▼若是一名有良知的经营者,当他处于破产边缘的时候,首先想到的或许是手下从业人员今后的发展。他们各有各的家庭,以及日常生活。谁都不想陷入失业的忧愁境地。不知道民进党党代表前原诚司先生内心是否也是如此感受。
▼残念だが、この会社に未来はない。おれが話をするから、上り調子の新興企業のあの社長に、みんな拾ってもらえ。いいか、我が社の理念はいったん忘れて、あの方の言うことをよく聞くんだぞ。いい話である。これが政党でなければ
▼我要遗憾地告诉大家,我们这个公司没有未来。要我说你们还是找一家业绩好的新兴企业,让那家公司的董事长收留你们吧。你们听好了,你们要暂时忘掉我们公司的理念,好好听取他的意见。这话并不错,若不是政党的话。
▼忘却を強いられるのはまず、安保法が憲法違反であり廃止すべきだという主張であろう。法の成立を阻止すべく「強行採決反対」のプラカードを掲げた議員の一人ひとりに聞いてみたい。あれは別人だったのですか
▼首先必须忘却的恐怕是安保法违宪,应该废除的主张吧。我要问一问坚决阻止法案成立,高举着“反对强行通过”旗帜的每一个议员,他象是犯了一个人了吗?
▼消費税率を引き上げて社会保障を充実させる政策も、引っ込めざるをえない。改憲への批判をにわかに控えるようになった立候補予定者すらいるそうだ。転職先の社長の考え方を早くも忖度(そんたく)し始めたか
▼提高消费税率以充实社会保障的政策也不得不收回。听说甚至还有些将成为候选人的议员对于修宪的批判急切地采取了适当调控的态度。难道早早地就开始揣度起新公司董事长的心思了吗?
▼「政治家に期待できる最高の美徳はおそらく『偽善』だろう」と書いたのは、評論家の故?加藤周一氏だった。偽善は、少なくとも「善」または「大義名分」に表向きの敬意を示しているのだと。政治に完全な善を望むのは難しいと分かったうえで、ぎりぎりの矜持(きょうじ)を求めたのだろう
▼“可以期待政治家的最高美德,恐怕就是‘伪善’吧”,如是阐述的是已故评论家加藤周一先生。伪善者,至少还具有一点儿表面上心存敬意的“善”,抑或“大义名分”。正因为明明知道期望政治完全的善实在太难,才退而求其次地希望最起码的自负的吧。
▼大義も名分もない解散が投げつけられた。それに引きずられるかのように、理屈をすっ飛ばした再編劇が続いている。せめて偽善がほしい。そう願うのは、ぜいたくなのだろうか。
▼然而,却抛出了一个既无大义又无名分的解散国会。接着就是由它所带来的一整套理由满天飞的重编连续剧。我们只是希望至少还要有一点儿伪善吧,难道这一愿望也很奢侈吗?