说起已故的科伦卡特,他在美国CBS电视台做了19年的主持人,是一位带有传奇色彩的媒体人。他在节目上表明反对越南战争的态度,对政权带来了很大的影响。他在1981年退休。在当时,在那些有志于成为报社记者的学生心中他的地位非常崇高。
その硬骨漢にして、一度だけ圧力を受け、妥協したことがあった。生前、本紙の取材に語っている。72年、ウォーターゲート事件を報じた番組にニクソン大統領周辺が激怒し、局の首脳部に続報の中止を要求してきたという。
而就是这位硬汉,也曾有一次因为压力而被迫妥协。生前,他在本报的采访中谈过此事。那是72年的事情,因为报道水门事件的节目,让尼克松总统的亲信极度愤怒,要求电视台领导停止后续报道。
ニクソン再選のかかった大統領選の投票日が迫っていた。続報の長さを半分にする妥協案が出された。番組の編集責任者でもあったクロンカイト氏は強く反対したが、意志を貫くことはできなかった。「後悔している」と振り返っている。
攸关尼克松连任的总统选举投票日近在眼前。最后达成了妥协,将后续报道的长度缩减一半。身为节目编辑负责人的科伦卡特虽然表示强烈反对,但最后没能坚持到底。他回顾说,“我很后悔。”
権力の介入に抵抗し、表現の自由を守ることの大切さを改めて思う。放送局に電波停止を命じる可能性に高市総務相が言及したことに対し、「立憲デモクラシーの会」の憲法学者らが発表した見解は説得力に富む。
让我们重新思考下反抗权力的介入,保护表达自由的重要性。针对总务相高市氏谈到的命令电视台停止播报的可能性,“立宪民主主义之会”的宪法学者们发表的观点非常具有说服力。
放送法は確かに政治的な公平性を求めているが、それは局の自主的規律に委ねられるというのが通説だ。特定の政党に属し、政党政治の当事者である総務相が、政治的に公平かどうかを判断するのは本来おかしい。その立場で処分を行うなら、憲法違反との批判は免れない、と。
有关播报的法律明确要求在政治方面的报道要保持公平性,并且将其委托给电视台自主监管也是人们普遍的看法。而属于特定的党派,还是政党政治当事人的总务相判断播报是否有违政治公平,不是件很奇怪的事情吗?如果从这个立场来处罚电视台,那么不免会遭到违反宪法的批判。
政権に批判的な言説などを「偏っている」の一語で指弾する風潮が続く。表現の自由への脅威に抗するのに、テレビも新聞もない。
用“偏袒”一词来指责批判政权的言论,这早已是冰冻三尺,非一日之寒。而无论是电视台还是报纸都对威胁言论自由的言行无动于衷。