明治40年,即109年前的5月,21岁的石川啄木陪着妹妹渡过了津轻海峡。因为故乡发生的动乱而令其饱受白眼,最后他“宛如丧家之犬一般”逃离了故乡,来到北海道寻求一片新的天地。
陸奥(むつ)湾に臨む青森市内の公園に歌の碑が立つ。〈船に酔ひてやさしくなれる/いもうとの眼(め)見ゆ/津軽の海を思へば〉。いまは「こどもの日」の5日に函館の地を踏んだ。北の大地を彩る遅い春が、海峡を越えて北海道に渡る頃である。
临近陆奥湾的青森市内公园立着一块和歌之碑,上面写着“船儿摇晃令人醉,妹妹目光所及,是对津轻海的喜欢。”我曾在今年的“儿童之日”的5号踏上了函馆的土地。迟来的春天装点着北方的大地,现在它正要越过海峡来到北海道。
梅、桃、桜の開花前線は、本州北端で待ち合わせるようにして、5月初めにかけて一斉に海峡を渡っていく。天下の春を集めた函館は、傷心の啄木に美しく映った。つかのまの幸福な日々を、そこで過ごすことになる。
梅花、桃花、樱花的开花前线,仿佛在本州岛的北部集结一般,将在5月初一齐越过海峡。聚集着全天下春日的函馆,就这样映在处于忧伤之中啄木的眼里。他在这里度过了短暂的幸福时光。
その函館へ、待望の新幹線が延びる。〈ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく〉。啄木の歌碑のある上野駅をへて東京から約860キロ。昭和の演歌にうたわれた北への旅は、きょうから4時間2分にまで縮まる。
久盼的新干线延生到了函馆。“乡音令人念,身处拥挤的停车站,耳畔尽是家乡话”。离开立有啄木诗歌之碑的上野车站,大约要走860公里才到东京。昭和演歌中所表现的北上之旅,从今天开始缩短到了4小时2分钟。
ひと足早い「春」ながら、前途の厳しさも聞こえてくる。一番列車こそ25秒で売り切れたが、この先は空席も目立つ。飛行機との競争も多難らしい。赤字がかさんで「冬景色」に沈まぬよう、お願いしたい。
虽然“春天号”快人一步,但也听到了其前路艰辛的论调。虽然首班车的票在25秒内就卖完了,但是眼前空空的座位却有很多。与飞机的竞争也是非常残酷。希望它不要因为赤字而沉没在“冬日的景色”之中。
ビジネスより観光需要に期待する声もある。15年後には札幌まで至る計画という。そこには啄木の〈石狩の都の外の/君が家/林檎(りんご)の花の散りてやあらむ〉という叙情ゆたかな歌碑が立つ。北への憧れをかき立てて、旅情で売る新幹線。それもいい。
有人认为相比商业,人们更期待观光需求。据说有在15年后延伸至札幌的计划。而那里,也有一块刻有啄木诗文的碑,“石狩之都外,有你家,苹果花四散飘落”,诗中蕴含着丰富的感情。这趟以旅游情怀为卖点的新干线勾起了人们对北国的憧憬。这不是挺好的么?