まず、亭主というのは家庭にあって村八分とまではいかなくても、村四分ぐらいの扱いをうけている。子供たちは女房には何でもかんでも打ちあけて話すのに、オレには何かヨソヨソしいところがある。君はそうひがんでいませんか。
晩飯のあと、家族たち(家族というのは亭主を除いた家の者たちのことをいう)は茶の間でキャッキャッと笑いながらテレビをみている。亭主はそういう時、どうしているか、自分も仲間に入りたいのだが、彼等とキャッキャッと騒ぐのが照れくさく恥ずかしく、しばらくモジモジしているものだ。だが、やがて思いきって茶の間の襖《ふすま》をあける。
笑いが、ピタリとやむよ。みんなが突然、白けた顔をするよ。子供の一人がそっと部屋を出ていくよ。もう一人も勉強しよっと呟《つぶや》きながら逃げていってしまう。こうして君は一人ぼっち。仕方なく君は孤独のまま、くそ面白くもないテレビをぼんやり見つめている。
そんな経験ないですか。ない奴は人生の寂しさ知らん青二才だな。オレとは話すに足りん奴だ。ほかの本でもめくって読め。この本を読むのは人生の哀歓を多少でも噛みしめたお方に限る。
しかし、やがて君もそういう孤独な亭主になるんだ。私もね。若いころ、自分の父親をみて、なんてこの人は孤独なんだろうと思ったものです。晩飯のあと、一人で部屋にとじこもり、自分用のラジオをきいていた彼を見ながら、オレは将来、ああなりたくないと考えたもんだ。
しかし今日、私はね、自分の父親と同じように自分の部屋でトランジスタ・ラジオをきいている。思わず、ああ、これだったのかと感じるんです。
しかし子供ってものは、どうして父親をああ煙ったがるのですかねえ。子供と二人っきりになったことあるか? こちらも何か話しあわなくちゃダメだと思いながら、話題をさがす。向うも気まずそうに調子を合わせている。寂しいね、これは。
失礼しました。思わず取り乱しまして愚痴をこぼしてしまいました。われわれは亭主一般について考えていたのであった。