双子は王子へのご褒美として、商店街まで買いにいった早売りの週刊漫画雑誌を贈呈し
た。王子は酒もそっちのけで、早速読みふけりはじめる。ニコチャンとユキが、そんな王
子を笑いながら見ている。
走はむしゃくしゃして、
「そんなにすごいことですか」
とつぶやいた。びっくりしたような視線が、走に集まる。もうあとには引けず、走は
言った。
「王子さんのタイムは、誇れるようなもんじゃない」
「そりゃまあ、そうだね」
と王子は雑誌から目を離さずにうなずき、
「どういう意味だよ、走」
とジョータが息巻いた。いつもほがらかなジョージも、さすがに語気を強めて走に抗議
した。
「王子さんは、三カ月でものすごくタイムを縮めたんだよ? この調子で行けば、予選会
のころには五千メートルを一瞬で走り抜けられる計算なんだから!」
「そんなわけはないな」
とユキがつっこむ。走は無視して、王子に向き直った。
「わかってるんですか、王子さん。漫画読んでる場合じゃないでしょう」
王子は「まったくだねえ」と聞き流したが、双子が怒って立ちあがった。
「やめろよ、走! おまえ、最近変だ。なんだかこわいよ」
「そうだ。王子さんを責めるのはよせよな。言いたいことがあんなら、俺たち全員に向
かって言えばいいだろ!」
「言ってやるよ!」
走もコップを置いて立った。「いまみたいにチンタラ走ってたって、箱根に行くことな
んかできない! 絶対に! それなのに、なんであんたたちがのんきに酒盛りしてられる
のかが、俺には理解できないね!」
「走、走。きみだって飲んでるじゃないか」
神童が必死に、走の足首をつかんだ。「酔ってるんだよ。ね? とにかく座って」
双子のほうは、ムサが抱えるようにしてなだめている。しかし竹青荘の一年生三人は、
先輩たちの制止を振りきって、取っ組みあいをはじめようとした。
「ちょっと速く走れるからって、えらそうに言うな!」
「おまえが『言え』って言ったから言ったんだ!」
「言っていいことと悪いことがあるだろ! みんなが走みたいにホイホイ走れるわけじゃ
ない!」
「そういうことは、もっと練習してから言えよ! いくら練習しても無駄かもしれないけ
どな!」
「走、それはさすがに言いすぎだ」とニコチャンが腰を浮かせようとし、「いい気になん
なよ、このやろう!」とキングが双子より早く走に飛びかかろうとしたが、はたせなかっ
た。
それまで黙っていた清瀬が、豹ひようのような俊敏さと獰どう猛もうさで走に走り寄っ
て胸ぐらをつかみあげ、
「この、ばかちんが!」
と怒鳴りつけたからだ。
「いいかげんに目を覚ませ! 王子が、みんなが、精一杯努力していることをなぜきみは
認めようとしない! 彼らの真摯な走りを、なぜ否定する! きみよりタイムが遅いから
か。きみの価値基準はスピードだけなのか。だったら走る意味はない。新幹線に乗れ!
飛行機に乗れ! そのほうが速いぞ!」
「ハイジさん……」
清瀬のあまりの剣幕に、走のみならず部屋中の人間が驚いて動きを止めた。
「気づけよ、走。速さを求めるばかりじゃ駄目なんだ。そんなのはむなしい。俺を見れば
わかるだろ? いつか無理がくる……」
清瀬の言葉がふいに途切れた。走のシャツをつかんでいた手から力が抜け、清瀬はふら
ふらとよろめいた。
「ハイジさん!」
走はあわてて、清瀬の体を支えた。「ハイジさん、どうしたんですか!」
清瀬は青ざめ、ぐったりと目を閉じている。
「ちょっと、ハイジさん! しっかり!」
走が をはたいても反応しない。「どうしよう、意識がないですよ!」
「えー!」
部屋のなかはパニックに陥った。ユキがすぐに清瀬の手首を取って脈を見る。
「双子、布団を敷け! だれか、救急車。いや、医者を呼んだほうが早いな。大家さんに
言って、すぐに往診頼め!」
ジョータとジョージは押入から布団を出しながら、「ハイジさん、死んじゃやだー」と
しゃくりあげ、神童とムサは窓から母屋に向かって、「大家さーん! 助けてくださー
い!」と叫び、王子はあわてふためいて一階に水を取りにいき、度を失ったキングはただ
うろうろした。
走はニコチャンとともに、清瀬を布団に横たえた。「そう心配するな」とユキに言われ
ても、走は清瀬の枕元から離れようとしなかった。大家が呼んだ近所のかかりつけ医が来
るまで、走はうつむいて清瀬のそばに座っていた。
診療時間はとっくに過ぎていたが、顔なじみの老内科医は、すぐに駆けつけてきてくれ
た。医者は、布団を取り囲む住人たちをかきわけて清瀬に近づき、まぶたをめくったり聴
診器を押し当てたり掌で熱の有無を確認したりした。そしてみんなを見まわし一言、
「過労」
と言った。「貧血を起こしたようだが、いまは気絶してるというより、寝てる」
「寝てる……んですか」
住人たちはいっせいに、医者から清瀬に視線を移した。たしかに、規則正しい呼吸とと
もに、清瀬の胸が静かに上下している。悪い病気ではなくてよかったが、大騒ぎして医者
を呼んだのはなんだったんだと、気が抜けた。
「睡眠不足で疲れがたまったんだろう」
医者は黒い鞄を探り、手早く注射器の用意をした。「栄養剤を打っておこう。今夜はこ
のまま休ませなさい。なにかあったら、また電話してきていいから。じゃ、お大事に。あ
まり無理をさせちゃいかんよ」
「ありがとうございました」
一同は礼を言い、ユキと神童が玄関まで医者を送っていった。注射針が肌に刺さって
も、双子がタオルケットをかけなおしても、清瀬は眠りつづけていた。
「俺のせいです。俺がハイジさんに心配かけたから……」
走はうなだれ、清瀬の寝顔を見守った。悔しくて情けなかった。六道大の藤岡ですら、
清瀬の体調がよくないのを見抜いていたのに、走はなにも気づけなかった。走りに集中し
すぎるあまり、一緒に暮らしているひとのことすら、目に入らなかったのだ。
布団を挟んで走の向かいに座った王子が、力なく首を振った。