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越南苦难 不能忘记

时间: 2017-03-09    进入日语论坛
核心提示:詩人の錦米次郎(にしきよねじろう)は、太平洋戦争中に日本軍の兵士としてベトナムにいた。「越南は闘う」には軍の飛行場でのあ
(单词翻译:双击或拖选)
詩人の錦米次郎(にしきよねじろう)は、太平洋戦争中に日本軍の兵士としてベトナムにいた。「越南は闘う」には軍の飛行場でのあわただしい作業風景がある。〈痩せた黄牛の群れ/石材運搬の幾台の大八車……きのこのように氾濫(はんらん)するすげ笠〉。
 
诗人锦米次郎在太平洋战争期间曾入伍赴越南参战。他在著作《越南在战斗》中描绘了在军用飞机场忙忙碌碌施工的情景。“瘦弱的黄牛群,几台搬运石材的大板车…..满目皆是如同蘑菇一般的草帽。”
 
日本へと引き揚げるときの気持ちをこう書いた。〈血のようなメコンの夕焼けを/ゴム林のゴムの芽ぶきを/私は永久に記憶する〉。交流のあった女性への淡い思いもつづられている。
 
她如此表述他想回日本时的心情,“湄公河的晚霞如同血一般艳红,橡胶林中的橡胶树冒出了新芽,我永远会记得这些。”书中还记下了对有过交流的女性的淡淡思念之情。
 
中国での戦争を続ける日本軍は、国民党政府への補給ルートを断つため、ベトナムを含む仏領インドシナに進駐した。日本の軍人のなかには終戦後もベトナムに残り、フランスからの独立運動に身を投じる人もいた。
 
持续在中国作战的日本军队为了切断国民政府的补给线,进驻了包括越南在内的法属“印度支那地区”。有些日本军人在战争结束后留在了越南,投身于越南反抗法国争取独立的运动。
 
ベトナム訪問中の天皇、皇后両陛下とおととい対面したグエン・ティ・スアンさんの夫も、残留日本兵だった。フランスとの戦いが終わると、彼らは帰国させられたが、妻子を連れて帰るのは許されなかった。自分を「ハルコ」と呼ぶ彼女は「もう一緒になれないとわかっていたら、絶対についていった」と最近の取材に語っている。
 
前天与正在越南访问的天皇和皇后会面的斯昂女士的丈夫也是当年留下来的日本兵。在与法国的战争结束后,他们被迫回国,但不允许带着妻子一起回去。自称“ハルコ”(春子)的她在最近的采访中说道,“即使知道我无法再和他一起生活,我也要跟着他。”
 
日本軍の駐留時代には大飢饉(ききん)が起き、おびただしい数の人が餓死した。凶作をはじめ原因は複合的だが、日本の求めによる米の強制買い付けなども事態を悪化させたと言われる。ベトナムの人びとの胸に、いまも残る悲劇であろう。
 
在日本军队统治时期,越南发生了大饥荒,很多人饿死了。发生歉收的原因非常复杂,但现在大家普遍认为日本强制征收大米让饥荒进一步恶化。越南人至今还记得那场悲剧。
 
戦争で出会った人たちがいて、引き裂かれた家族がある。忘れてはいけない、見過ごしてはいけない歴史があることを両陛下の旅が教えてくれる。
 
很多人遭遇了战争,很多家庭被迫离散。这一点决不能忘记。两位陛下的这次访问告诉我们有些历史决不能遗忘。
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