刻着冲绳之战牺牲者名字的“和平基石”,树立在冲绳本岛南部的摩文仁地区。对于原冲绳县知事大田昌秀先生而言,这是他当学生兵作战的地方。在他担任知事时,每每为大问题头疼的时候,都会来此,他在书中如此写到。
1995年9月もそうだった。米軍が軍用地を使えるよう、知事が地主の代理で署名する慣行に従うか、拒否するか。「無惨な姿で斃(たお)れていった多くの学友たち」の顔が浮かんだ。署名を拒み、後に国から訴えられた。
19995年9月也是如此。美军为了使用军事基地,例行需要知事以东道国代理的名字签字,是顺从呢?还是拒绝?他眼前浮现出了“很多凄惨死去的学友”的样子。于是,他表示了拒绝,但旋即就被国家起诉了。
それから20年、基地問題で沖縄県はまたも国から訴えられ、敗れた。今度の論点は、普天間飛行場の辺野古移設だった。先月の福岡高裁那覇支部での翁長雄志(おながたけし)知事の言葉にうなずく。「日本の地方自治、民主主義に大きな禍根を残す」。
此后20年,关于基地问题,冲绳县再次被国家起诉,并败诉。这次争论的焦点是普天间机场搬迁至边野古地区。我对上月冲绳知事翁长雄志在福冈县高级法院那霸支部的发言表示认同,他说“这给日本地方自治和民主主义留下了巨大的祸根”。
「抑止力」は他の国に対するよりむしろ、沖縄に向けて働いているかに見える。東村(ひがしそん)高江周辺のヘリパッドの移設工事では、抗議の人びとの頭を越えるように自衛隊機が工事車両を運んだ。県外から機動隊が投入され、取材記者も排除された。
与其说“抑制力”针对的是其他国家,倒不如说是对着冲绳来的。在东村高江周边的直升机停机坪搬迁工地附近,自卫队的飞机越过抗议人群将工程车辆送入工地。来自县外的机动部队被安排在这一地区,连采访的记者也不能入内。
高裁判決は「互譲の精神により多少なりともましな解決策を合意することが……地方自治法の精神から望ましい」と付言はしたが、そうした解決は「困難である」とさじを投げた。辺野古移設を「唯一の解決策」とする国の主張をほぼ認めた。
高等法院的判决的附言称“互谦精神虽然能让双方达成一致,但……希望从地方自治法的精神出发”,如此解决之道只能说是面对“困难”,束手无策。
白か黒かをはっきりさせることで、本土と沖縄の分断がさらに深まっていく。私たちはもう、「多少なりともましな解決策」すら望むことができないのだろうか。
非白即黑,这让本土与冲绳的隔阂进一步加深。而我们是否也已经无法期盼“一丝一毫的解决之道”了呢?