月の光ほのあかるく枝の間から洩れさすなかに、何やら妙な形の樹木があるわいと思って、ふと眼をやれば、これが人間でしてな。若い男が突ったって両手をひろげ、まるで木の恰好を演じておるのである。
こちらも異様に思い、じっとその男を注目しておると、向うはがっかりしたように、
「何だ、男二人か」
「早く行ってください。獲物が逃げるから」
我輩、この男をはじめどこかの劇団の研究生で、樹木の精霊になる演技でもひそかに研究しておるのかと思ったら、そうではなかった。こいつノゾキ屋と称する手合いで、忍んでくるアベックたちの生態を、じっとのぞき見する連中なのであった。こうして樹の恰好をしておれば、アベックが安心してそばに寄ってくると考えたらしい。
さきほどのCという店にうろつく少女といい、この手合いといい、ろくなことをしよらん。近頃の若いもんは。
「そんな恰好をして木になったつもりかね」
「まア、そういうことです」
「アベックたちは本当に君を樹木だと思うかね」
「アベックだけじゃないよ。犬だってぼくを信じたんだから。いつか犬がね、ここでぼくに片足あげて小便かけようとしたもん」
得意になっとるのである。馬鹿じゃないのか、近頃の若いもんは。
「アベックなぞおらんじゃないか」
「いますぜ。あっち、こっちに。木の上にもいる。ほれ、あそこを見ろよ」
男のそっと指さす方向に眼をやると何と本当で、高い榎の半ばあたり、幹が二本分れるところ、二つの影がうごいておるワ。なにも木にのぼってキスをせんでもええじゃないか。
「あいつ等、ぼくらに覗《のぞ》かれると思うて、木にのぼってやっとるんだ。全く困った奴等だ」
口惜しそうにノゾキ屋は言うが、困った奴とは自分らのことではないか。全くわけがわからんな、この連中は。
馬鹿馬鹿しくなり、A君と更に公衆便所を求めて歩きまわったが、一向に見当らん。
眼が闇になれるにしたがい、右、左の叢《くさむら》におるワ、おるワ。雑草のようにだき合っている連中が。こっちが横を通りすぎても無視した顔しておる。
「A君、みろや。嘆かわしいことだ。濁世だ」
「こっちア、それどころではない。便所はないか。便所は……もう洩りそうだ」
恍惚とした男女、無我夢中の男女、羽化登仙の男女の間をよろめくようにして歩きながら、A君、たまりかねたか、
「ブッ」
放屁《ほうひ》すると、びっくりしたようにムクムクとアベックが体をはなす。
「ブッ」
また一組起きあがる。ブッ、別の組も離れた。
甘いささやき、あつい抱擁の最中に色気のない男が便意にたまりかねて、あっちこっちで放屁してまわるのだから、これは百年の恋もさめよう。同情を禁じえない。
「なに、あの音」
「いやだなア。ぼくらの夢がだいなしだ」
やっと公衆便所を見つけたのが十時半。それよりA君に別れを告げ、夜半、柿生の庵に戻ったのであった。
いやはや、全く暑いな。しかして退屈であるな。