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黒い扇27

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:墓 地東京のはずれにあるT墓地の入口で八千代がタクシーを下りると横に止まっていたジャガーの二四サルーンが軽く警笛を鳴らし
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墓 地

東京のはずれにあるT墓地の入口で八千代がタクシーを下りると横に止まっていたジャガーの二四サルーンが軽く警笛を鳴らして彼女の注意をうながした。
「ヒロシ、早かったのね」
「一人かい。八千代ちゃん」
能条寛は車から下り立ってドアを閉めた。
「まだ誰《だれ》も来ていないのね」
腕時計を見た。集合時刻にはまだ三十分もある。
「私、早すぎちゃったらしいわ」
「僕も撮影が早く終わっちまったんでね」
二人は秋の陽にまぶしげな瞳《ひとみ》を向け、苦笑した。墓地の中はひっそりとしてあまり人影もない。
「少し散歩しようか。いいお天気だ」
寛がうながして、二人は広大な墓地の中をゆっくり歩き出した。銀杏《いちよう》がしきりと散っている。秋の終わりの武蔵野《むさしの》の感じがする。
「早かったわ。この一か月……」
八千代が呟《つぶや》いた。久子が舞台で自殺し、古代住居|趾《あと》が炎上してから一か月近い日が過ぎていた。
古代住居趾の焼跡から出た三つの死体は鑑別の結果、茜ますみ、高山五郎、それに三浦呂舟であることが判明した。三浦呂舟のアパートの部屋からは彼の遺書も出た。
「ねえ、寛、今度の事件は一体どういうことなの。詳しいことは殆《ほと》んど発表されなかったでしょう。私、随分わからない事があるわ。寛は結城の伯父《おじ》様にずっとついていたから話の内容も知っている筈《はず》ね」
「一応のことは見当がついたのだよ。しかし何分にも三浦さん父娘《おやこ》が死んでしまっている。死人に口なしで、結局、残された遺書と久子さんの日記と、僕らの調べた結果とを合計した推定ということになってしまったがね」
「久子さんの日記というのは詳しく書いてあるの、事件について……」
「まあね」
「話してよ。一人でもったいぶっているなんて……」
八千代は墓地の中の芝生へ坐《すわ》った。日だまりであたたかい。寛も並んだ。
「動機は茜ますみへの復讐《ふくしゆう》だ。地位も名誉も家庭も捨てて愛した女にそむかれた中年男の気持ちというのは凄《すさま》じいとわかる。三浦氏の復讐が二十年前、つまりますみに去られた時すぐに行われなかったのは、戦争のせいなんだ。彼は応召し、心を残しながら南方へ行った。死線を何度も彷徨《ほうこう》しながら彼はますみへの怨《うら》み、憎しみの念をとぎすまし、彼女へ報復する日までは鬼となっても生きようと思いつめていたのだそうだ。終戦、長い抑留、そして帰国した三浦氏を待っていたのは娘の田鶴子さん一人、奥さんは戦争中になくなっていた」
「お気の毒に……」
八千代は眉《まゆ》をよせた。
「そうすると久子さんはお父さんの復讐の手助けをさせられたのね」
酷《ひど》い親だと八千代は言った。自分勝手な愛憎の葛藤《かつとう》に罪もない娘を巻き込むなぞ——。
「そうじゃないんだ。久子さんの日記によると彼女は進んで復讐《ふくしゆう》に加わった。むしろ、気の弱くなった父親をはげましてさえいる」
「まさか……」
「そうなんだ。彼女の気持ちとしてはね。彼女の母親になりかわったつもりなんだ。彼女の母親、三浦氏の奥さんは死ぬ時まで自分を捨てた夫よりも、夫を奪った茜ますみを憎悪し続けた。あの女さえ居なければ、あの女が夫の心を欺《だま》してという気持ちなんだな。考えてみると矛盾《むじゆん》しているけど、日本の奥さんってそういう所があるらしいね。そむいた男よりもそむかせた女が憎いという奴《やつ》、男には甚だ都合のいい女心というべきだけど……」
