世説新語(排調篇)
豫州刺史の諸葛瑾(しよかつきん)が別駕(べつが)(刺史の属官で最高職)の者を朝廷へ派遣するとき、息子の諸葛恪(しよかつかく)の自慢をして、
「わたしの息子は談論を心得ているから、会って話してみるがよい」
といった。
ところが、別駕が何度訪ねて行っても諸葛恪は会おうとしない。
その後、ある人の宴席で別駕は諸葛恪に出会い、大声で、
「やあやあ、若殿さま」
と呼びかけた。諸葛恪が、
「豫州も乱れているとみえる。やあやあとは何事です」
とからかうと、別駕はいった。
「明君賢臣があって、その国が乱れたという話はきいたことがありません」
「いや。むかし堯(ぎよう)帝が上にありながら、四凶が下にいたということもある」
「なるほど、そうでした。四凶ばかりではなく、堯帝には丹朱(たんしゆ)という馬鹿息子もおりましたな」