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时间: 2019-03-22    进入日语论坛
核心提示:    6 数日後、本村英人は、二キロほどのお米を入れた紙袋を二つ、ビニール鞄に入れて、家を出た。 本村は、妻に気づかれ
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 数日後、本村英人は、二キロほどのお米を入れた紙袋を二つ、ビニール鞄に入れて、家を出た。
 本村は、妻に気づかれずに、この紙袋を用意するのに苦労した。なにしろこの米はひどく高価についているのだ。
 本村は妻と、八歳の長男と五歳の長女をかかえ、売り食い生活の毎日だった。新聞社に入って十年余り、相当巧くやって来て、年齢の割には豊かだと自負していた本村も、急速に貧しくなった。元々丈夫な方ではない長男が二月頃から病気がちになり、配給で得られる以上の栄養と薬を与えねばならなかった。百万円や二百万円分の食糧を親子四人が喰い尽すのにはそう時間がかからなかった。百万円分の食糧といっても、石油危機以前の十万円分よりずっと少ない。
 五月中頃になると、彼ら夫婦の手元に残ったのは、ほとんど値打ちのない操業停止会社の株券一万数千株、買い手の全くないゴルフ会員権、それに静岡県の二百坪の別荘地だけだった。
 長男の咳き込む声を聞きながら、陽気な性格の本村も目の前が暗くなった。来年は大凶作、未曾有の食糧難、という声が、彼の焦りに追い打ちをかけた。
 そんなある日、本村の自宅に奇妙な手紙が舞い込んだ。静岡県の別荘地を、三百キロのお米と交換してやろう、という申し出であった。
 三百キロのお米といえば、配給価格でいうと五万円あまりに過ぎない。彼がその別荘地を買った価格はその百倍近かった。
 夫婦は幾晩も話し合い、いい争った。そして結局、土地はまた買えるが子供の生命は戻らない、という結論に達した。
 手紙に同封されていた返信用の葉書を出すと、二、三度電話連絡があった。そして一昨日の夜、約束通り三百キロのお米を積んだライトバンが来て、いかにも田舎者らしい屈強な男二人が、土地の権利書と印鑑証明とを持ち去った。
「お宅の別荘地の近くで百姓をしてますんでね、将来あそこに弟の家を建てようと思いましてぜひ欲しかったんですよ」
 年上らしい方はあまり顔つきの似ていないもう一人をあごで指しながら、そんなことをいったが、それ以上自分たちの身分を明かそうとはしなかった。
 売買契約書は、一方的な譲渡証明のようなもので、相手の氏名は空欄だった。
「こんな時期なのでどうなるかわかりませんからね。あんまり高い税金がかかったりすると困ります。もう少し世の中が落ち着いてから相談に上がりますで……」
 男は氏名の空欄をそう言い訳けした。
 本村は、代金に当たるお米を受け取ったのだから、それ以上の詮索は不要だと思った。
 二人の男のライトバンのテールランプを見送った時、本村は妻と二人で、別荘地を何度も見に行ったことや、五年間続いた分割払いのことを思い出していた。
「これだけあったら、当分大丈夫よ。配給だっていくらかは続くでしょうから、一年はもつわよ。それにお米さえ持って行けば、何だって交換できるのよ」
 と、妻の法子はうれしそうにいったものだ。
「凄い景気だなあ、本村さん」
 小宮幸治は突然の豪華なプレゼントに目を丸くした。
 寺木は、机の引き出しからビタミン剤の箱を出して、本村の手に押しつけた。お米をもらったお礼なのだ。
「このお米どうしたんかね」
 寺木が訊ねた。
 本村はいきさつを話した。
「その手紙の相手わかるかね」
「わからんです。手紙は残ってるけど、確か差し出し人は書いてなかったと思いますよ。同封の葉書は出しちゃったからね」
「残念だなあ」
 寺木は苦笑いをした。
 本村は、寺木も別荘をお米と代えたがっているのだろう、と想像し、自分がまんざら損な取り引きをしたわけではなさそうだと、と考えた。
 だが、それは当たっていなかった。最近、こうした物々交換の申し出がかなり広範に行われているという情報を耳にした通産省は、秘かにその実態調査を始めていたのである。
「別荘地とお米というケースは何件目かね」
