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アメリカ嫌い16

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:   神戸は今 この夏、そう日を置かず連続して二度、神戸へ話をしに行った。 一つは兵庫県と兵庫県青少年本部の主催、今井鎮
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    神戸は今
 
 
 この夏、そう日を置かず連続して二度、神戸へ話をしに行った。
 一つは兵庫県と兵庫県青少年本部の主催、今井鎮雄《いまいしずお》さんの司会で、アグネス・チャンさんとトークという形をとって、子ども、若者、そして、それをとりまく家庭や社会、環境の話をした。
 もう一つの方は、神戸の海を埋め立て空港をつくろうとする計画に対し、住民投票で民意を問おうとする友人たちの運動の支援だった。わたしはすべての命が(もちろん人間以外の生命も)みんな仲良くして、楽しく暮らすために何をして、何をしてはならないのかということを沖縄の島の暮らしをもとに話した。
 きわめて複雑な心境のわたしだった。
 わたしは神戸に生まれ、神戸で育った。淡路島での十一年間を入れると優に半世紀を兵庫の地で暮らしたことになる。
 わたしは神戸が好きだった。北の方を見ると六甲山脈が連なり、南の方へ少し歩くと、じき海に出る。
 子どものころ、須磨《すま》、舞子《まいこ》の海で、日がな一日あきもせず潜ってはテンコチやタコを、ヤスで突いた。
 
 同じ海でも港湾では荷役現場で、袋からこぼれる大豆やトウモロコシを拾って歩き、ちゃっかり「財形貯蓄」していた。
 神戸っ子なら誰でも知っている高取山《たかとりさん》や会下山《えげやま》はカブトムシやクワガタ、ブイブイ(かなぶん)がいくらでもいて、それをとりにいくための早起きは少しも苦にならなかった。
 わたしは兵庫駅の裏の長屋で生まれている。一つの井戸を四軒で使っていた。その井戸の上で、米や調味料の貸し借りがおこなわれ、人々は助け合って暮らしていたのだ。
 焼きイモ屋、豆腐屋、うどん屋があり、もちろん魚屋も八百屋もある。
 わざわざ出かけていかなくても、おおかたの用は足りた。
 夜は涼み台に、子ども、老若男女が集ってきて、あれやこれや話に花を咲かせるのだが、これは子どもにとって、もう一つの学校であった。その共同体は、人々が肌を合わさんばかりに寄り添い暮らしていたぬくい町だったのである。
 
 わたしが複雑な心境だと書いたのは、わたしの好きだった神戸の町は、どんどん下町が消えていき、もう町は街と書くしかない企業や商業の街の様相がつよくなってしまったことへの哀しみがあるからだ。
 街が発展して豊かになることに異をさしはさむというのではない。自然を根こそぎにし、それをやれば、もう人間の傲慢《ごうまん》以外のなにものでもないということをいいたいのである。
 開発や発展は、必ず自然の声に耳を傾け、自然と相談ずくで、そうして、ゆっくり進めなくてはならないものだと思う。
 神戸空港計画は、どんなにひいきめにみても、そのような条件は満たされていない。
 トークのはじまる前のあいさつで、貝原《かいはら》兵庫県知事は、自然と人の調和ということを口にされた。人が、もっとも大切に考えなくてはならないことである。
 お立場というものがあろうことはよくわかるが、どうか、そのことばを吟味し尽くす知事さんでいてもらいたい。
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