评论家犬养道子在小时候,有一段时间住在首相官邸。因为其祖父犬养毅就任首相,所以她跟随父亲一起搬了进去。有时,她用力推开华丽的大门后,发现一群神情严肃的人在说话,原来是正在举行内阁会议。
「おっと。入っちゃいかんぞ」。やさしく、祖父にたなめられた。様々な思い出のある官邸は、やがて悲劇の場となる。1932年の5・15事件である。押し入った将校たちの凶弾に、祖父は倒れた。
“小道道,不要进来哦!”祖父柔声说道。留有各种回忆的官邸,不久成为了悲剧的地狱。1932年发生了5•15事件。冲进府邸的军官们打死了她的祖父。
事件の根本にあるのは、ひとりよがりのナショナリズムだ。勉強して大人になったら、それを日本の国からなくす仕事を一生かかってやろう――。子ども心にそう決めたと自伝にある。クリスチャンになり、国家に翻弄(ほんろう)される難民たちの支援に尽くした。
事件发生的根本原因是自命清高的民族主义。她努力学习长大成人后,为将民族主义从日本消除而奉献了一生……。她在自传中写道,我小时候就下定了决心。她信奉了基督教,努力帮助那些被扯进国家纷争的难民。
難民とは何か。犬養さんは書いている。「いまという時代の抱き持つ、あらゆる面での歪(ゆが)みひずみが、いかなる人間苦を生み出すかを、身をもって示し、無言に語る証人なのである」。
所谓难民是什么?犬养先生如此写道,“由于所谓当下这个时代的冲突,所有的一切都被扭曲,然后通过这些人的经历反映出人类最最激烈的痛苦,他们就是无言的证人。”
ベトナムからのボートピープル、湾岸戦争のクルド難民……。各地に足を運んで、目を背けたくなるような現実を日本に向かって書いた。基金を設け、難民たちの教育に力を入れた。難民に冷たい日本人に対し、ときに厳しい言葉を発しながら。
从越南乘坐小艇逃离的人们,海湾战争时的科威特难民……。她四处奔走,记录下令人不忍卒视的现实传回日本。她设立基金会,为难民的教育竭尽全力。面对那些对难民漠不关心的日本人,她有时也会出言斥责。
犬養さんが96歳で亡くなった。基金で学ぶ機会を得た人たちがいる。その著書に会い、難民支援の仕事に進んだ人たちがいる。背中を押され、背中を追う。未来へとつながる足跡がある。
犬养女士去世了,享年96岁。有人因为基金获得了学习的机会。也有人看了她的书,然后投身于帮助难民的工作。互相鼓舞前行,这些人的足迹通向了未来。