その村に、黄(おう)という漁師がいました。
黄は毎日、川でさかなをとって暮らしていました。
ある日のこと、黄は、ふと思いました。
「この川の水は、どんなところから流れてくるのだろう。よし、見に行こう」
黄は仕事をやめて、川上の方へ舟をこいでいきました。
どこまでも、どこまでも、こいでいきました。
川幅は、だんだんせまくなります。
川底も、だんだん浅くなって、舟はとうとう進めなくなりました。
黄は木に舟をつないで、岸にあがりました。
あがってみて目の前に広がるのは、広い桃の木の林で、花は満開でした。
桃のよい香りが、一面に流れています。
黄が川べりを歩いていくと、とうとう川の始まりのところにつきました。
その先は高い岩山で、岩の間から水がちょろちょろ流れています。
「岩山の向う側も、見て見たいなあ」
さいわい、小さなほら穴があったので、黄は体をかがめて、奥へ奥へと入っていきました。
長い間進んだ黄は、やっと出た向う側を見てびっくり。
目の前には広い野原が広がっていて、畑も湖も森も、そして家もたくさんあります。
黄の姿を見つけた犬が、大きな声でほえました。
その声で、畑にいた人も家にいた人も、黄のまわりに集まりました。
そして一人の老人が、黄の前に進み出て言いました。
「わたしは、ここの村長です。ここは桃源郷(とうげんきょう)といって、普通の人の知らないところです。よく、ここまで来ることが出来ましたな。さあ、お疲れでしょう。わたしの家までおいでください」
黄は、村長のあとについていきました。
村長は、いろいろなごちそうをしてくれました。
「ところで黄さん、この村の出来たわけを話しましょう。むかし中国には、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)という王さまがいた事は知っていますね。わがままで、乱暴で、大勢の人を殺したひどい王さまだったそうです。そのとき殺されそうになった人たちが、こっそりここに逃げてきたのです。その人たちが、この村をつくったのです。それがわたしたちの先祖です。ここには、けんかも争いもありません。みんなが楽しく暮らしている、とても平和な村です。ですから黄さん、あなたがここに来たことは、絶対に誰にも言わないでください。約束してください。お願いです」
「はい。絶対に、誰にも言いません」
黄は村長に、かたい約束をして帰りました。
自分の村に帰った黄は、あの美しい平和な村が忘れられません。
そこで友だちと酒を飲みながら、つい、しゃべってしまったのです。
するとその友だちが、また友だちにしゃべったのです。
こうして桃源郷のうわさは、役人にまで知られてしまいました。
「黄、お前は桃源郷という所に行ったそうだな。おれを、そこに案内しろ!」
しかたなく黄は、役人を舟に乗せて、川をのぼっていきました。
そして、あの美しい桃の林をすぎました。
ところがどうしたことか、どこまで行っても、あのときの岩山もほら穴もありません。
黄と役人は、帰るしかありませんでした。