編者についても、橘諸兄とする説、大伴家持とする説、橘諸兄と大伴家持であるとする説があります。『万葉集』は全20巻からなりますが、巻々によって編集様式がさまざまであることから、一人の手で集中統一的に編集されたとは考えられていません。しかし、巻第十七から巻第二十までが家持の歌日記のような形になっていることや、巻第十六までにも家持の父・旅人やその周辺の人々の歌が多いことから、最後にまとめあげたのが家持だとするのが有力となっています。
「万葉」の意味については、「万(よろず)の言(こと)の葉」(多くの歌)とするものと、「万代・万世」(多くの時代にわたる)とするものの二説に大別されます。しかし、「葉」を「言葉」の「葉」の意味に用いるようになったのは平安中期以後であるのに対し、「葉」を「代」「世」の意味に用いた例は、上代の文献にしばしば見られ、また中国の用例にもあるため、今では後者の説が定着しています。
『万葉集』に収められている歌は4500余首で、歌われる土地が全国に及び、記名のある作者約480人で、天皇から庶民まであらゆる階層にわたっていることから、和歌の集大成を試みた国家的事業だったと考えられます。
表記は、漢字の音と訓を表音的に用いた、いわゆる万葉仮名でなされています。万葉仮名は、日本が固有の文字を持たなかったために、中国から渡来した漢字を日本語の表記に応用したもので、この表記法によっています。そのため、平安時代にはすでに読解がむずかしくなり、久しく忘れられていたのですが、和歌の復興とともに、勅撰集と考えられて尊ばれるようになったのです。