「よけいな事いってないで本筋を話しなさいよ。久子さんはお父さんを怨《うら》まずに茜ますみ先生を憎んだというの」
「父親にはあわれみを感じていたらしいよ。父親も又、女に去られた男だという意味でね。同時に彼女は日記の中で自分の気持ちをこう言っている。自分の両親の一生をめちゃめちゃにし、みじめな現在の父親をみるにつけ、そうした女への復讐《ふくしゆう》が一種の生甲斐《いきがい》に思えた。それが出来るのはもう自分をおいて他にないのだとね」
「怖しいけど、わかるような気もするわ」
「久子さんは素姓をかくして茜ますみの家へ内弟子に住み込んだ。まず仇《かたき》のふところへとび込んでチャンスをねらったんだね」
「よく気がつかれなかったわね。ますみ先生にしたって海東先生にしたって三浦先生とは昔なじみでしょう。お嬢さんの久子さんと逢《あ》ったことだってある筈《はず》じゃない」
「幸いと言っては可笑《おか》しいけど、ますみや海東氏が三浦家へ入り込んだ頃《ころ》、久子さんはお母さんと一緒に実家へ帰っていたんだよ。だから殆《ほと》んど顔を合わせていない。おまけに女の子が娘になる時期の二十年間の空白は、見違えるような変化があるものだ。殊に久子さんのような平凡な顔立ちは記憶に残りにくいしね。加えて若い時からの苦労が彼女を年よりも老けてみせる。まあ、結果的に彼女が三浦氏の娘だということに気づいたものは一人もいなかったわけだ」
寛は煙草を取り出した。八千代がハンドバッグからマッチを探す。
「茜ますみの家へ住み込んで、久子さんとその父親とが考えた報復の手段というのは、彼女を孤独にすることだ。彼女の周囲の彼女に必要な男たち、それは同時に三浦氏にとっては旧怨《きゆうえん》のある連中ばかりなのだが、その彼らを葬り去ることで彼女を孤立させ、精神的苦悩を与えるというのだよ」
「その第一が海東先生だったのね」
八千代はほっと息をついた。
「彼に対する怨《うら》みは深い。なにしろコキュにされた当の相手だからね」
復讐《ふくしゆう》とは言っても人間一人を殺す決心はなま易しい事ではない。殊に内弟子に住み込んで復讐にかかるまでにかなりな年月を置いたのは一つにはあやしまれない為、忠実な内弟子として茜ますみの信頼を集めてからのほうが仕事がやりやすいという計算の上であった。せいては事を仕損じる、京都育ちのねばり強さで久子は慎重に時をねらった。
「もう一つにはねえ、久子さんはだんだん踊りに欲が出たんだよ。茜ますみが先代の家元茜よしみを蹴落《けおと》して家元の脚光を浴びたいきさつを彼女は知った。自分も同様に仇《かたき》のますみを抹殺し、その後釜《あとがま》にすわりたい野望が彼女の中に育って来たんだ。あくまでも犯行を悟られないように復讐《ふくしゆう》を遂げなければ、目的は達しても栄光の座は得られない。彼女が細川君兄妹を殺した動機はそれなんだ」
「待って寛、一つずつ片付けましょうよ。修善寺ではどうやって海東先生を殺したの」
「えらくせっかちなんだなあ、大体の見当はついてるんだろう」
もったいぶって笑いながら寛は言った。
「海東はギリシャ風呂《ぶろ》で殺されたんじゃないんだよ」
「やっぱり、はなれの……」
「そう」
復讐第一号の現場を修善寺にえらんだ久子は前もって父親の三浦呂舟と連絡を取り、同じ笹屋旅館のはなれに泊まらせた。笹屋旅館の構造は春にも慰安会で来ていて、その時は茜ますみをはじめ幹部は離れに部屋を取った。
「つまり久子さんは笹屋旅館のギリシャ風呂を中心にした本館と離れの別館との構造を熟知していて犯行を計画したんだよ」
「でも、どうして久子さんは離れへ海東先生を誘い出すことが出来たのかしら」
八千代は当然の疑問を口にした。
