江户时期的川柳集上登载过这样一句谚语,“或爬或站,幼儿学步,一片父母苦”。期待自己子女成长的父母心在任何时代都是一样的。孩子长大,活动范围就会扩大。“站起走路,母亲辛劳”,江户川柳集上还有这样一首诗,想必有很多人认同吧。
よちよち駆ける。親はハラハラ。去年の本紙に「幼児用リード(ひも)」の話が載っていた。歩きはじめた子を親がつないで危険から守るために普及しているという。安心感の一方、「犬みたい」との声もあって、受け止め方は様々らしい。
孩子蹒跚学着步,父母乐呵呵地看着。去年本报曾登载过“幼儿用学步带”的事情。为了让孩子远离危险,越来越多的父母用学步带牵着孩子走路。而另一方面,有人认为“就像牵着狗一样”,每个人都有自己的观点。
子が長じれば、目はいっそう届きにくい。昨今、安心を求めて「居場所追跡サービス」を利用する親が増えているそうだ。持たせた携帯電話のGPS機能を使って、外出中の子がどこにいるかを把握する。
孩子长大,父母就更加难以看护周全了。最近,为了放心,很多父母开始运用“场地追踪服务”。使用孩子手机中安装的GPS功能,就能随时掌握孩子外出时的动向。
ランドセルのまま道草を食ったゆるやかさが懐かしいが、万が一を案じる親心は分かる。だが、やめどきを考えるのも大事らしい。子の成長につれて「見守り」は「監視」へと受け止めが変わりやすい。
背着书包到处闲逛的悠闲真是令人怀念,但在此我也能理解家长担忧的心思。但是,考虑停用的时机也是非常重要的。在孩子的成长过程中,其很容易将“看护”变相认为是“监视”。
さて、卒業と入学の季節。春はそれぞれに親離れ、子離れのときでもある。〈入学の子に見えてゐて遠き母〉福永耕二。小学校の新1年生の心細さであろう。保護者に引かれた手を離して他人の中に入っていく幼子(おさなご)も、試練をくぐって歩んでいく。
现在又到了毕业和入学的季节了。春天也是父母和孩子分离的时节。父母松开握着幼子的手,将其交给别人,也是孩子的一段人生历练。
親御さんには、つい差し伸べたくなる手を、もう片方の手でそっと押さえる覚悟が要るときかもしれない。親子の距離は永遠の難問だが、広がる距離は自立の証しととらえたい。
对于父母而言,或许控制住随时想保护孩子的念头是很有必要的。父母与孩子的距离问题是一个永恒的难题,但拉长的距离也是孩子自立的明证。