「おれ、アンナのことがわからなくなっちゃったんだ。ヒロコ、どう思う?」
最近、親友のヒロコの口から意外な事実を聞かされた。
私が彼と同棲(どうせい)をはじめたあとのこと、突然、私の父から彼女のところに、そんな電話があったという。いくらかお酒が入っていたようだけど。
「どう思うって、私に聞かれたって困りますよ」
「どうしたらいいか、わからないんだ。なにかヒントでもないかな……」
話しているうちに、父は泣き出してしまったという。
それほど私のことを……でも、こんなの、少しも父らしくない。父をそんなふうにしちゃったのは、私のせいなんだ。
あるとき、こんなことがあった。
「アンナ、今日は一緒に晩ごはんを食べにいこう」
「うん、パパ、わかった」
朝、そういう約束をして出かけたのに、途中で別の用事が入ってしまったので、父に食事に行けなくなったと電話を入れた。そのときは少し怒(おこ)っていたようだけど、
「そうか、わかった。で、お土産(みやげ)はなにがいい」
「じゃあ、お寿司(すし)をお願い」
夕方、帰宅したときには、両親はまだ外出から帰っていなかった。しばらく待っていたけど、おなかがすいてがまんできなくなったので、冷蔵庫にあるもので適当にすませてしまった。父にお寿司を予約していたことを忘れたわけではなかったけど。
両親が帰宅したとき、私はテレビを見ながらくつろいでいた。
「ほら、買ってきてやったぞ。おなかすいただろう」
「さっき食べちゃったからいい。だって、あんまりおなかがすいちゃったんだもん」
寝っころがったまま、ほとんど見向きもしなかった。その直後、顔のあたりになにかが猛烈(もうれつ)な勢いで飛んできて、床(ゆか)の上ではじけた。見れば、なんとトロ。バラバラになったシャリも。次はウニ、エビ、アナゴ……次々にお寿司が飛んでくるではないか。
あわてて飛び起きたら、真っ赤に怒った父の顔。
「ばかやろう。人に頼(たの)んでおいて、その態度はなんだ!」
お寿司を折りから一つずつつかみ出しては、私に向かってぶつけていたのだ。まさに“仁義(じんぎ)なき戦い”。すっかり震(ふる)えあがってしまった。
やっぱ、うちのパパはこうでなくちゃあ。
もう一つ、これは母から聞いたことだけれど、私が彼との別れを決意し、父に「帰っても、うちに私の部屋はないよね」とさぐりを入れたとき、私には「おまえの部屋なんかない」と言ったけど、父親の勘(かん)とでもいうか、これはいつもと違うと感じたらしくて、その電話の二日ぐらいあと、母にこう言ったという。
「おい、ママの服、すぐに全部捨てろ」
改造して母の衣装(いしよう)部屋になっていた私の部屋を、もとに戻(もど)せというわけ。
オヤジの直感って、すごいなあ。
私の持ち物も、出ていったときよりずっと多くなっていたから、またもとの部屋に戻るのは、自分でも無理だと思っていた。そのときは、荷物はどこかに預(あず)けるとして、次の部屋が見つかるまで、一ヵ月ほどいさせてもらえたらありがたいのにな、という気持ちだった。
だから、その話を聞いたときには、すごく感動し、感激した。私のことを、そんなに心配してくれていたなんて。それにひきかえ、私はなんて親不孝だったんだろう。
母の「いやよ!」の一言で、その話は消えちゃったそうだけど。母のほうも“仁義なき戦い”。
家を離れていた七年間は、親もとから自立しているようで、実際はべったりだったのではないかと思う。離れていたのは身体(からだ)だけ。自分の耳はふさいだまま、親に泣きごとばかりぶつけていたのだから。それを突っぱねるようで、本当はちゃんと受けとめてくれていたんだ。
私は、これまで生きてきた中で、いまほど両親の話を素直(すなお)な気持ちで聞けるときはなかった。少し遠まわりはしたけど、いまこそ、本当の意味での自立のときを迎(むか)えているような気がする。
去年のクリスマスの日、両親からクリスマスカードが届いた。
「アンナへ
一番の親孝行は、おまえがいつも笑っていることです。
パパとママより」