「それはね。あんまり言いたくないことなんだが、久子さんは海東と出来てたんだよ」
寛は眉《まゆ》をしかめて言った。
「まさか……」
「彼女は年中、茜ますみの代理をつとめている。海東と接触するチャンスも多かった。一昨年の芸術祭番組で海東と茜ますみが組んで仕事をした時があったろう。あの折、仕事のため二人は熱海の旅館へこもっていた。その間に一日ますみがパトロンの岩谷のゴルフのお供で伊豆の川奈《かわな》へ出かけたらしいんだ。前からの約束だったんだろう。その留守は久子さんと海東と二人きりだった」
寛は結城慎作と二人で見た久子の部厚い日記の細かな文字を想い出した。自分の行動、気持ちを文字にあからさまに暴露しておくことで久子は女特有の自虐を企てたのだろうか。
「海東には恋人が他の男と逢《あ》っているというむしゃくしゃもあったろう。久子さんにも彼をそうしむける気があったんじゃないか」
そんな仲になってからも久子は茜ますみに自分と海東との関係をひたかくしにした。それはむしろ海東にとって好都合だったし、久子の内心を知らぬ海東は彼女をいじらしくさえ感じていたようだ。
「わかっただろう。久子さんが来てくれと言えば海東が容易に離れへ行ったわけだ」
茜ますみが床についてから海東はギリシャ風呂《ぶろ》へ行くといって部屋を出た。ギリシャ風呂へ下りて風呂へ入らずに廊下伝いに離れへ行く。
「久子さんはおそらく離れの楓《かえで》の間があいているからとでも言って海東との逢い引きの場所に指定したのだろう。楓の間の客は勿論《もちろん》、三浦呂舟だ。彼は隣の離れのマージャンに誘われたのを幸いそちらへ行っている。久子さんは八千代ちゃんや染ちゃんの眠っている中に部屋を脱け出し、楓の間で海東を待った。海東はそこで睡眠薬入りのビールを飲まされ、朦朧《もうろう》状態の中に裸にされ離れの風呂へ入れられた。風呂には前もって温泉を止め冷水を満たしておいたのさ。アルコールをすごした上に心臓の弱い海東は一たまりもない」
寛の言葉に八千代は息をのんだ。寒夜、男の裸体を風呂桶《ふろおけ》へ沈める女の姿を連想して身ぶるいした。
「心臓|麻痺《まひ》で死亡した海東を離れの庭伝いに運び、ギリシャ風呂の高窓から内部へ入れる。遅い時刻だと風呂にも人はいない。この操作には勿論《もちろん》、三浦氏も手伝ったろう。久子さんは何くわぬ顔で部屋へ戻り、三浦氏は海東の着衣を持ってギリシャ風呂へ行き、そこで死体を発見という段取りをつけたんだ」
八千代は寛と行った笹屋旅館の庭を瞼《まぶた》に浮かべた。あの朝、寛はギリシャ風呂の高窓から庭へ脱け出してみせて八千代を驚かせたものだ。
「じゃ、脱衣籠《かご》にあった黒い扇は久子さんがどさくさまぎれにおいたのね」
「そうさ。復讐《ふくしゆう》第一号のしるしだろう。女の考えそうなこけおどしだね」
「三浦さんが結城の伯父《おじ》様の住所を使ったのは、修善寺にくる途中、伯父様と逢《あ》って名刺をもらい、その住所を記憶していたので、とっさに宿帳に書いてしまったのでしょう」
「その通りさ。もっともそれが結城の小父《おじ》様にとっては一つの手がかりとなったわけさ」
「例の眼鏡《めがね》ね。あれは変装用?」
「万が一、茜ますみと顔を合わせる場合の要心のためだ」
「伯父様ってずるいわね。そんな調査をしてることなにも言わなかったくせに……」
「親父《おやじ》もそうなんだよ。結城の小父様と連絡して、早くから三浦氏に目星をつけ、茜ますみの周囲を探るためにリサイタルの共演を引き受けたのにそんなこと一つも言わないんだからね」
風もないのに二人の上に枯葉が散ってきた。もう紅く色づいている。
「彼らの盲点はね。茜ますみの周囲に起こった今度の殺人事件が三浦先生に関係があるのではないかと疑ったものの三浦先生の所在及び動向がつきとめられなかったことと、内弟子の久子さんの素姓がわからなかった点なんだ」
