上周我旁听了某省厅的会议。当听到“平成41年度之前的10年间,我们要把这项事业……”这句话的时候,我正记着笔记的手不由自主地停了下来。尽管由于天皇陛下的退位,平成这一年号只能延续到30年或31年之前。
官僚たちが知らないわけはない。しかし役所の仕事は西暦でなく、元号を使うのが原則なのだ。あるはずもない「平成40年代」を語るのは、決まりに従うなら、きわめて正しい。そしてややこしい
这一情况官员们不会不知道。但是,政府机关的工作事宜原则上使用年号而不使用公历。竟然说出了本不可能出现的“平成40年代”,虽然按照规定这很正确,可总觉得不伦不类。
この際元号をやめたらどうかという気もしてくる。戦後の論壇を振り返れば、そんな議論はあった。仏文学者の桑原武夫は1975年の論考「元号について」で、世界に通用する西暦を使い、元号は廃止すべしと主張している
我甚至觉得,是否可以考虑停止使用年号呢?回顾战后论坛,曾经发生过类似争论。法国文学家桑原武夫在其1957年的考证论文中主张,应该使用世界通用的公历,并废止年号。
「人間としての天皇の御一生に私たち国民の……あらゆる生活の基準を置くというのは、象徴ということにふさわしいとは申せません」とも書いている。御一生を在位期間とすれば今も通じる意見だろう。そこまでいかなくともせめて公文書は、西暦を主、元号を従としてはどうか
他还撰文道,“把我们国民的……所有生活基准放在一个已被视为普通人的天皇的一生上,这不能说符合象征的精神”。或许他的意思是,如果一生仅指在位期间的话,这还说得通吧。即便做不到这一点,至少在官方文件方面,是否可以施行以公历为主,年号为辅的做法呢?
いやいや元号は、味わいのある時代区分だから大事だとの声もあろう。当方も「昭和の文化を……」などと表現してしまうことがある。しかし考えてみれば同じ昭和でも戦前と戦後は違う。高度経済成長の後も、社会はがらりと変わった
此言差矣,由于年号特指某个划分的时代,因此寓意深远且非常重要,想必还会出现这等呼声吧。笔者也认为,这么做确实可以代表诸如“昭和文化……”等含义。但是,再细想一下,即便同为昭和还有战前与战后之不同。况且经济高度增长之后,整个社会都发生了彻底的变化。
中国から周辺の国々に伝わった元号だが、今や日本だけが使っている。まだまだご活躍願うか、少しずつ荷を下ろしてもらうか。議論の好機であろう。
原本来自中国并逐渐向周边各国扩展的年号,如今只有日本一家还在使用。那么,究竟是希望其继续活跃在我们社会各个方面呢?还是逐渐为它减负呢?看来如今正好是一个就此问题进行争论的大好时机。