと女の子たちが恋人にしがみつき、あるいは床にしゃがみこむ様が、たまらなく面白く、自分もできたら見るよりは怪物に扮装したくなって、事務所に頼みにいった。
事務所には若い社長がたまたま、来ておられて、突然のこの話に、
「しかし、かなり重労働ですが、よろしいか」
「大丈夫であります」
「それでは採用しましょう」
ということに相成った。
この若社長は英国の怪奇博物館からこの店のヒントを得られたそうで、ゆくゆくはニューヨーク、ローマにも同じ店を作りたいなどと語っておられた。(実現したか、どうかは知らん)
さて、翌日から私はこの店で怪物の扮装をして歩きまわることになった。
当日、夕刻すぎ、店に行くと私と同じアルバイトの若者四、五人が集まっていて、これらの先輩に教えられ、緋のマントを着用、赤毛のカツラをかぶり、そして奇怪な、イボイボだらけの顔をしたゴム製のお面をかぶったわけである。
幼年時代、夕暮、路のすみにかくれて、遊び終った少女たちが二、三人、つれだって戻るのを見つけ、
「ヒ、ヒ、ヒ」
などとおばけの真似をして彼女たちが腰ぬかすのを楽しんだあの頃と同じ心境のつもりであったが、いざこのお面をかむってみると、これがすごく息苦しく、生ぐさく、しかも暑くて、
「かなりの重労働ですぞ」
と社長の言ったことも成程と思った。
事務所から客席の裏側にまわると、そこにドンデン返しの戸があり、その戸から客席にとびこむのである。
私は仲間に肩を押されて、客席にとびこむや、女の子とその恋人の周りをうろつくと、
「脅してやって下さい」
と恋人の青年がたのむ。私が女の子の肩に手をふれると、ワー、キャーとすさまじい声をあげて恋人にしがみつく。恋人はおかげで嬉しそうにニヤニヤとして感謝、感謝と呟くのだった。
それではあまりに私がサービス一方になるので時々、女の子のお尻なんかにさわってやった。すると、
「エッチ、おばけ」
と怒鳴られた。
三十分もこれを続けるとクタクタで、事務所に戻った時は汗びっしょりだった。顔を洗いながら、我ながらいい年をして馬鹿なことをすると苦笑したが——持って生れた好奇心の虫はどうしようもない。