ある冬の雪の降る日に、最明寺入道は上州佐野のあたりを歩いていました。日も暮れかかり、行き悩んだ彼は、源左衛門常世という落ちぶれた武士の家に宿を借りることにしました。源左衛門常世の住居は、何ともみすぼらしいあばら家です。
それでも源左衛門常世夫妻は、あたたかく最明寺入道を迎え入れてくれました。その家の主はまことに礼儀正しく、人品も卑しげでありません。そして薪(たきぎ)が足りなくなったとき、大切にしていたらしい鉢植えの木を折って火を燃やし続けたのです。最明寺入道は深く感銘して、この夫妻の名を聞くが、なかなか明かそうとしません。たって聞くと、次のように答えました。
「私は佐野の源左衛門常世といい、かつては相当な身分の武士でしたが、親類どもに所領を横領され、このように落ちぶれてしまいました。しかしこれでも、鎌倉に一大事が起きたときは、破れたりとはいえ、この鎧(よろい)を身につけ、錆びたりとはいえ、この薙刀(なぎなた)を持ち、痩(や)せたりとはいえ、この馬に乗って、第一番に駆けつける心づもりでいます」
と、厳然と言い切りました。最明寺入道は強く心を動かされましたが、何しろお忍びの巡遊ですから、身分を明かすわけにはいきません。厚く礼を述べて、その家を後にしたのでした。
その後まもなく、「鎌倉に一大事」という触れがあり、関八州の武士がみな鎌倉に駆けつけました。源左衛門も、みすぼらしい出で立ちで痩せ馬に乗って駆けつけました。すると、「執権の前に出よ」と言われました。さては腹黒い親類どもが讒言(ざんげん)して、自分が罰されるのかと思って出て行くと、何と、目の前の執権は、この前の雪の晩に自分の家に泊めた托鉢坊主でした。
源左衛門はびっくりしましたが、最明寺入道は、源左衛門の言葉が嘘ではなかったことを大いに喜び、これを全軍の前で賞しました。そして、鉢の木を切って火を焚いてくれたお礼に、新たな領地を増やしてやったのです。