当听到“纳霍德卡(nahodka)”时脑子里浮现出的不是俄罗斯的港口,而是福井县一带的海域。20年前的冬天,一艘俄罗斯的老旧破船纳霍德卡号泄漏出的重油污染了日本海的沿岸,受害特别严重的是福井县三国町(现坂井市)海岸。当时,来自全国的志愿者火速赶到了受灾地区。
「しゃもじにゴム手袋、雨ガッパが必須の装備。週末も通いました」。福井市に住む由田昭治(よしだしょうじ)さん(74)、育(いく)さん(73)夫妻はふりかえる。その2年前の阪神・淡路大震災で何もできなかったという悔いがあった。本業の工務店の仕事の合間に重油と格闘した
“勺子、胶皮手套和雨衣是必需的装备,就连周末也不间断”,居住在福井市的由田昭治先生(74岁)和由田育女士(73)夫妻两人如是回忆说。由于在此2年前发生的阪神•淡路大地震期间他们什么忙也没能帮上,心里直后悔。他们利用建筑工程公司本职工作的间隙与重油进行了一场斗争。
ボランティア向けに駅と浜を結ぶ臨時バスを提案。乗車予約をとりまとめ、バス停に朝夕立った。「宿のないボランティアを自宅に泊めた。でも過剰にもてはやすのは変。バランスに悩みました」
他们提出了便利志愿者临时大巴的设置方案,连接城铁车站与海滩。统筹安排乘车预约。一早一晚还停靠公交巴士车站。“而且,还把那些没找到住处的志愿者安排住进自己家里。不过,仅往自己脸上贴金总觉得别扭,如何掌握好这个平衡还真费了点脑筋”
当時の体験談を読むと、ボランティアをめぐるあつれきは少なくない。住民には炊き出しの負担がのしかかる。「支援の人々に気兼ねして漁に出られない」と漁師が嘆く。ある閣僚経験者は磯で15分だけボランティアのまねごとをして住民をげんなりさせた
阅读了当时经历的文章后才知道,围绕着志愿者的纠纷还真不少。给当地居民添加了伙食方面的负担。一些渔民感叹道“考虑到来支援的人们,就不好意思出海打鱼去了”。有一位曾经当过内阁大臣的人在海岸边装模作样地仅干了15分钟的志愿者的工作,激起了当地居民极大的不满。
由田さん夫妻の案内で海を歩いた。「船首が見えたのはあの辺り」「水族館のイルカまで油にやられた」。記憶が次々よみがえる
在由田先生夫妇的引导下,我们沿着海岸走了一段。他们沉浸在对当年的回忆之中,“船头能看到部分已经到了这一快”“甚至连水族馆里的海豚都受到了伤害”
3カ月に及ぶあの人海戦術は、充足感だけでなく災害支援の難しさも私たちに教えてくれた。支援者の善意と自己満足は紙一重であること。支援者と被災者の思いは時に食い違うこと。日本海を見つめながらナホトカ号の教訓を指折り数えた。
长达3个月的那一场人海战术不仅教会了我们满足感,而且还告诉我们支援灾区工作所遇到的重重困难。志愿者的善意和我们自己的满足之间只隔着一张纸。有的时候志愿者和灾民的认知是不同的。眺望着日本海的波涛,掰着手指历数着纳霍特卡号带给我们的一个个经验教训。