寛は枯葉をもてあそんでいる八千代の頬《ほお》を指で突いた。
「君が鍵《かぎ》を提供したんだぜ。京都のS小学校の卒業名簿、あれが今度の事件を解くポイントだったんだ」
「でも、実際の謎ときをしたのは貴方《あなた》ね。私はまさか、まさかって言いつづけてばかり、今だってまさかという気持ちが強いのよ」
「あまり身近な人間のせいだろうね」
しみじみと寛は言った。
「久子さんだって何も好んで人を殺したわけじゃない。殊に細川昌弥君の場合は大阪のSホテルで幼馴染《おさななじみ》の彼に偶然、顔を見られてしまった。それまで久子さんは彼と顔を合わせないように随分、努力してきたらしい。あの晩だって本当は彼女が外出先から帰る頃《ころ》には細川君は帰っている筈《はず》だったんだ。所がホテルへ戻ってきてみると彼はまだ茜ますみの部屋に居る。そこで久子さんは京都の細川君の家へ電話し、妹さんに彼の所在を知らせて彼の帰宅をうながさせたんだ。ところが落ち着いているようでも久子さんも女だね。電話をする直前に僕とロビーで話をして、その時に僕の部屋の鍵《かぎ》についているナンバーを眼にしたんだ。僕の部屋ナンバーは三百六十一番、茜ますみ女史の部屋は三百六十七番だった。そこで彼女は錯覚を起こした」
「三百六十一と三百六十七を間違えたの」
「もっとも一と七とは発音が似ている。まして久子さんは声を変えるために京子さんへの電話には関西弁を使った。だから錯覚じゃなくて京子さんの聞き違いかも知れないんだ」
いち、しち、と八千代は京なまりで発音してみた。区別はつきにくい。
「結局、京子さんからの電話は僕の部屋へかかり久子さんの計画は失敗したわけだ。しかも運悪くロビーにいるのを帰りがけの昌弥君にみつかった。幸い、その場に茜ますみはいなかったが、いずれ彼の口から茜ますみの耳に自分の素姓が知れる事を怖れて彼の口をふさぐことを考えたんだ。茜ますみは細川君にそれ程、惚《ほ》れてもいなかったし、海東の死以来、岩谷の監視もあるので、とかく人眼に立ちやすい映画俳優との浮気は慎んでいる。久子さんは一方では茜ますみに彼と逢《あ》わぬように工作しながら、機会をねらって遂に一月十四日、ますみの名で彼を呼び出し謀殺した」
「細川さん兄妹の殺された経過は殆《ほと》んど寛の推理通りだったわけね」
八千代は田村町でみかけたタクシーの運転手姿の三浦呂舟を想い出した。彼は娘の電話連絡により東海道を愛車をとばして神戸へ殺人のために出かけて行ったものだ。
「細川昌弥君の場合は大体、僕の推定通りだったらしい。京子さんは少し違うんだ。僕らは彼女は殺害後、裸にされたと解釈してたけど、彼女はその時、風呂へ入ってたんだ。久子さんは当時、かなり親しくしていた。僕が八時過ぎにアルバムをみに来るのを知った彼女は七時頃に裏の非常階段から京子さんの部屋へ入った。鍵《かぎ》はかかっていない。声をかけると京子さんもまさか殺しに来た人間とは思わないからね。久子さんは用意した青酸カリをジュースに入れ、湯上がりの京子さんに飲ませ、息の絶えた彼女を風呂場へ運んで、テーブルの上のビールを抜き、さも僕と京子さんとがビールを飲んだかのように場をとりつくろってからアルバムの写真をひっぺがして去ったのさ」
「すると、久子さんは寛を犯人に擬装するつもりだったの」
「そうだろうね。れっきとしたアリバイがあったのと結城の小父様の尽力で助かったけど警察じゃ、最後まで僕を疑ってたらしいよ」
「失礼しちゃうわ」
八千代は腹を立てた。
「まあ、いいさ。八千代ちゃんのように恋人が犯人の嫌疑をかけられただけだって青くなるのもいるし、反対に恋人を自ら犯人に仕立てて安心する女もいる」
寛の言葉に八千代は眼をあげた。
「久子さんと五郎さんの場合を言うのね」
