ジローさんのことを書く。
島(渡嘉敷島)の人から、ジローさんジローさんと呼ばれ慕われていたその人は、島の海人《ウミンチユ》の中でも別格だった。
かたくなに昔ながらのサバニ(南西諸島で使われていた刳舟《くりぶね》)を駆って漁をした。サバニは年季が入って黒光りしていた。
「こいつにはサメの油がいちばんさ」
そうわたしに説明してくれた。
サメの油を、サバニに塗るジローさんの目は、かわいくて仕方ないというふうに我が子を見る親の目といっしょだった。
ジローさんの漁は独特だ。上げ潮どきをねらって、まず、陸の高い所へ登る。
サンゴ礁にのぼる魚群を探すのだが、われわれの目には海はどこも同じで、ただ縹渺《ひようびよう》としているだけである。
ジローさんの恐るべき目が、魚の群れをとらえる。ジローさんがサバニを走らせるのはそれからだ。
単身、海に入り魚の道に網を打つ。引き潮に乗って沖へ帰ろうとする魚を、文字通り一網打尽にするのである。見事なものだった。誰も真似ることはできない。
ジローさんは、ふだんあまりおしゃべりをしない人だ。一日の仕事を終え、夕日を前に泡盛をやるときのジローさんは、これはもう微笑仏そのものであった。
あんなにうまそうに、あんなにしあわせそうに泡盛を飲む人を、わたしはまだ見たことはない。
「センセ。いっぱいやっていきなさい」
わたしはジローさんと落日を眺めながら泡盛を飲むとき、この世の極楽だ、といつも思っていた。
ジローさんはあるとき、わたしにいった。
「わたしはネズミがこそっと動いても、じき、目を覚ましますよ」
はじめ、なんの話をしているのかわからなかった。
「これから死んでいく人の背を後ろから、しっかり支えて銃剣が刺さるようにしました。三人も、そうすると、わたしはダルマさんのように真っ赤になったさ」
わたしは、うつむいた。
ジローさんが、わたしに最初に話してくれた沖縄戦の話だった。世間でいう「集団自決」をくぐってきて、ジローさんの中で戦争は、まだ終わっていなかった。
ジローさんが、なぜ、あんなにいとしげに泡盛を飲むのか、少しわかったような気が、わたしはした。
わたしは夕日の落ちるころ、ひとりサンゴの砂を踏んで、ジローさんに会いにいく。
ジローさんのサバニは、今、白い骨のようになって浜に横たわっている。
もう、サバニにサメの油を塗る人はいない。ジローさんは自分の中に、たくさんの死者を生かして、一日一日をていねいに生きてきたのに、その死はあまりにあっけなかった。心臓発作なのだろう。
わたしが東京で仕事をしているあいだにジローさんは死んだ。
ジローさんの白い骨が、白い砂に朽ちるまで、わたしはジローさんに会いにいく。