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ムッソリーニの処刑40

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:チャーチルも独自の調査 ムッソリーニとクラレッタ達の遺体が、ロレート広場で逆さ吊りされた後、ロンドンで新聞を見たイギリス
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チャーチルも独自の調査
 ムッソリーニとクラレッタ達の遺体が、ロレート広場で逆さ吊りされた後、ロンドンで新聞を見たイギリス首相チャーチルは、その報道写真に強い衝撃を受け、事件の全容についての調査を指示した。その調査結果はダウニング街十番地に届けられ、現在もなお古文書館に保管されているという。
この事実を“発掘”したのは、ムッソリーニ処刑事件を長年しぶとく追跡しているイタリアのジャーナリストの一人フランコ・バンディーニである。この文書の存在をつきとめた彼は、あの逆さ吊りの日から四十年を経た八五年七月、初めてその内容をイタリアで発表した(注1)。バンディーニ発表のあらましは次の通りである。
「チャーチルはロレート広場の無残な写真を見て『この写真には強いショックを受けた』と語り、在イタリア連合軍最高司令官のイギリス人サー・ハロルド・アレグザンダーに書簡をしたためた。五月十日の日付となっている。
『写真を見た。新聞によるとムッソリーニを殺害した人物は、その卑怯さを自慢している。しかも愛人をも一緒に処刑している。その愛人は戦犯リストに載っていたのだろうか? この女性をも殺害する権限は誰から与えられたのだろうか。この件に関し、イギリス軍当局は調査照会する必要があると考える』
アレグザンダーはこのチャーチル書簡をイタリア占領連合軍高等弁務官サー・ノエル・ハーヴロック・チャールズに回送、調査を命じた」
 このチャールズなる人物は当時ローマにいて、イギリス大使の資格で軍政を担当していた。一八九一年生れのキャリア外交官で、その経歴を調べてみると、ブリュッセル、ブカレストなどに在勤のあと、一九二六年には駐日英国大使館に一等書記官として赴任して来ている。その後は本省、さらにブリュッセル勤務ののち、大戦勃発前に三年間ローマに参事官として在勤。大戦中はポルトガル公使、ブラジル大使を務め、再びローマで連合軍高等弁務官を一九四四年から四七年まで務めた。
チャールズはチャーチルの指示に従いイタリアの関係者にも直接会って精力的に調査、その結果をロンドンに報告した。その内容は次のように、四月二十五日のミラノの大司教館におけるムッソリーニと解放委員会首脳の会談、および四月二十八日の処刑の二部に分れている。
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