安曇野《あずみの》を小宮山量平さんと歩いた。山田温泉で楽しい一夜を過ごし、次の日
「ちょっと寄って行きませんかねえ」
と、小宮山さんはいった。
「え? どこへ」
少し展示しているものがあるという。
それは、北斎と栗菓子で有名な小布施《おぶせ》町にあった。上信越自動車道の小布施パーキングエリアからも直接行ける「千曲川《ちくまがわ》ハイウェイミュージアム」がそれで、小宮山量平さんの全仕事の企画展だった。
ちょっと寄って行きませんかはひどいなァ、もっと早くいってくれればいいのに……。
この先達は八十二歳になっても、シャイなのである。
理論社を起こし、思想書の出版を経て、日本の創作児童文学を育てたことは世に広く知られているが、出版界にあって、いつも時代と真摯《しんし》に向き合い、その精神の指標でありつづけた功績は大きい。
八十歳になって書きはじめた自伝的長編小説『千曲川』は、第二十回路傍の石文学賞特別賞を受けた。
展示の冒頭に、——滔々《とうとう》と流れる千曲川の奔流に似た小宮山少年の豊かな精神形成の流れ……とあり、その『千曲川』の原稿が置かれてあった。
小宮山さんのいちばん新しい仕事を大事にしてくれているのがなによりうれしかった。
知友展というコーナーがあり、グルジアの画家ラド・グディアシビリの絵『友愛』、まだ無名に近かったころの手塚治虫の『おれは猿飛だ』の原画、長新太《ちようしんた》の『星の牧場』の表紙絵など、貴重で、めずらしい作品の数々を、わたしははじめて見た。
小宮山さんは出会いという言葉を大切にする。多くの作家を育てたといわれることをひどく嫌い、わたしはただ出会いを大事にしただけなのだと返す。
グディアシビリも手塚治虫も長新太も、小宮山さんにとって、かけがえのない友人なのである。
一九四七年に創刊した『理論』のバックナンバーも展示されてあり、わたしも若い頃、夢中になって読んだ上原専祿《うえはらせんろく》、大熊信行《おおくまのぶゆき》、都留重人《つるしげと》等の名を見てなつかしかった。
生家である古い土蔵の前に立つ小宮山さんの写真を眺めていると
「そこでね、岡田|嘉子《よしこ》も、田中絹代も、山田|五十鈴《いすず》もね、ロケをしたんだ」
と小宮山さんはうれしそうにいう。そんなときの小宮山さんの顔はまるで子どものようで、失礼ないい方だが、とても可愛いのである。
「創作児童文学のあゆみ」という部屋があり、数々の名作の初版本が並べられてあった。
『夜あけ朝あけ』住井すゑ、『キューポラのある街』早船ちよ、『ベロ出しチョンマ』斎藤|隆介《りゆうすけ》、『赤毛のポチ』山中|恒《ひさし》、『ぼんぼん』今江祥智《いまえよしとも》等々である。
『北の国から』倉本|聰《そう》も全巻置かれていて、その壁面の純、蛍《ほたる》役の吉岡秀隆、中嶋朋子の成長の見られるスチールがことのほか微笑ましかった。