汉字是“心耳”,读音是“しん”。其意思是心之耳朵。换而言之就是静下心来听到了听不见的东西,是一个非常优美的词。9年前的朝日歌坛上有这样一句诗,“看着病中的母亲,心耳听到了以前的话语”,作者是饭冢哲夫。
この言葉を政治家も好む。ただし漢字の表現は皮肉なもので、「心」と「耳」を横に並べればたちまち「恥」に変貌(へんぼう)する。〈心に耳を押し当てよ/聞くに堪えないことばかり〉。これは漢字を素材にした吉野弘さんの「恥」という短詩だ。
政治家们业喜欢这个词。但是汉字的表达方式却是非常讽刺,将“心”和“耳”并排,就立刻改头换面变成“恥”(廉耻的意思)。“耳字放心边,尽是不堪入耳言”。这是吉野先生的短诗《恥》,其内容基于汉字而来。
さて、こちらは誰かの心耳に聞こえたか、それとも恥ずべき改変か。もみ合いと怒号の中で安保法案が採決された参院特別委の惨状は記憶に新しい。速記録は当初、鴻池(こうのいけ)委員長による可決の宣言を「議場騒然、聴取不能」と記していた。
那么,关于这件事,有谁的心耳听到了吗?还是应该改成“恥”呢?在抗争和怒号声中参议院特别委员会通过安保法案的惨状依旧记忆犹新。当时的快速记录将鸿池委员长宣布通过的情况记载为“议场骚乱,无法听清”。
それが、公表された議事録には委員長の判断で「可決すべきものと決定した」などの文言が追加された。扱いの最終権限があるとはいえ、野党は反発し、市民からも声があがる。公式記録であり、後世の認識を妨げかねないと。
但在公布的议事记录中,却在委员长的观点下面追加了“决定应该通过的”字样。虽说政府有处理的最终权限,但是在野党强烈反对,市民中业出现了不同的声音。因为是公开记录,所以这会妨碍后世的认识。
もう40年も前、ある集まりで「この答弁は国会答弁のようないいかげんな答弁ではありません」とやった大臣がいた。国会軽視だと紛糾したが、ゆゆしき傾向は改まっただろうか。
40多年前,在某场集会上,有大臣说,“这次答辩并不是国会答辩那种随便就能应付的答辩。”事后因为涉嫌轻视国会而发生了纠葛,现在难道这种尊重的倾向已经改变了吗?
紋切り型、はぐらかし、その場しのぎ――誠実を欠く答弁の目立つ先の法案審議だった。強引な採決の後に不都合を隠すかのような議事録問題ときては、もはや何でもへっちゃらか。国会軽視は来るところまで来た感がある。
千篇一律、支支吾吾、敷衍了事。先前的法案审议中的答辩非常缺乏诚意。现在提及强行表决后隐瞒纠葛的记录问题,或许其更是一副满不在乎的样子吧。我感觉轻视国会的声音又将会出现了。