狐狸庵の友人にこんな男がおりましてな。いつぞや、彼がタクシーに乗っておりましたところ、運ちゃんがラジオの野球中継をかけておる。
巨人と広島との試合でしてな、そうそう前半戦の、まだ広島の景気のよかった頃だ。七回までいったが巨人の敗色濃し。王さんも長島さんもサエない。
「君、道がちがうようだが……」
彼、ふと気がついてみると行き先とは少し違う方向を走っているようなので、
「世田谷上町だよ。こっちだと淡島のほうに行くんじゃないかな」
そう言ったが運ちゃん返事もしない。
「もしもし」
「…………」
「聞えないのかね」
「…………」
「どうしたんだ。気分でも悪いのですか」
「お客さん、すみません。気分が悪いんです。他の車に乗って下さい」
「そりゃいかん。他の車に乗るのは一向かまわんが頭痛ですか。それとも腹でもくだしたのか」
「いや、お客さんが乗ってからね、巨人が負けだした。どうもゲンがわるいな。おりて下さい」
そう言われて降ろされたという。
しかしこういう熱狂的な巨人ファンは多いらしいな。いつだったか新聞にも載っておった。飲屋でアンチ巨人の男がテレビをみながら巨人の悪口を言っていると、
「この野郎」
横にいた別の男から頭をどつかれて、撲り合いになったという。
しかし考えてみると、自分が熱狂できるものを持っとると言うのは悪うないな。巨人が勝った日には一日元気、巨人が敗けた日はゲンナリする人は、なまじ利口ぶって、
「野球など、なにが面白い」
などとつぶやくエセ・インテリにくらべると、はるかに人間味があって、狐狸庵はそういう御仁のほうが好きであるな。文化人と称するインテリやエセ・インテリにくらべると……。
「爺さん、野球知ってんのかい」
あのO青年がまた生意気なことを言いよる。
「知らいでか。むかしベース・ボールが初めてアメリカから輸入された時、キャッチャーをつとめたのは、この狐狸庵よ」
あんた、当時はキャッチャー・ミットなんかなかったからね。素手で受けとめたものよ、素手で。むかし懐かしいな。狐狸庵若かりし頃、隅田川がまだ奇麗で桜がパッと咲いて、二〇三高地という髪ゆった女学生が日傘さして、
「狐狸庵ちゃん、狐狸庵ちゃん」
応援してくれたものであるな。命みじーかあし、恋せよー、おとめエ。
「そんならプロ野球の大洋—巨人戦にいこか、爺さん。巨人の応援席に行って、大洋の応援してやるべい」
「お前は大洋のファンかね」
「そうだ」
「よしなさい」
狐狸庵、首をふって、
「巨人の応援席にはな、関矢文栄ちゅう有名な、おっかない応援団長がいるぞ。そのお人の近くで大洋の応援などすれば、一喝のもとにつまみだされるぞ」
そう忠告したにかかわらず、O青年は無理矢理に狐狸庵を引っぱって、夜の川崎球場とやらに連れていった。
断っておくが、その昔、ベース・ボールの名キャッチャーであった狐狸庵には、どれといってひいき[#「ひいき」に傍点]チームはない。阪神勝とうがよし。中日勝とうがそれ亦よし。淡々として勝敗にこだわらぬ心境である。だから、青々とした芝生にライトが光って、選手たちをみても、
「ほう、やっとるな。純粋にしっかりやりなさいよ。若人たちッ」
そう両者に激励する心境であるから、巨人の応援席で大洋を応援し、周囲をイヤがらせてやろうなどというO青年の心がニガニガしくてならぬのである。
ところが悪いことにその日は今まで最下位の大洋が何の風の吹きまわしか、元気ハツラツ、巨人をかきみだしておる最中であった。巨人さんのピッチャーが渡辺なのにたいし大洋は一線級のスタンカを投入して(もっとも頼みの佐々木が前々日、負傷したせいもあろうが)、その上、近藤(和)がホームランを打った時であるから、