 本村が帰ったあとで、寺木鉄太郎は小宮の方を見た。
「まだ三件目ですね、珍しい方です」
 小宮はファイルを開いて、本村の例を書き込んだ。ファイルは、交換の物資別に整理されていた。
「やはり多いのは、石油と米だな」
 寺木は、つぶやいた。
「それに米と市街地の宅地も大分ありますよ」
 寺木はファイルを受け取った。
 一頁目と二頁目には、石油、つまり耕運機用燃料の軽油やガソリンと米を交換しようという申し出の実例が五十数件並んでいる。三頁目は石油と麦・小麦などのものだが、これは十件あまりだ。以下は申し出側が米を提供する例で市街地の宅地が約三十件、山林が十件ほど、株式が四十数件、これはなぜかS化学とK紡績株に集中している。次は転換社債でこれも同じくS化学とK紡績だ。そして別荘地はいまの本村の例を入れて三件、比較的新顔の取り合わせである。最後には化学肥料と米というのがあった。これはつい数日前から報告されだしたのだが、すでに十件を超えている。
 申し出人の住所氏名のわかっているものも四分の一ほどあるが、それらはみな違っている。同一人がいくつもの申し出をしているのは、北陸の一部にばらまかれた石油と米を交換しようという四件の例が最高だ。しかもこのケースでは、申し出人はある会社になっていたが、住所地は郵便局内の私書箱だった。
 宛先は、九州から北陸、東北地方の一部にまで及んでおり、その手紙の消印を確認したところでは、大抵申し出人住所と同一の地方都市から投函されていた。つまり一見、個々バラバラの提案に見える。事実、物々交換が一般市民の間でも広まっているいまでは、こうしたことを考え出す者が各地にいたとしてもそれほど不思議ではない、という見方が政府部内にも多かった。
 だが、寺木は、なぜかこの動きが、一つの統一された組織に指揮されているような気がしてならなかった。まず第一に、どこでもやり方がよく似ていたし、交換率が割によくそろっている。そのうえ、どの場合にも申し出人がその住所を全く隠しているのが余計に怪しかった。注目されたのは、米と株や転換社債との交換申し出が、四件を除いてS化学とK紡績に集中していることだった。
「やっぱり一つの組織だね」
 寺木は脇からファイルを覗き込んでいる小宮の横顔を見た。
「でも、そうだとしたら、それができるのは誰ですかね」
 小宮は怪訝な顔つきでいった。
 寺木はファイルのガソリンと米との交換の分を見た。
 報告されている三十八件の実例はほとんどが農業組合の役員などに取りまとめを依頼したもので、ガソリン二百リットル(ドラム罐一本分)とお米九十キロというのが標準的な交換率だ。石油危機以前の価格なら九十キロのお米は二百リットルの軽油の三倍以上はしたが、農家にとってはこのガソリンでその十倍以上のお米が収穫できる広さの田を耕せるのだから、飛びつきたくなる申し出には違いない。事実、知られている例では、例外なく農民側は応じており、三十八件合計で二十三トン近い米と約五十キロリットルの石油とが交換されている。ここに報告されているのは、偶然にわかったものに過ぎないから、実際に交換されている量は、この百倍以上はあろう。そうすれば、二千三百トン近くの米と五千キロリットルのガソリンが動いていることになる。
 五千キロリットルといえば、ドラム罐二万五千本だ。ちょっと裏庭に積んで置くわけにはいかない量だ。この交換はまだ続くはずだ。おそらく最終的には一万キロリットルぐらいになりそうに思えた。これは明らかに大規模な石油タンクのいる仕事だ。しかし日本国内の石油タンクは厳重にチェックされており、それほど大量の石油を政府の目をかすめて出し入れできるとは思えない。軽油や灯油の分を入れるとさらに大きい。
「仮に石油と換えたお米を全部本村の場合と同じ率で別荘に換えたら……」
 小宮はちょっと暗算して、口笛を鳴らした。
「ほぼ、一万キロリットルの石油で三百万坪以上の別荘地が手に入る」
「坪三万円平均としても約一千億円だね」
 寺木がうなった。
 一週間後、物々交換は、予想よりもはるかに大規模なことがわかってきた。
 石油と米との交換は、田植えの時期の接近とともに、急激に拡大しはじめ、鹿児島から青森までのほとんど全府県に広がった。中国、四国、北陸、北関東には、化学肥料とお米との交換を申し入れる手紙も急増していた。六月十日、通産省と農林省が資料を持ち寄って検討したところ、少なくとも二万六千トンのお米と三千トン余の小麦が動いている、と見られた。
