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时间: 2019-03-22    进入日语论坛
核心提示:    2 もちろん日本は、全世界に対して石油救援を求めていた。 まず一月早々に行われた世界石油消費国会議に、備蓄石油の
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 もちろん日本は、全世界に対して石油救援を求めていた。
 まず一月早々に行われた世界石油消費国会議に、備蓄石油の融通を要請した。一九七四年の「国際エネルギー協定」には、非常時における備蓄石油の相互融通の規定があったからだ。だがこれは、本来特定の消費国が、産油国からねらい射ち的禁輸政策によって脅かされるのを防ぐことを主眼としたもので、今回のような全世界的石油不足において、自動的に発動されるものではない。しかも、消費国会議の再三の勧告にもかかわらず、日本が石油備蓄をほとんど増やさなかったことに対する批判も強く、「日本は防衛・技術開発と同じく、石油備蓄でもフリーライダー(ただ乗り客)ではないか」という声が高かったのだ。
 このため、会議では、「保険料を払っていなかった者が保険金を受け取れないのは当り前だ」と日本の要請を皮肉る発言すらあった。しかもこの時点でも、日本の石油消費節減が西欧諸国よりも遅れていたので、「よりきびしく節減している者がよりぜいたくに使っている者を援助する必要があるとは思えない」という意向も強かった。
 日本代表としてこの会議に出席した外務省の春日井梅盛外務審議官と通産省の西松剛石油部長は、苦しい努力を続けた。彼らは、会議の席上ばかりでなく、休憩中のロビーでも、昼食の席でも、また早朝、深夜に他国代表の宿舎に押しかけたりまでして、日本の社会的特殊性と苦しい石油事情を説明し、理解と同情を求めた。
 このことは無駄ではなかった。会議最終日の五日目に、「日本が西欧諸国並以上の消費節減を行い、かつ日本自身の保有する石油備蓄が、平常消費量の四十日分を割った場合には、一日当たり一万キロリットルの原油またはそれ相当の石油製品を融通する」という決定を得ることができた。
 一日一万キロリットルという量は、西欧側からみれば精いっぱいの援助ではあったが、日本にとって、平常消費の一・二%に過ぎない。しかも、前記の条件が満たされたのはやっと二月中頃になってからであり、さらに具体的な供給内容や方法が決まったのは再度西松が訪欧した下旬であった。そのうえ、パイプラインで相互に繋がる西欧諸国間と違い、日本は遠く離れているというハンディを背負っている。西欧からの融通石油の第一便十二万キロリットルが到着するのは、三月下旬になる見込みであった。
 日本政府が、大きな期待をかけたのは、各産油国との二国間交渉だった。これには日本得意の「特使」派遣が行われた。東南アジアへは元首相を長とする一団が、西アフリカへは与党副総裁の一行が、またラテンアメリカへは与党の幹事長と経団連会長を中心とする官民合同の使節団が、そしてソ連には与野党有力者の大集団が、それぞれ総理大臣の親書をたずさえて飛んだ。
 一月から二月上旬にかけて、これらの使節は次々と出発した。
 産油国の首脳たちは機嫌よく日本の特使を迎え、カメラに収まり、晩餐を共にし、友好と相互理解を謳う共同声明を読み上げてはくれたが、具体的な石油供給の点になると、「民間ベースの取引拡大に努力する」というに留まる場合が多かった。民間ベースの競争入札によるのが、最も高く石油を売る方法だ、と考えられていたからだ。
 彼らは、日本側が示した巨額の経済援助にも、さほどの興味を見せなかった。世界は一九七三年の石油危機の際、日本が多額の経済協力を約束しながら、危機解消後その多くを反古にしたことを忘れてはいなかった。またいくつかの国では、軍事援助において日本が全く無力だったことも重大な障害になった。そして、何よりも、日本の経済力自体の急激な崩壊が、各国の首脳に対して、日本の将来に対する不安を感じさせていた。
 期待されたソ連でも、結果はさほど変わらなかった。東欧圏などを抱えているうえ、油田が西方に片寄っているため輸送上の隘路もあったからだ。
 次々に帰国する特使団は、それぞれその成果を誇示する演説をぶったり、首相官邸や国会で報告会を開いたりした。マスコミもまた、これを唯一の明るいニュースとして大きく取り上げた。だが、これらの成果を全部集めても、まだ一日四万キロリットルにも達しなかった。
 三月はじめ、さらに二つの使節団が、石油を求めて出発する。
 二日出発の訪中使節団は、派手だった。海津経済企画庁長官を団長に、与野党の国会議員、革新知事、産業界の代表、それに労働組合の幹部、文化人、主婦の代表までを加え、総勢五十名近い大部隊になった。
 小宮幸治が、出来上がったばかりの最新資料集を、随行の西松部長に手渡すため、外務省前庭の壮行会場に到着した時には、もう見送りの人びとの群れが前庭をはみ出し、路上にまで広がっていた。その群衆の頭上に、ボリューム一杯のマイクを通じて、使節団員の演説が浴びせられていた。