「ヒャー、これはうまい。これは愉快」
よせばよいのにO青年、両手両足ふみならし、あたりかまわず奇声、喚声あげるから、周りにいた巨人ファンの温厚な人々はイヤあな顔をして、とりわけ我々の横にすわっている四人のお嬢さんたちは、
「感じわるい男ね」
「ほんと。ここに来て大洋の応援するなんて。あっちに行けばいいのに」
「人相だってイヤらしいわ。与太者みたい」
そう蔭口つかれているとは知らず、
「ヒャー、また打った、打った。あな嬉し、悦ばし。都の西北、ワセダの森に、白雲なびく、スルガ台、眉ひいでたーる若人が……」
この男にはプロ野球も六大学野球も区別がつかんらしい。
周囲のヒンシュクをかくも買い、本人のみ得意満面ますます大騒ぎしている時、二十貫以上もある巨体にGとかいた野球帽、応援旗をかつぎ、さながらベンケイの再来かと思われる御仁が突如としてのっしのっし[#「のっしのっし」に傍点]あらわれ、
「バカもんッ」
万雷のような声で、大喝一声、
「ここをどこだと思うておる。畏くも、もったいなくも巨人応援席だ」
「ぼ、ぼ、ぼくは、ぐ、ぐう偶然」
「そんなら、向うに行け。行かんか」
子ネズミのように縮みあがったO青年をあわれと思った狐狸庵、ゆっくりと立ちあがり、
「関矢さんではありませぬかな」
挨拶すれば、英雄は英雄を知る、莞爾《かんじ》と笑い、
「おっ、狐狸庵先生ですか」
乃木将軍とステッセル将軍のごとく、たがいに固く固く握手したのであった。
巨人軍応援団長関矢文栄氏は今更紹介する必要もないと思うが、大正十二年新潟県に生る。幼少より巨人の熱烈なファン。川上監督の現役時代、そのホームラン第一号さえ見ておるくらいである。終戦後、復員して上京するや、巨人好きが昂じて読売新聞京橋販売店に入店。現在東京葛飾と直江津に販売店を経営していられる。二十六年二リーグに分裂後、晴れて巨人軍私設応援団長に就任、夫人と二人暮しだが、東京における巨人軍の試合にはすべて駆けつける。地方での試合も暇がゆるす限りできるだけ廻って歩く。それに要する費用はすべて自前であって、巨人軍からもらっているのではないから、心の底から純粋なるファン気質と言うべきであろう。
さて、狐狸庵と握手の終った関矢団長は、ぎっしりとつまった観客席を一睨みするや、
「さア、諸君、巨人軍のために拍手を送りましょう」
折しも試合は巨人の守備、大洋の攻撃、近藤(昭)がバッター・ボックスに入っておるのをみて、高らかに叫ぶ。
関矢「少年野球にかえれッ。同じ背番号の一番でも王さんとは違うッ。ニセモノの一番、坊や、お母さんからその番号、買ってもらったの」
咽喉を幾分つぶしておられると思われるが、ひろい球場によく通る。今まで大洋に押され気味でシメリがちだった三塁側スタンドがこの声によってまるで旱天の慈雨をえた稲穂のように活気をとり戻すから妙だナ。
さっきの女の子「おじさん。素敵、もっと言って!」
関矢「ようし、次は長田《おさだ》か。みなさん。この男は力がつよい。力がつよい男には頭のいい人はいないヨ。野球より喧嘩の好きなひとオー」
野球より喧嘩の好きな人とは言うまでもなく、かつて野次にカッときた長田が観客席に飛びこんだことを言うのであろう。
女の子「うまいわ、おじさん」
関矢「アスプロ、お前はアスフロだ。今日の風呂に入れ」
女の子「ひやひや」
関矢「土井くん。背番号39。さんざん苦労して三振だ。来年は四十歳で停年だよオ」
