这球几乎没有旋转,左摇右晃着落下。这种不规则的轨迹连投手自己都无法预测。“ナックルボール”(蝴蝶球)在日本职业棒球中极少出现,被誉为“魔球”。
大リーグ取材で、のけぞってよけた打者を横目にストライクになった場面を見たことがある。握りが難しく、押し出すような投げ方も独特だ。強靱(きょうじん)な上半身や握力が必要で、日本人には向かないとされてきた。その難球を大リーグ通算51勝の大家友和(おおかともかず)さんは「いや、投げられますよ」という。
在大联盟的报道中,我曾看到投手以此球把击球手打得手足无措,连连获得“好球”的情景。该球的拿球方法非常难学,如同把球推出去的投法也非常独特。强韧的上半身和相当的握力是扔出这球的基础,与日本人的身体素质相克。而以这一险球获得51场大联盟胜利的大家友和先生却说,“不,我要扔出这种球。”
来年3月に41歳となる現役投手だ。取り組んだのは3年前。きっかけは右肩の手術だった。150キロの速球はもう投げられないだろう。「ナックルならプロのマウンドに戻れるかもしれない」。投球全体の8、9割をこの球で勝負するナックルボーラーへの変身が始まった。
明年3月位,这位现役投球手就满41岁了。而他学习这球却是在3年前。起因是右肩的手术。因为这个,他投不了时速150公里的快速球了。“如果扔出蝴蝶球,或许我就能重返职业投球手的位置了。”于是,他开始了向蝴蝶球型投手的转变,在全部投球中有八、九成是以此球取胜。
大家さんの球歴は興味深い。日本のプロでは1勝だけだったが、23歳で米国野球へ飛び込んだ。マイナーリーグとの行き来もあったが、計10年間大リーグで投げた。その後メキシコや韓国、日本の独立リーグも経験した。
大家先生的打球履历也非常曲折。他在日本职业棒球中只获得了1次胜利,23岁的时候去了美国打球。也曾辗转于美国小联盟。合计在大联盟打了10年球。此后,还在墨西哥、韩国和日本的独立联赛打过球。
その歩みはナックルボールのように不規則に見えて、可能性への挑戦という点では一貫している。「プロだから成績を残せなければ失敗といわれるかもしれないが、野球が楽しいと思えれば僕には成功だ」。
其人生经历不就像蝴蝶球的轨迹么,在挑战一切可能上是一脉相承的。“或许因为职业棒球,所以没有成绩就是失败,但我认为只要享受到了棒球的乐趣,就是成功。”
習得したナックルが評価され、米国で来春、オリオールズのマイナーキャンプに参加が認められた。常識に安住せず、回り道を恐れずに進む先に新たな地平は見えるのだろう。
他学会的蝴蝶球获得了人们的肯定。明年春天在美国,他获准参加了金莺队的候补集训。不按常规四处闯荡,不惧歧路奋勇向前,在他前方又出现了新的未来。