「私は、今回の石油救援の要請は、一部大企業のためではなく、われわれ日本勤労階級の、日本人民すべての、心からの願いであるということを、親愛なる中国人民に訴えてまいります」
 演台代わりの小型トラックの荷台の上で、小肥りの中年男が、片手を上げて叫んでいた。群衆の間から拍手が起こり、官庁街のビルに当たって虚ろに反響した。
 中年男が荷台から降りると、初老の肥満した女性がハシゴにしがみついた。小型トラックの背後に並んだ使節団の人びとの一番端に、大柄な身体を隠すようにして、黒いオーバーにくるまった西松の姿があった。
「どうもありがとう」
 西松の大きな顔は黒ずみ、身体もかなり痩せたことがオーバーの外からでもわかった。一月以来、ヨーロッパ、東南アジア、アフリカ、そしてソ連から再度のヨーロッパ行きと、旅を続け、折衝を重ねてきた疲労は、この五十男に相当こたえているのだろう。
「私たち日本の主婦が、毎日毎日、石油不足でどんなに苦しんでいるか、それを中国の婦人の一人一人に聞いてもらいたいのです」
 トラックに上がった女が、声を張り上げた。
「私たちはぜいたくをしたいのではありません。ただその日その日を、平和につつましく暮したいだけなのです。夫を安全に職場に送り出し、子供たちを健康に育てたいだけなのです。この主婦としての、母親としての願いだけを許して欲しい、私はそう訴えたいのです」
 肥った女は、何度も同じことを繰り返し、そのたびに乾いた拍手の音が、曇り空に広がった。
「中国の一人当たり石油消費は日本の三十分の一かね」
 受け取った資料綴りを眺めていた西松が、つぶやいた。
「いやあ、西松君、遅くなって済まなかった」
 そういいながら黒沢長官が姿を現した。自宅の火事と娘の焼死の跡始末で長官は多忙だったのだ。
「ほんとうにご苦労だな。日本に居るのより飛行機に乗ってる時間の方が長いんじゃないかね」
 黒沢は、努めて陽気さを装っていた。
「いえ、長官こそ大変な時にわざわざ……」
 西松は大柄な身体をすぼめるようにして頭を下げた。
「お互い苦労は多いが……」
 黒沢は小さな目をしばたたいてつぶやいた。
「辛苦ニ遭遇スルハ一経ニハジマル、というからな」
「なるほど、文天祥ですね」
 西松はうなずいていった。
「中国ではそのつもりでやりますよ」
 ようやく代表団の人びとは空港に向かうバスに乗り込みはじめていた。
 
 黒沢修二と小宮幸治が、訪中石油使節団壮行会から役所に戻ると、意外な男がエネルギー庁長官室に来ていた。鴻森芳次郎である。
 仕立てのいい背広にシックなネクタイを形よく結んだ芳次郎の日焼けした顔は前よりも一層若々しかった。
「二月はじめからインド洋と南太平洋の方を回っとりました。こない真黒気になってしもうて」
 小宮は、驚いた。小なりといえども一つの企業集団の責任者が、この時期に南の島々を歩き回っていた呑気さに、である。
「去年の秋にもその方面に行っておられたんでしょう」
 小宮は訊ねた。
「まあ、ちょっとね。そらええとこでっせ」
 芳次郎は、曖昧に答えた。
 芳次郎の用件は、東京にある自分のマンションが全く使われずにあるから、当分の間黒沢に入ってほしいという申し出であった。
「ほったらかしになってますんやから、使うてもらえたらありがたいんですわ。場所も四谷でっさかい」
 芳次郎は世慣れた口調でいった。
「それはありがたいお話ですが……」
 黒沢はちょっと考えていた。
「いやそれでどうなんてことは考えてません。ここ五年間うちの会社は、通産省から一銭の補助金も注文もいただいとりまへんよって、その点もご心配ないと思いますわ」
 芳次郎はていねいに付け加えた。
「そうですか。ご好意に甘えさせて頂きましょうか。実は娘の遺体を引き取るところがなくて困っていたんです」
 黒沢はため息をついた。
「そうですか、使うてもらえますか」
 芳次郎はホッとしたような表情を見せ、鍵と地図を黒沢に手渡した。
 そのあと、黒沢は、石油危機の深刻さを話し、日本の対策が常に後手に回ったことを、反省をこめて語った。
「こないなるともう泥道歩いてるようなもんですからなあ」
 芳次郎は妙なたとえを持ち出した。
「はじめは靴を濡らすまいと気い付けて歩いてても、結局はびしょびしょになってしまうよって、はじめに思い切って気い遣わんとさっさと行った方が楽なんですわ。そやよって、まあ一時は抵抗あっても、思い切って石油を使わさん方がええんと違うんですかなあ」
 確かにこれも一つの正論であり、政府部内にもこうした意見は生まれつつあった。だが、いまの日本で、どうすれば石油を使わない体制が出来るかが誰にもわからない。この点については鴻森芳次郎も、
「そら社会組織と地域構造の問題でしょ」
 と、抽象的に答えるだけだった。そして最後に、
「まあしかし現実問題としてやれることというたら、いまのうちにいくらかでも石油を隠しとくことでんなあ」
 と、冗談のようにいって、立ち上がった。
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