「東北地方のお天気がよくないので、それが心配だね」
沖縄の好天が続いている。そのせいもあって、渡嘉敷島にも連日、観光客がやってくる。
去年は運悪く土、日に台風がきて、島の民宿はさっぱりだった。
今年はよかったね、という気持ちをこめてものをいったら、前述のことばが返ってきた。沖縄の人らしいなと思う。
肝苦《ちむぐ》りさ(胸が痛む)ということばを持つ人はさすがだ。
多くの人々が島に関心を持ってくれるのはうれしいことだ。沖縄の自然を愛してくれる人が増えるのも心強い。そうは思いながら、一方で危惧《きぐ》も広がる。
観光客がくるのだからと海岸道路を新たに作って、その結果、貴重なサンゴを壊してしまったという例は、離島のあちこちにある。
この道路というのが、ひどく曲者《くせもの》なのだ。
いちばんひどいのは林業もない島に、林道を作ることである。ほとんど誰も通らない道だから、これはもう利権がらみの仕事としか思えない。赤土流出の源となって、美しいサンゴの海を壊滅的に、あるいはじょじょに汚していく。
道路のカーブを、ほんの少し緩めるために、大金をつかって(われわれの税金であることはいうまでもない)道路工事をする。
亜熱帯地方は雨が多い。毎年、道路の決壊があちこちで起こるが(その都度、赤土が海へ流れていく)、大半はこういう道路でのものである。その修復に、また税金がつかわれる。やりきれない。怒りを通りこして悲しくなる。
赤土流出の原因はもちろん道路工事だけではないが、道路一つをとってみても、島の環境破壊はきわめて大きいということを知ってほしいために、あえて提示した。
この現象は、人間以外の生物にとって、いのちの抹殺、生態系の分断を意味する。サンゴの悲鳴がきこえてくる。
信じられないことだが、道路を作るのに島民の意志は反映されない。知らぬまに道ができ、壊れ、修理され、また壊れ、ということをくり返しているわけである。そして、どんどん海が汚れていく。離島はみな、この難題を背負っているのだ。
沖縄には多くの米軍基地があるので、振興のために特別の配慮をしようと予算が下りてくる。たいていの日本国民は、それが沖縄のためにつかわれているのだと信じている。
実は、そのうちの多くの金が(くり返すようだが、すべて国民の税金)沖縄の自然を破壊するためにつかわれているのだという事実を、どうか知っておいてもらいたい。
離島の海はまだまだ美しい。だから観光客もくる。島の古老にいわせると、わたしたちには美しく見える海も年々汚れているという。
そうだとすれば沖縄の島々にきて、いい所だ、とばかりはいっておられないではないか。
沖縄のサンゴを守ることに、その生涯を捧《ささ》げ尽くして逝《い》った吉嶺全二《よしみねぜんじ》さんは、つぎのようにいっている。
——「開発」そのものが悪かったのではない。沖縄独特の自然環境を無視した「本土並み」の基準や標準、規格を適用した「開発」のあり方そのものにサンゴの海の壊滅の原因があったのだ。