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ぼくのコドモ時間28

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:がんばった話ボクは英会話ができません。海外旅行などした時に、外国の人に英語で話しかけられたりすると、笑ってしまいます。な
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がんばった話

ボクは英会話ができません。海外旅行などした時に、外国の人に英語で話しかけられたりすると、笑ってしまいます。なんにもわからないからです。英語ができたらこの人と話ができるのになァ、と思うと、ホントは少し悲しいような気分なのに笑っています。
それからボクは、自動車の運転ができません。運転免許証というのも持っていないんです。そりゃあ、この世が�地球最後の日�かなんかになって、ボクだけがとり残されたりした場合に、そこに自動車が置きざりになってたりすれば、それを動かすくらいなことはできる気はします。自動車を動かすだけなら、そんなにムズカシそうな気はしない。運転免許っていうのは�交通ルール�の免許皆伝のことなんで、これがわかってないと、大変なことになるんでした。オートバイを河原でブッとばしたり、広い海で船の操縦をさせてもらったこともある! といってもとにかく自動車の免許はないんです。
最近はこの二つは、できない人のほうがめずらしいような感じになってきました。できないとちょっと肩身が狭い感じなんですが、四十二年も人間をやってると、ズルくなってますから、できないものを「できる」とミエを張ったりすることがなくなってしまいました。
ズルくなったのは、ひょっとすると、もっと前、二十年くらい前からだったかもしれません。もっと昔はズルくなかったので、できないこともできるフリをしました。
小学校の時、ボクは泳ぎができませんでしたが、それを認めるのは恥ずかしい、と思っていたので、ちゃんとミエを張ってました。�女子�なんかにきかれたら、平泳ぎもクロールも潜水も、おちゃのこさいさいだ! と言ったと思います。実際にはそういう機会がなかったので言いませんでしたが、�男子�の友だちには、泳ぎができないなんて一言も言わないばかりか「何メートル泳げる?」なんて言われれば「つかれるまで」と答えてました。
実際はいきなり|つかれ《ヽヽヽ》ちゃうんですけどね。でも、こういうミエは、いともカンタンにバレてしまうんですね。で、よくあることなんで、そこをさらに追及したりするっていうことは当時のコドモはあまりしませんでした。
でもいっしょに海水浴なんかに行くと、結局、泳げないですから、背の立つところでポチャポチャやってるくらいで、しかたないので海の家のそばに座って、砂遊びをしていたりするワケです。
友だちは寒くなってブルブル震えるくらいまで海に入ってきて、ポタポタ水をたらしながらはしゃいでいるのに、ラウドスピーカーから流れる歌謡曲やらハワイアンやら、映画音楽なんかをききながらボーッとしてると、ちょっと情けないような気分になるんでした。
ボクは、あのころのウソつきの自分はとてもいいなァ、と思います。ミエ張ってウソつくっていうのは前向きだなと思うからです。ひょっとすると、小学生のころからボクはちょっとズルかったのかもしれないですね。それからというもの、ミエを張り通さないで、できないものはできない、と言って開き直ってしまったんでした。「オレ、ぜんぜん泳げない」と悪びれるふうもなく言えるようになってしまったんです。
「泳げない」と言うのが恥ずかしくて、何が何でも泳げるようになってしまおうとするのはいいことです。ミエを張るというのにはそういう効果があるんですね。ケナゲにがんばるというのはとても美しいことです。
「さかあがり」に関しては、ボクはけっこうケナゲでしたね。小学校の三年生ぐらいだったでしょうか、ボクは「さかあがり」ができなくてくやしくて、放課後になると、すぐに鉄棒のところに行って、ポッケの中にあるものは全部ランドセルに入れてそばに置くと、いっしんにさかあがりを始めたんでした。
一回、二回、三回、四回、何回やってもできません。十回、二十回、三十回、そのうちどんどん日が暮れて薄暗くなってきました。
そういえば、あのころは学校の校庭でいつまでも遊んでいても、あんまりやかましく言われなかったんですね。三時間もたったころでしょうか、ボクは突然さかあがりができてしまったんでした。
うれしくなって、試しに何度かやると、さっきまでのことがウソみたいに軽々とできてしまうんでした。手の平のにおいをかぐと鉄棒のにおいがしました。ランドセルをカタカタいわせて帰ってきた時のことをいまでも覚えてます。タイムマシンでコドモのころの自分が見られるとしたら、ボクはこの時の自分を見てみたいと思いますね、ヒタムキでケナゲで、とてもかわいい。
ふつうの大人は、こんな経験が、もっとたくさん、いろんな時代にあるハズなんです。入学試験のためにガンバッたり、クラブの練習でガンバッたり、試合に全力をつくして負けて泣いたり。ボクがこんなふうに、ケナゲにしてたのは三年生くらいまでだったんでしょうか、それから先にこんな思い出というのがありません。
小学校六年生のころのボクに会ったら彼はこんなふうに言ったでしょう、「さかあがりができたから何になる」「泳げなくたって生きていけるよ、水ッ気のあるほうには行かないようにするし」。かわいくないじゃないですか。
高校生のボクはこんなふうに言うかもしれない。「大学入試が何だ、テストでいい点とってそれがどうした」。そうして、そんなふうな考えのまんま、ボクは現在のズルイやつにそのままなってしまったんですが、三年前、ボクは突然スイミング・スクールに通ってみることにしたんでした。自己流で平泳ぎができるようになってましたが、でも、わりとすぐに|つかれちゃう《ヽヽヽヽヽヽ》泳法で、つまり泳げないも同然だったわけです。
そうして、剣道の先生でもあるっていう、コワイ顔したスイミング・スクールの先生にクロールを教わっている時に、その小川先生というかたが「よし、むこうまで二十五メートル! 立たずに泳ぎきったら昼メシおごる!」と、突然おっしゃった。やっと少し泳げるようになって、八メートルおきぐらいに立ち上がって顔を洗ってるボクにです。
昼メシをおごってほしかったワケじゃなく、先生が奇妙に真剣だったのが、ボクがやる気になった動機でした。十五メートルくらい泳いだところでゲボッと水を飲んでしまった。ものすごく苦しくて、まるでおぼれてるみたいにバタバタしてしまいました。
そこでボクはなぜだか、ガンバッてしまおう! と考えたんでした。とてもメズラシイことでした。ゴールした時は、死ぬかと思うくらいでした。小川先生といっしょに授業を受けていたオバチャンたちが拍手してくれました。うれしかった。
四十二年間生きてきて、ガンバッたのがたったの二回ってのもあきれますが、でも、この二回めの経験で、ボクの考えかたはほんの少しだけ変わったような気がします。
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