「少なくとも小早川喬を五郎に殺させた彼女の心理はそれだね。恋人に犯罪を行わせることで、彼を自分から離すまいとする気持ちさ。形としては茜ますみへの愛情を捨てきれない彼の小早川に対する嫉妬《しつと》を利用して彼を殺させたということになってるけど、久子さんは自分の内心をそう日記に書いているんだよ」
「心から五郎さんを愛していたのね」
「悪女の深情けというのだね。だからその彼が自分を捨てて茜ますみと出来たことを知ったら、もうどっちも生かしておけなくなる」
「ますみ先生はもともと五郎さんを小早川殺しの犯人とにらんで、それを探るために……」
「色じかけで持ちかけたわけさ」
寛は八千代の言いにくい台詞《せりふ》をずばずば言ってのけた。
「君、茜ますみを先生って呼ぶの可笑《おか》しいよ。昔はとにかく今はもう先生じゃない」
「でも、先生は先生だったんですもの。寛だって犯人の久子さんをさんづけで呼ぶし、伯父《おじ》様たちだって三浦先生と呼んでいるわ」
「聞く人が聞いたら変だろうけど、まあ僕らとしては、仕方がないんだろうね」
寛はあっさり妥協した。
「それより、久子さんは茜ますみ先生と五郎さんのことをどうして気がついたの」
八千代は漸《ようや》く事件の最終段階へ寛の回答を求めた。
「うすうすは気づいていたんだろうが、はっきり悟ったのは大阪からのますみ女史の電話でだ。ますみ女史は五郎の告白をかくしテープにとると、東京へ電話をして久子さんに弁護士を大阪へ寄こすように命じた。敏感な久子さんのことだ。なにかあると悟った。ちょうど三浦氏はその頃《ころ》、やはり茜ますみと五郎を監視するつもりで、自分の車を運転して京都まで来ていた。彼女は三浦氏と連絡し、自分も飛行機で大阪へ来た。ホテルへ帰って来たますみを電話で金村弁護士が来ていると言って誘い出す。五郎が帰ってくるからますみ女史にしてもホテルで逢《あ》うわけには行かない。指定の場所へ行くと待っていたのは金村弁護士ではなくて三浦呂舟だというわけだ」
一方、久子は時間を見てホテルへ電話し、遅れて帰って来た五郎を呼び出した。あなたの身に重大なことが起こったと言われ慌てて出て来た五郎に久子は裏切られた怨《うら》みの数々をぶちまけた。
「三浦氏のほうは茜ますみに充分未練があったが、ますみに後悔の念もなく、恐怖と嫌悪しか持っていない彼女の様子に殺害する決心をした。そんな男の気持ちに気づいてますみが逃げようとする。三浦氏が背後から絞殺する。場所は大阪の天保山桟橋の近くの暗やみだったそうだ。あの辺りは人家も遠く人通りもない。そこまで三浦氏は自分の車で彼女を連れ出して来たわけだ」
「よくますみ先生が車に乗ったわね」
「久子さんに乗せられるまでタクシーだとばかり思っていたのだろう。走り出してから気がついても、もう遅い」
「五郎さんのほうはどうしたの」
「久子さんは茜ますみ女史の企みを五郎に説明したが彼は半信半疑だ。そこで証拠をみせるが、その前にますみ先生からそう言いつかったと称して彼を一度ホテルへ帰し荷物をまとめさせ、チェックアウトさせた。それから三浦氏の待ち合わせの場所へ五郎を連れて行って、ますみ女史の所持していたテープをみせたが五郎は変わり果てたますみの死体にとりすがって泣くばかりだ。その男の様子を見ている中に久子さんは五郎を許す気持ちがなくなったという。彼女は大阪から東京へ走る車の中、それは三浦氏が運転し、ますみ女史の死体は後部のトランクに入っていたのだが、その道中で五郎に毒物入りのジュースを飲ませて殺したんだ」
八千代は身体を固くした。友人の犯行の怖しさが改めて胸にせまった。
「久子さんが度々使用した毒物、最後には自分もそれで命を絶ったのだが、その毒物は三浦氏が終戦の時、外地で入手したもので彼女はそれを父親から渡されていたのだね。鑑定では青酸カリの混合物だそうだ」
寛は腕時計を見て腰をあげた。
「八千代ちゃん、そろそろ時間だよ。みんな集まっているかも知れない」