当意即妙、大洋キャッチャー土井の背番号39をみて、それにひっかけ四十停年とひやかすあたり、並のファンのできることではないな。というのは時々、アッチ、コッチからエピゴーネンとも言うべき二、三のおっさんたちが調子にのって、野次を飛ばしとるが、団長のそれにくらべるとどうも声の通りもわるい。野次の内容もありきたりで一向にサエん。やはり関矢氏ならでは真の巨人軍応援団長はつとまらんと、狐狸庵もすべての観客も思いましたな。
あとでそっと観客席におられた団長夫人にうかがうと、
夫人「はい。別に前からああした言葉は考えておるのではないようです。その場、その場で思いつくのです」
狐狸庵「奥さまも巨人ファンで……?」
夫人「わたくし広島の育ちですから、広島カープのファンでしたけど、主人に圧倒されてしまいまして巨人ファン……に」
狐狸庵「圧倒……なるほど。わかりますな。ところで団長の巨人熱については奥さまはどう考えてござります」
夫人「もう、諦めました。別に悪いことではありませんし、ああして大声をだすのも体によいそうですし」
夫人は試合前の夜には、関矢団長のために紙吹雪をせっせと作られるそうで、それにタオルも二十五本、用意せねばならぬ。試合中団長の巨体が流す汗をぬぐうには五本や十本のタオルでは足りぬからである。酷暑のグラウンドで試合する選手は楽ではなかろうが、それにはそれ相応の報酬がある。しかしこっちの団長はすべて商売やすんでの自家放出だから、全く無償の行為、立派なもんだな。
関矢「さあ、諸君。巨人軍のために拍手を送りましょう」
狐狸庵さきほどより、O青年のことをすっかり忘れておったに気がついて、彼はいずこにと探すと、あれだけ鼻っ柱の強い男もさきほどの団長の一喝以来、すっかり縮みあがり観客席のなかで小さくなっておる。それどころではない。団長の指揮のもと、男女観客が大悦びで拍手をすれば、O青年も仕方なく、一緒になって渋々手を拍っているのが、いかにも憐れで、
狐狸庵「これ、お前は大洋ファンじゃなかったのか。それに、ここでイヤがらせをするつもりではなかったのか」
そうヒヤかすと下をむいて舌打ちしておる。
関矢(大洋ベンチにむかって)「最下位の大洋! 川崎駅前のサイカイ屋がわるいぞ。大洋は来年はノンプロだ。下関代表マルハとなるッ」
狐狸庵(O青年にむかって)「ああまで言われて、口惜しくないかの。猫でもニャアと鳴く。犬でもワンと吠える。大洋のため何とか言ったらどうだ」
O青年(やけのヤンパチになり)「ああ、俺は大洋応援団のためにこの関矢さんを買いたい。三原さんにそう進言しましょウ……」
巨人ファンの中には試合そのものよりも関矢団長の雄姿、その当意即妙の応援名文句をききたさに、球場に行くという人がいるそうだからな。たとえば巨人の敗色がそろそろ濃厚になると、
関矢「さあ、諸君。野球は勝負にこだわらず純粋にプレーをたのしもう。しかし何となく残念だな。何となく」
そう言ってみんなの気をひきたたせておる。
関矢団長、弥次名文句集より、その、二、三を披露すれば、
村山に(球が早すぎる時)「もう少し、いい球をなげろ、王ちゃんが打ちづらいじゃないかッ。王ちゃんに失礼じゃないかッ」
マーシャルに「コマーシャルは邪魔だッ」
スタンカに「スカタン、へんな外人」
しかし何だな。現在のように人間、なにごとも情熱がもてず、何かに夢中になり、そのことのために我を忘れるということのない時、この関矢団長のような人はやはり稀にみる快人物と言うべきであろうな。
たとえば関矢氏にはこういうエピソードがある。近所の「梅の湯」という銭湯で一人の歌手志望の高校生に会い、これに惚れこんだ団長は早速、近くに住む安藤鶴夫氏に頼みコロムビア・レコードに世話してやった。
この高校生が後の舟木一夫で、団長は現在、舟木一夫の後援会の副会長も兼任しておる。