わたしの母は五十九歳の若さで亡くなったが父は九十歳まで生き、ほぼ天寿を全うして逝った。四年前のことである。
七人の子を育てるために、いずれも苦労しているのだが、父は、飲む打つ何とかの極道もしっかりやっていたから、子の人気は断然、母の方に傾く。
父もそれなりに悩みや苦しみがあったんやなァ……と思えるようになったのは、つい最近のことだ。
父が亡くなり、遺品を整理していると、みんな仲良く暮らしなさい、という遺書のようなものと、誰々にいくら、誰々にいくらと、年金を細々蓄えて残したらしい金の配分をしるした書き置きが残されていた。
妹たちが声をあげて泣いた。
今の、わたしたち子どもにとって、その金額はわずかなものだが子を思う親の気持ちは大きいということが誰にもわかる。妹たちが泣いたのは、一時憎っくき親だと思っていたすまなさもあったのではないか。
わたしは四十万円を、父からもらった。
どう遣うと親の心が活《い》きるか考えてみた。
賭事《かけごと》が好きだった志を大事にして、この金はばくちに遣おうと競馬にいった。
「どこからそんな考えが出てくるんや」
と呆《あき》れ顔で友がいったが、のこのこついてきたから、そいつに、そんなことをいう資格はもちろんないのである。
めでたく(?)すってんてんになったが、わたしはひそかに一万円札を一枚だけ残しておいた。あの立派な旧紙幣である。
そして、いつもお守りのようにしてそれを持ち歩いていたのだが……。
年を重ねるごとに物忘れがひどくなる。そのために失敗も多くなるのだが、またもややらかした。
講演にいくので電車に乗った。小田急線に乗り換えるため切符を買おうとして、そこで金を持って出るのを忘れたことに気がついた。
不幸なことに地下鉄は、あのカードみたいなやつで改札口を通ったので、道中半ばで、そうなったわけである。
引っ返せば確実に遅れる。聴衆を待たすことになる。
どうしよう。頭が痛くなるほど考えた。そして思いついたのが、いつも持ち歩いていた父の形見である。
(とうちゃん、許せ)
わたしは駅の売店にいった。買いたくもない週刊誌を買うつもりで、そのお札を出したら、これはちょっとォ……といわれた。
押し問答の末、相手の吐いた言葉は
「他所《よそ》の店で」
だった。
わたしは入訳《いりわけ》(事情、いきさつ)をいって頼んだのに、ようやく父の形見が役に立ったのは、何軒目かの、年配の人のところだった。
わたしは、眠っている父を無理やり引っぱり出して、あちこちで父に恥をかかせたような気分になった。涙が、ちょっぴり出た。とうちゃんよ、親不孝者を許せ……。