 米と不動産や株式との交換申し込みも広がった。不動産は、東京、大阪などの市街地の宅地やマンションを求める例が圧倒的だったが、場所と造成状態のすぐれた近郊住宅地や別荘地も対象になっており、申し込み件数は一万件以上に上る、と推定された。個人経営のビルや貸マンションを何トンかのお米と丸ごと交換した例さえ三件あった。おそらく実数はその十倍以上あろうから、何十軒かのビルや貸マンションが動いているはずだった。
 株式の方はもっと凄じかった。当初から注目されていたS化学とK紡績は、ほとんどすべての株主に、この申し込みが行き渡っていたうえ、新たに地方銀行のAや大手海運会社Nの株主たちもその申し込みを受けた。N海運の株式を相当数保有していたある中堅運輸会社に対して、全従業員の生活防衛と企業の操業維持のために、その持ち株を従業員給食用のお米と自動車操行用軽油とに交換することを勧める手紙が舞い込んだ。そしてこの場合には手回しよく、同文の手紙が、その会社の重役と労組の役員たちにも送られていた。
 株式の場合はこれに応じる者が不動産以上に多かった。株価そのものが著しく低落していたうえ、その回復の見通しさえなかったため、株主たちは、個人も企業も喜んで手放した。
 政府の調査は容易に進まなかった。相手のやり方が巧妙をきわめていたうえ、この物々交換にはさして重要な違法性が見当たらなかったため、大規模な犯罪調査として踏み切るわけにはいかなかった。だが、全くの偶然から、この調査の糸口が把《つか》まれた。
 六月十六日の午後、石油輸入統計を調べていた小宮幸治は、税関の輸入通関実績とエネルギー庁の入荷実績統計の間に特徴のある差を見つけた。
 石油の通関実績は、日本の関税領域内に入った時点で計量するのに対し、入荷実績は石油業者へ所有権または管理権が移った時点で計る。つまり、保税倉庫にある間の取り扱いなどに差があるのだ。
 小宮の目を引いたのは、その差が問題のガソリンと軽油に目立っていたからだ。つまり、石油が払底するにしたがって、保税倉庫に指定されているタンクに石油を置く期間が縮まり、入荷統計と通関統計の差が少なくなるはずなのに、ガソリンと軽油だけは二月以降その差が徐々に広がっている。特に軽油の場合は四月には三〇%近くも通関量が入荷量を上回っている。もちろんこれは、両統計間の時間差を修正したうえでのことである。小宮はこれが石油輸入の減少によって生じた一般的なものか、人為的なものかを調べるために、各税関別の通関と入荷とを照合した。
 これはかなり面倒な仕事だった。エネルギー庁の入荷統計は各精油所別・陸揚港別の原表を、地方別・企業別に集計しているが、大蔵省の税関管区区分は、一般の地方別とは全く違っているからだ。たとえば中国・四国地方は兵庫県下の大阪湾岸諸港とともに神戸税関の所管であり、近畿地方の他の港湾は、日本海側も含めて大阪税関の管区に入る。同様に、東北と関東の東側は東京税関、神奈川県下の東京湾沿いから東海の一部は横浜税関というようになっている。したがって、入荷統計を通関統計に対比するためには入荷統計原表を、このややこしい区分に従って再集計する必要があるわけだ。
 小宮はこれを徹夜でやった。四月の軽油の通関統計と入荷統計との差は、他では、二、三%なのに、神戸と名古屋の税関管区では五〇%以上にもなっていた。明らかに、この二つの管内に、エネルギー庁の目の届かぬ形の軽油輸入が頻繁に行われていることを物語っていた。
「なるほど、そうすると奴らは正々堂々と関税を払って輸入していたわけだ」
 寺木は、呆気にとられたようにつぶやいた。
「でもどうして、こっちの目につかなかったのかなあ」
「それが不思議なんですよ」
 小宮も腕組みした。
 昨年十二月以降、海外の石油買い付けは、外貨送金や信用状の開設でチェックされているし、石油タンカーの入港も報告されている。外航用の大型石油タンカーに入った石油量も逐一入荷統計に記録されている。これらのチェックにかかった石油は細大もらさず、政府の行政指導でその販売先が指示されている。最近では、この販売先指示に従わない闇石油も相当あったが、それは国内の流通販売段階で横流しされるもので、こと輸入時点での把握に関する限り漏れようがないように思えた。