二人は芝生を出て墓地の中を門へ向かって戻りかけた。
「でも悲しい終末だったわ。三浦先生は久子さんの舞台を見に来ていて彼女の最期を知り、すべてを察して二つの死体もろとも火中に自殺なすったのね」
「しかし、あの死体二つを古代住居|趾《あと》へかくしたのは妙案だったね。あの建物はなかがまっくらだし普段は人も入らない。おまけに内部の空気は上の吹き抜けから空へ向かっているから死臭がまるで籠《こも》らないんだ。入口の重い杉戸を開けない限り誰《だれ》も気づかない。死体のかくし場所としてはまさに絶好というわけなんだ。勿論《もちろん》、三浦氏はそんな計算があって死体をかくしたんじゃなく、置き場に困ってのことらしい。彼のアパートが近くだったんであの境内の様子はよく知っていた。それで思いついたのだろうね」
八千代は寛を眺めて嘆息をついた。茜ますみと五郎、つまり各々《おのおの》の裏切った恋人の死体を乗せて東海道を走った父娘《おやこ》の気持ちを想ったものだ。
二人が門へ近づくとタクシーが止まって結城慎作が下りてくるところだった。尾上勘喜郎、中村菊四、染子の顔も見える。
「やあお待ち遠、仕事が遅れたもんでね」
結城慎作が一同に頭を下げ、先に立って墓地を案内した。
「いいお天気でよかったわね」
染子が八千代と肩を並べて言った。
「私、何度も言うようだけど、まだ久子さんが犯人だなんて思えないのよ。修善寺の時なんか同じ部屋で寝てたんですものね」
染子は黒っぽい小紋に紫の無地の帯を締めていた。墓参りらしい地味な姿が彼女を落ち着いてみせている。
「どうせ寝ぼすけの君たちだ。寝首をかかれなくってよかったね」
菊四がわざとはぐらかすような調子で言った。
「久子さんもそうだけれど、私は三浦先生みたいな方がどうしてあんなことを……」
八千代が言った。
「そうねえ、あんたはみずがきで三浦先生に助けられているんだし、それからも京都のホテルで逢《あ》ってるんだわね」
染子は菊四を横目でみて、くすんと笑った。
「そう言えば三浦先生はみずがきを久子さんとの連絡所に使ってたんですってね。あそこの女主人が久子さんのお母さんの従妹《いとこ》に当たるんですとさ。いつかの時も、三浦先生が待ってた女ってのは久子さんだったわけよ」
染子の言葉にうなずきながら八千代は今度の事件にまつわる一つ一つの思い出の断片を一足ごとにふみしめる気持ちだった。
先頭を行く結城慎作の立ち止まった所に真新しい白木の墓標があった。
三浦呂舟とその娘の久子、いや今は本名へ還った三浦田鶴子の墓である。殆《ほと》んど血縁もない親娘のために結城慎作と尾上勘喜郎が中心となって取りあえずの墓地をここに定めた。
今日はちょうど三十五日の墓参のために集まったものである。
女たちが用意した花を飾り、男たちは水をかけた。線香の煙がゆるやかに流れる。
「報復とは言え、選んだ手段や行為は妥当だとは言えないが、考えてみると三浦先生も田鶴子さんも悲しい人間だったんだね」
焼香を終えて慎作が言った。
「悲しい人間と言えば茜ますみさんだって、高山五郎君だって、又、海東氏、小早川氏にしたって同じことだ。ほんの僅《わず》かのつまずきがその人間をとんでもない方角へ歩かせる。一生を大手をふってまともに歩ける、悔いのない道を進めるということは大変な努力と幸運のたまものなんですな」
合掌《がつしよう》の手を解いて勘喜郎も言った。
「しかし、なんだかだといってもこうやって墓の中に収まってしまえば一生なんてはかないものだ。はかないだけに大切にしたい。誰《だれ》のでもない。自分の一生なのですからねえ」
しんみりした勘喜郎の声に若い二つのカップルも神妙に墓へぬかずいた。
墓の周囲を掃除して集めた枯葉に菊四がマッチで火を点《つ》けた。乾いた葉は忽《たちま》ち、赤い炎を立てた。
