「一たす一は二にして三にあらず。二たす二は四にして六にも七にもあらず。太陽、東より出て、西に沈み、南に落ちることなし。猫はニャンとないてワンと吠えることなく、娘はパンティをはきて猿股を着用することなし。
万事、かくの如く合理主義、科学万能の御世《みよ》にして、満月の夜、お月さまに兎が餅つきしておりますよなどと言えば三歳の童子もせせら笑う近頃なり。杖引きて庵を出ずれど、花鳥風月の楽しみなど味わうべくもなく、眼前を自動車ブーブ、トラック、ガタガタ。一杯の茶をしずかに喫さんと思えど、茶店に愛くるしき娘の盆もつ姿は見当らず、バケツ、洗面器叩きまわしたるようなエレキ・ギターの騒音に仰天せずんばあらず。ああ、息苦しき世なるかな。固くるしき世なるかな」
以上は江戸の三文文士、遠藤|狐狸庵《こりあん》先生の日記の一節を謹写したものであるが、まこと、その文章には心うたれるものがある。再読三読に価するとは、けだし、このような迷文を言うのであろう。よろしく中等学校以上の教科書に採用し、生徒諸君の教材にしたい。
ところで狐狸庵先生と同じようにこの「息苦しき」世のなか、万事が一たす一は二で割りきる安直な合理主義時代に慨嘆する読者もさぞかし多いことであろう。お心持、察するに余りある。
だが待たれよ。絶望するにはまだ早い。夜あけはやがてやってくる。このような世のなかでもカネ、タイコを鳴らして探せば、埋もれたる人材、話せる男、夢みる人間がポツリ、ポツリとかくれているもので、このようなお方にめぐりおうた時こそ、まるで暗い梅雨の雨空にポッカリ小さな青空をみいだしたような悦びを感ずるものである。
たとえばこれから御紹介するトービス星図氏のごときはこの息苦しき世の中で我等にひと息つかせてくれる君子の一人であろう。
正直いって、一年ほど前、トービス星図氏にお会いしたことがあったが、その時は我が量見の狭さから氏を誤解すること甚だしきものがあった。氏を巷間《こうかん》の占師たちと同様に考え、その人柄をみることを忘れておった。今、考えれば、甚だ、顔の赤らむ思いである。
一年後第二回目の面談をして、私は氏を貴重な人だと思うようになった。これは決してからかいや皮肉で言っているのではない。会見後、私は氏に本心から好意と懐かしさとをおぼえたことを告白しておきたい。
諸君がもし、この合理主義支配の世のなかに窒息感をおぼえたならば、渋谷よりバスに乗って、池尻住宅前でおりられるがよい。時刻はできうれば、夕暮の、それもあたりがほの暗くなる頃あいを選ばれるがよい。
バス停留所より徒歩、二分ほど、紫色の夕靄の中にぽっかり青くうるんだ光が丸くかがやいた奇妙な西洋館が浮び上っている。夢幻的なこの西洋館の入口には「トービス星図、天文館、占星《せんせい》学研究所」としるされた表札を見出すことができる。そしてこの時代離れのした洋館の二階に、銀髪のトービス氏は哀しげな顔をして机にむかい、青い地球儀と天体図やコンパスなどがその机におかれている。
この部屋は妙に神秘的である。ストーブの音だけが乾いた音をたて、その音が部屋に入ることを許された者を、更にねむたく更に夢みる心地にする。
氏のそばには二人の美しい秘書がいる。グラビア写真にみられるミス・アメディア嬢と星ユリカ嬢であるが、この二人の女性と氏との奇妙な関係については後ほど書くであろう。
ともあれ、ここでトービス