私は、親から殴(なぐ)られるのは愛の証(あかし)だと思っていた。
父は私の顔面をげんこつでよく殴った。
でも、どんなに忙(いそが)しくても、授業参観日や運動会には必ず時間をつくって来てくれたし、家族旅行にもよく連れていってくれた。母に対してもそうだったけど、とくに私に対しては、けっして手を抜くことなく、すごくマメな父親だった。いまになって、いろんなよその父親のことを知ってみると、わが家の父は特別だったと思う。
中学生になって給食がなくなり、弁当になったとき、私のお弁当をつくってくれたのも父だった。朝、家にいるときは必ずつくってくれた。お手軽なコンビニ風の弁当なんかではなく、すごく手をかけた重箱入(じゆうばこい)りのノリ弁。
ノリを大きいままベタッと敷(し)くのでは、まだまだ愛情が足りない。父のは、縦(たて)二・五センチ、横一・五センチくらいに小さく切ったノリを、ごはんの上にびっしりとすきまなく張りつけていく。それが三段重(さんだんがさ)ね。おかずには、肉、魚、野菜、海藻(かいそう)類などがバランスよく入っている。私は野菜がまったく食べられない子だったけれど……。
ふだんの生活の中で自分が父に愛されていたことが実感できるから、こちらが悪いことをして叩(たた)かれるのは当然だと受けとめていた。私は自分の思ったとおりにしか行動できないたちだから、同じことで何度も叩かれていた。
叩かれたときには、「ちくしょう」と思うけど、学校に呼び出されたことで叩かれた覚えはなかったから、父が私を叩くにはちゃんとした理由があり、私なりに納得(なつとく)できていたと思う。
父や母に叩かれるのは当たり前と思っていたけど、他人に叩かれる筋合(すじあ)いはない、というのが、そのころの私の論理。両親以外の人から叩かれた経験は、六年生の担任しかなく、それは私には絶対に許(ゆる)しがたいことだった。
開成(かいせい)くんと付き合うようになって数ヵ月ほどたったころ、ちょっとした口げんかになったときに、彼がいきなり私に手をあげた。さすがにショックで、私はすぐさま両親に泣きついた。
父に言いつければ、「おれの大事な娘を、よくも」と、私のかわりに殴り返してくれるに違いない、私はそう確信して、彼を父の前に突き出した。
父はけんかにいたった事情を聞くこともなく、私を殴った彼をとがめるわけでもなく、こう断言した。
「アンナ、悪いのはおまえだ」
これにはずっこけてしまった。
「なんで? パパ、殴られたのは私だよ」
「おまえが生意気(なまいき)な口をきいて、相手を怒(おこ)らせたんだ。だから、悪いのはおまえだ。もちろん、アンナだけが悪いんじゃない。しかし、けんかというのは両成敗(りようせいばい)だから、お互いの責任だ。おれは知らん。口出しはせん」
いまなら納得できるけど、そのころはとうてい理解できなかった。
ええっ、「おれは知らん」なんて、パパは私を愛していたんじゃなかったの?
絶対に味方してくれると信じていたのに冷たく見放されて、いっぺんに父親の愛情を失(うしな)ったような気がした。
十五歳の冬、このとき、私は発作的(ほつさてき)に家を飛び出していた。