誰の胸にも三浦呂舟が己れの一生を賭《か》けた恋人と娘の一生一度の恋人との死体を抱いて火を放った古代住居|趾《あと》の燃え上がる光景が浮かんだらしい。声もなく火をみつめた。
想い出したように寛が細長い包みを取り出した。開けた。黒い扇である。八千代が修善寺の笹屋旅館の脱衣所で発見し、はじめて海東英次の死に対する疑惑を寛へ語ったときに彼に手渡した扇である。
燃える火の中へ、寛は拡げた黒い扇をそっとのせた。黒い地紙の上を炎がじりじりと這《は》って行く。
「さあ、これで暗い想い出は残らず灰になった。これからは故人となった人たちのよい想い出だけを思い出してあげること。それが僕らに出来る供養なんですね」
寛が白木の墓標を仰いできっぱりと言った。灰を片づけて帰りかける時、八千代はふと海東英次の葬式から帰って来たとき、彼女の家へ来て待っていた寛が、
「君にどうしても聞きたいことがある」
と言ったのを想い出した。あの時は海東の事件に話が逸《そ》れてしまって寛がなにを聞きたかったのかはつい今日まで聞かずじまいになっていたのだ。
八千代がなにげなくそれを口にすると寛は耳許まで赤くなった。少年のようなはにかみぶりに八千代はびっくりした。
「それはねえ……それは……さ」
寛がくちごもっていると、先を歩いていた勘喜郎がひょいとふりむいた。
「寛、お前、明日の記者会見のことを八千代ちゃんに了解を得てるのかい」
「いいえ、それがまだ……」
寛は一層しどろもどろになって頭をかいた。
「だらしのない奴《やつ》だ。いくら双方の親に了解を得ても肝腎《かんじん》の御本人の許可がとってないのではどうにもならんじゃないか。当人には自分で言います。それまでは黙ってくれとふんぞり返ったくせに……。八千代ちゃん、一つ寛の背中をどやしつけてやって下さいよ」
勘喜郎は八千代へ笑った。
「小父《おじ》様、それ、どういう意味ですの」
さりげなく微笑したものの八千代の胸は或《あ》る期待でときめいた。
「寛はね。明日、記者会見をするんですよ。婚約者として八千代ちゃんを正式に発表する気らしいですよ。八千代ちゃん、ヒジテツをくらわすなら今日の中だね」
勘喜郎は結城慎作と顔を見合わせてずんずん足を早めた。
八千代は体中がぎこちなく声も出ない。
「馬鹿《ばか》ねえ、寛ったらそんな大事なこと何故《なぜ》もっと早く彼女に言わないのさ。今になって断られたら男の名誉にかかわるわよ」
染子が八千代に代わって寛の背中をどやしつけた。
「言おうと思ってたのさ。ところが今度の事件の話が先になっちまったもんだから……殺人の話の後ですぐにアイラブユーでもないと思ってさ。チャンスがなくなっちまったんだ。弱ってたんだよ。実はさっきから……」
寛の言葉に朗かな笑いが湧《わ》いた。
「どう八千代ちゃん、イエス、ノウ」
染子に顔をのぞかれて八千代は袂《たもと》をふった。
「きまってるじゃないの。そんなこと……」
ちらりと寛を見上げた八千代の眼に愛情と信頼があふれていた。
「うわあ、ごちそうさま」
「人のことより自分たちはどうなのさ」
寛が笑いながら菊四を見る。
「おかげさまで来月三日大安吉日をもちまして挙式することになりました。その中に葉書が行くよ招待状の……」
「馬鹿《ばか》だな。それこそ何故《なぜ》もっと早く言わないのさ」
「場所が墓地だろ。うっかり、それはどうも御愁傷《ごしゆうしよう》さまなんて言われたらがっかりだもんな。それはそうと善は急げだろう。どうだい一緒に式をあげないか」
「当日、花嫁を間違えたりしてね」
「倦怠期《けんたいき》になったら取っ替えるか」
若い声が追いつ追われつするのを、勘喜郎と慎作は墓地の入口の日だまりに立って笑いながらみつめていた。
墓石を刻む音がのんびりと聞こえている。
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