 この三重のチェックにも、多少の穴はある。海外での石油購入は、外貨を持ち出さない方法、つまり無為替輸入なら脱落する。このケースには外資系石油会社が外国の親会社から代金後払いで輸入する分があるので大きいが、これらは別途、輸出側の外国石油会社と輸入側の国内企業から事前報告されることで押えられている。ただ、石油会社でない企業(商社など)が、なんらかの方法で、代金を払わずに石油を購入していれば、この網にはかからないわけだ。
 だが、それでもあとの二重の網は、くぐれない。五百キロリットル以上の石油の陸揚げはすべて報告されるし、精油所や石油基地、それに国内流通用の中間タンク(デポ)まで、すべてその入荷量、貯蔵量、出荷量がチェックされているからだ。
 二人は顔を見合わせた。
「ドラム罐に入れて来るんですかね」
 小宮はいってみた。
「いやそれは目立ち過ぎるね」
 寺木は反論した。
 四月の差額、約千二百キロリットルをドラム罐で運ぶとすれば、六千本だ。どうしても目立つ。それに、そんな非能率な方法をとっているのなら、なにも神戸と名古屋の税関内に集中させるはずはない。その石油は全国に分散されるのだから、各地の港に分けて陸揚げした方が経済的でもある。どうしても定ったところに陸揚げせねばならぬ事情があるのだ。つまり、その地点の石油タンクを使っているということである。
「工場内の自家用タンクだね」
 寺木がいった。
 工場内のタンクは、そこで使用する石油を入れるもの、つまり入れる一方で出て行くことがない、と決めてかかっていたところが盲点だった。
「それで五百キロリットル以下の少量ずつ運び込んでるんですね」
 小宮は叫んだ。
 寺木は、電話機を取り上げ、大蔵省関税局の調査統計課長に、四月と五月における五百キロリットル未満の石油の輸入通関原表を調べるよう依頼した。「どういう方法で」がわかった以上、「誰が」もすぐわかるはずだった。
 翌日の昼前、寺木は興奮気味の顔つきで、大蔵省から戻って来た。
「奴らは五百キロリットル以下の単位で輸入してたんだ。輸入元は、大阪のアンダマン・フェニックスという会社だよ」
 寺木は三十枚ほどのカードのコピーを机の上に投げ出した。
「アンダマン・フェニックス……」
 小宮はこの奇妙な名をどこかで聞いたことがあるような気がしたが、思い出せなかった。
「外資系の会社ですか」
「いや、外資企業の登録にはないから、日本企業だろう。いま、大阪通産局に調べてもらってるから、すぐわかる」
 三時間ほどして、大阪から返事の電話が来た。寺木がメモをするのを、小宮は横で見ていた。
[#1字下げ]「アンダマン・フェニックス株式会社 資本金一千万円 代表取締役宮里隆二、二十七歳 株主 大阪市KYK株式会社五〇%、東京都港区株式会社KYK五〇%。設立は昨年十月……」
 このインド洋上の群島の名をつけた会社は明らかにトンネル会社だ。二十七歳の社長もロボットだろう。これだけの大事業を全国的に行えるのは、かなりの資金力と組織力を持つ者だけだ。株主として登録されている二つのKYK会社もトンネル会社に過ぎないだろう。
 寺木と小宮は、KYK会社の株主をたどることにした。
 こうした場合、いわゆる�蛇の呑み合い�という形になって、本物の実力者が不明に終わることもある。つまり、A社の株主がB社、B社の株主がC社、そのC社の株主がA社という形で、これを二十、三十の会社間で複雑に絡み合わされると、解明不能になってしまう。だがこんどの場合は、そんなはずはない、と二人は考えた。これほど大規模な事業を、こういう不透明な形でやるのはあまりにも危険過ぎる。万一、いくつかの企業のロボット社長が「叛乱」を起こせば、折角の巨利を横取りされるおそれがあるからだ。予想は当たった。その相手は、KYK株式会社の過半数の株を持つ出資者として、堂々と名を出していた。
 しかし、有価証券報告書の中に、その名を見い出した時、小宮幸治は身が凍りついた。その名は、
 鴻森芳次郎
 であった。
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