そして5代将軍になったのは、まだ6歳だった自分の子の頼嗣。この頼嗣も14歳のときに位から追われて、そのあとに6代将軍として迎えられたのは後嵯峨上皇の第一皇子の宗尊親王で、これもまだ11歳の子どもでした。この6代将軍も25歳になると将軍職を追われて、7代将軍になったのは、自分の子の惟康、5歳。
この7代将軍も在位約20年、26歳になったときに辞めさせられて、京都に戻されます。『増鏡』には「将軍が都に流されたということであるが、奇妙な言い方があるものだ」と書かれています。「流される」といえば、ふつうは都から地方に流されるものだからです。
次の8代将軍は14歳で迎えられた後深草上皇の皇子・久明親王で、これも33歳で辞めさせられ、9代将軍がその子、7歳の守邦親王。そして、約25年後には幕府がなくなってしまいました。