「北満の沃野(よくや)へ」。天皇皇后両陛下がきのう訪ねた長野県の阿智(あち)村には七十数年前、満蒙開拓青少年義勇軍を募るそんなポスターが貼られていた。今年刊行された「プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争」(勉誠出版)を読んで知った。
“出发!向北满的沃野”。昨天,天皇陛下携皇后访问了长野县的阿智村。七十多年前,在那里就张贴着此类招募满蒙开拓青少年义勇军的海报。这些是我在看了今年发行的《政治宣传海报中的日本战争》(勉诚出版)后知道的。
収められたポスターは、終戦までの8年、地元の村長だった原弘平氏が秘蔵した135点。商業デザイン史が専門の田島奈都子(なつこ)・青梅市立美術館学芸員(47)が、1枚ずついきさつを調べた。
其中所收录的135张海报,都是当地村长原弘平在战争结束前8年时间内秘密收藏的。青梅市立美术馆商业设计史研究员田岛奈都子(47岁)曾一一对这些海报的前世今生做乐调查。
数が多いのは戦費調達の呼びかけ。「求めよ国債 銃後の力」「戦線へ弾丸を 支那事変国債」。りりしい兵士や輝く銃剣の絵が訴えかける。
其中很多都是筹措战争经费的宣传。“购买国债!这是枪械背后的力量”;“支那事变国债,购买送往前些的子弹”。此类海报上往往绘有威风凛凛士兵和闪耀的武器。
赤ちゃんの絵に「強く育てよ御国(おくに)の為に」と標語をかぶせたのは厚生省だ。「お父さんお母さんボクも空へやつて下さい」「散つてかひ(甲斐)ある命なりせば」。戦線拡大とともに若者の死が美化されていく。
而厚生劳动省则在画有婴儿的海报上写下此类标语,“为了国家,茁壮成长吧”。“和父母一起在天空中欢乐地起舞吧”;“消散才是生命意义之所在”。伴随着战线的扩大,政府开始逐渐美化年轻人的死亡。
読み進むに従い、当時の村々を覆った「空気」にじわりと囲まれる気がした。これは聖戦、貯蓄もわが子も差し出せと畳みかける国家の号令が耳に響く。テレビもネットもない時代、政府の欲した「一億一心」はかくて醸成されたのだろう。
随着深入地了解,我感觉当时笼罩每个村庄的“氛围”正逐渐将我包围。这是圣战,拿出你的储蓄、送出你的孩子,国家震耳欲聋的嚎叫在我耳畔回响。在那个既没有电视也没有网络的时代,政府所希望的“一亿一心”就是这样达成的。
敗戦直後、当局は追及を恐れ、ポスターを焼くよう関係先に命じた。だが原氏は従わない。自宅の土蔵の梁(はり)の裏に運び隠した。率先して戦争に協力した悔い、満州で長男を失った悲しみもあったという。「平和な時が来たら後世の人に伝えてほしい」という遺言通り、後世の私たちに痛いほどの教訓を与えてくれる。
战后,当局害怕秋后算账立刻命令有关单位烧毁海报。但是,原氏没有服从。他把海报藏进了自家仓库的房梁里。他后悔自己曾率先协助这场战争,为大儿子在满洲离世感到悲伤。“如果和平来临,我希望将这些告知后人”,正如他的遗言,这些海报将惨痛的教训告诉了后世的我们。