我第一听到“読書スランプ”(读书低谷)这个词。我在《书之杂志》三月刊特辑中读到即使是评论家抑或编辑等这些专业的读书人,也有读不进书的时候。据说那时他们只是单纯地眼睛掠过文字,并没有入脑,最后不得不翻回前页。
「同じ分野の本ばかり読んで疲れてしまう」「すごい本に出会って打ちのめされる」など、不調の理由はさまざまである。スランプ時には野球のデータ集や列車の時刻表で気分転換するといった対策も述べられている。
“一直读同一领域的书让人疲惫”、“因读了本很难的书而耗尽了精力”诸如此类令人陷入不佳状态的理由层出不穷。在书中还有人提出在低谷期可以通过阅读棒球资料集和列车时刻表来转换心情。
とはいえスランプに陥るほどの読書家はいまの世の中、少数かもしれない。1日の読書時間が「ゼロ分」の大学生がほぼ5割にのぼることが、全国大学生活協同組合連合会の最近の調査で分かった。平均の読書時間は24・4分で、スマホの平均利用時間161・5分に大きく水をあけられている。
话虽如此,但在现在这个社会,陷入这种低谷的读书人或许已经很少了。根据全国大学生活协助联合会最近所做的调查,超过50%的大学生每天的读书时间是“零分钟”。全国平均的读书时间是24.4分钟,远低于智能手机的平均使用时间161.5分钟。
大学生に限らず、幅広い世代で本を読まない人は増えている。娯楽にふれ、情報を得るのはいまや電子画面が圧倒的に優位なのか。
不仅是大学生,在很多年龄段,不读书的人都正在增加。难道在娱乐和获得信息方面,电子屏幕真的具有压倒性优势吗?
本を読むのはつらいし、内容も忘れてしまう。それでも人は読む。読み取るのは、「無数の人々が体験しその痕跡を言語によってなぞってきた過去」なのだと詩人の管啓次郎(すがけいじろう)さんが書いている。それが未来を切り開く手立てになるのだと。知識は汲(く)んでも汲み尽くせない。『本は読めないものだから心配するな』の書名に勇気づけられる。
读书很痛苦,而且读了什么也会遗忘。即便如此,人还是要读书。诗人管启次郎先生写过这样一段话,人之所以要读书,是因为“过去的无数人的人用文字表达着他们的体验的痕迹”。而这是探索未来的线索。其中的知识可谓是源源不绝。《书不是用来的读的,所以不必担心》,这一书名给了我看书的勇气。
小さな画面に疲れたら、どうもスマホスランプだと暗示をかけてみてはいかがだろう。本の世界が待っている。
如果你对手机小小的画面感到疲惫,那么尝试暗示自己陷入了“手机低谷”如何?书的世界正等着你。