我听过一首名为“东京奥运合唱2020”的歌曲。残疾人奥运会组委会公布说这是为3年后准备的。这究竟是怎么样的一首新歌呢?令我意外的是其竟然是以1964年奥运会上唱响的《东京奥运合唱曲》为基础创作的。半个世纪前的旋律没有任何改动,这真是令人怀念。
歌詞は変わった。「あの日ローマでながめた月」が「リオデジャネイロでながめた月」に。直近の開催地に合わせた。「菊の香りの秋の空」は「入道雲の夏の空」に。季節感も改められた。
但其歌词有了些许改动。“那天在罗马所看到的月亮”改成了“在里约所看到的月亮”。这是为了配合上一届举办地而做的修改。“菊花盛开,花香四溢的金秋天空”改成了“云彩朵朵的盛夏天空”。季节的感觉也做了变动。
元の歌は五輪の前年に作られた。2千もの応募作から島根県職員、宮田隆さんの詞が選ばれた。松江市に住む長男洋(ひろし)さん(69)によると、隆さんは戦時中、中国とフィリピンへ送られた。敗戦翌年末まで捕虜としてマニラ郊外に収容される。戦後は県庁勤めのかたわら、校歌や市町村歌の作詞を数多く手がけ、1982年に亡くなった。
原创的歌词是在奥运举办的前年所作,在2000多篇应募作品中,岛根县公务员宫田隆先生的歌词入选了。据住在松江市的,他的大儿子洋先生(69岁)说,隆先生在战争时期,曾被派往中国和菲律宾。在投降后第二年,以俘虏的身份被关押在马尼拉郊外。战后,他在县政府工作的同时,为很多校歌和市歌、镇歌和村歌填词,最后于1982年去世。
隆さんはよく「国と国は戦争をしても、人と人はわかり合える」と話した。「待ちに待ってた世界の祭り」「すがた形は違っていても いずれおとらぬ若い花」。そんな詞に父の思いを感じるという。
“即便国家和国家之间发生了战争,人与人也要互相理解”,这是隆先生常说的一句话。“等了又等的世界性节日”;“虽然体型不一,但是每个年轻人都非常出色”。他从这些歌词中感受到了父亲的内心。
故古賀政男さんが曲をつけ、競作となるなか、最もヒットしたのが三波春夫さんの歌。シベリアに4年抑留された三波さんは五輪当時41歳。隆さんは50歳。初の五輪を支えたのは、まさに死地をくぐり抜けた世代だったのだと実感する。
已故古贺政男先生谱曲,使其成为一首极具竞争力的歌曲,最后三波春夫先生的演唱使其风靡全国。曾被关在西伯利亚4年的三波先生在奥运会举办时41岁,而隆先生是50岁。我深刻地感受到,支撑起日本主办的第一届奥运会的,正是这些从死地熬过来的人们。
歌詞には新たに5番が加わった。「2020年命の盛り きょうという日はきょうかぎり」。隆さんの哲学を映しだすような一節である。
歌词中的第五段是新加的,“2020年是生命盛大的节日,但今天这个日子只有今天才有”,它充分地反应出了隆先生的哲学观。