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黒い扇22

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:カップル特別急行大阪行列車は定刻通り午前七時きっかりに東京駅を発車した。一等車はほぼ満員であった。昨日、東京駅へかけつけ
(单词翻译:双击或拖选)
カップル

特別急行大阪行列車は定刻通り午前七時きっかりに東京駅を発車した。
一等車はほぼ満員であった。昨日、東京駅へかけつけて切符が買えたのがよくよくの幸運だったようだ。真夏なのに東海道線をはじめ東北線、信越線などあらゆる交通機関がどこも混雑しているという。いわゆる旅行ブームの夏なのである。
浜八千代の席は進行方向へ向かって左側の窓ぎわだった。隣は和服の中年婦人で通路をへだてた右側には若い男女が並んでいた。
走り行く列車の窓から八千代は銀座を眺めた。大きなビルの建物に遮ぎられて、我が家は屋根も見えない。八千代の胸にある疚《やま》しさがうずいた。
一昨日の夜、思い切って八千代は母に京都へ行って来たいと甘えた。
「染ちゃんが行っているのよ。大阪の今月の芝居がとても素晴らしいんですって」
私も行ってみたいけれど、と口に出す前に母が言った。
「あんたも行ったら。染ちゃんはどうせ二、三日は向こうにいるんでしょう。追っかけて行ってお出でな」
そう言われると八千代は逆に遠慮した。
「でも、ママが病気ですもの」
「平気よ。私ももう明日くらいからぼつぼつ起きていいってお医者さんに言われてるんだから。心配しないで行ってらっしゃい。今年の夏はどこへも遊びに行ってないんだし、京都は暑くて大変だけど、ホテルに泊まれば冷房がきいてて涼しいんじゃない。電話で予約してごらん、夏場だから空いてるよ」
せっかちに母が勧めてくれると八千代は少しばかり後ろめたい。染子をだしに使って、逢《あ》いに行きたいのは能条寛なのである。彼とはまだ公認の恋人ではない。
「でもねえ……」
八千代がまよっていると、
「それじゃこうなさいよ。明日一日、あたしの様子を見て、起きても大丈夫なようなら出かけることにしたら……」
母の時江が娘の思案顔を笑いながら結論を出してしまった。
「もしかして特急券が買えたらね。すごく混んでるっていうから多分だめだと思うわ」
と八千代は自分が言い出したくせにいざとなってからぐずぐずしていたが、結局、母は起きられるし、切符は入手したし、
「それじゃママ、二、三日遊んで来ます」
赤いスーツケースをさげて、朝早く家を出かける事になってしまった。
「ママ、ごめんなさいね」
列車の窓から八千代は小さく呟《つぶや》いた。母に嘘《うそ》をついて出かける旅行はこれが二度目である。この前は春、能条寛と修善寺へ出かけた時である。
品川を過ぎてから、八千代は膝《ひざ》の上にのせていた週刊誌を開いた。
グラビヤのページに大きく能条寛の写真が出ていた。それがめあてでさっき駅の構内で買ったものだ。
写真の能条寛は目下、撮影中の文芸大作の主人公の扮装《ふんそう》をしていた。グラビヤの下に、寛と記者との一問一答が出ていた。今度の作品の抱負とか、今年のスケジュールとか、社会問題など型通りな質問の終わりに理想の女性像と、結婚についての答があった。
「僕の理想というのは子供の時からの一つの夢みたいなものでね。小柄で清潔で温か昧のある人。別な言い方をすれば動きと匂《にお》いと体温とが感じられるような女性がいいですね」
というのが前者の答で、結婚については、
「目下、仕事に追いまくられてそれどころじゃないと言いたいが、まあ早く結婚したいと心がけてはいます」
という甚だ不得要領な返事をしていた。
活字を眺めて八千代はなんとなく胸がときめいた。記者の質問に答えていた時の寛の茫漠《ぼうばく》とした表情が想像出来る。
それにしても人気スターの立場からうっかりしたことは言えないにしても、曖昧《あいまい》な回答はやっぱり八千代には淋《さび》しい気がしないでもない。
「浜八千代という女性と結婚の約束をしています」
ときっぱり寛が言い切ってくれるのはいつの日の事だろうと、ふと思う。
八千代の目は再び理想の女性というアンケートの条《くだ》りを丹念に追っていた。
(小柄で、心の温かい人……)
ありふれた言葉の中に、寛は八千代のイメージを表現しようとしたのだろうか。
「それとも……寛の夢みている女性というのは……」
不安が突きあげて来た。
(私なんかじゃないかも知れない)
週刊誌をそっと閉じた。隣席の婦人は座席のクッションを倒して眠っている。朝が早いせいか、車内の客の殆《ほと》んどは仮睡状態でひっそりとしていた。会話もあまり聞こえない。
何気なく通路をへだてた席の男女へ目をやって八千代はどきりとした。座席にふかぶかと身を埋めるようにして男のほうが女の首筋に唇を当てている。早朝の車内で大胆な愛情の表現だった。
八千代は目を逸《そ》らせた。頭の芯《しん》が熱い。
(どういうカップルなのだろう)
ひそかに連想した。夫婦ではない。服装は一応の流行を着ているし、そう品の悪い組合わせではない。年齢は男が二十五、六、女が二十そこそこと見えた。恋人同士には違いなかろうが、その程度が疑問なのである。近頃《ちかごろ》、流行《はや》っている婚約旅行というようなカップルかも知れなかった。
横浜を過ぎると車内のマイクがビュッフェの準備が整ったことを知らせた。
八千代は隣席の婦人の眠りをさまさぬように注意しながら席を立った。
空腹は感じていないが、咽喉《のど》が乾いていた。右側の席のアベックの濃厚さにあてられた形である。
ビュッフェは混んでいた。カウンターの前で立ち喰《ぐ》いの形式である。トーストとコーヒーに果物を注文したとき、
「八千代ちゃん」
派手な女の声である。八千代の後からビュッフェへ入って来たらしい。ふりむいて、
「まあ、ますみ先生」
茜ますみは黒の紗《しや》の着物に白地の夏帯を締めていた。大胆な色彩が派手で大柄な容貌《ようぼう》にすこぶるマッチして人目に立つ。
茜ますみの後にグレイの背広に紺地の蝶《ちよう》ネクタイを締めた若い青年が微笑している。内弟子の五郎だった。
「八千代ちゃん、一人?」
八千代と並んでカウンターの前に立ちながら茜ますみが訊《たず》ねた。
「ええ、京都まで母の用事で参ります」
咄嗟《とつさ》に八千代はそう答えた。
「それは大変ね」
ますみは五郎の差し出したメニューを見てサンドイッチとコーヒーを注文した。
「先生は大阪ですの」
月に一週間は大阪の舞踊教室へ指導のため西下する筈《はず》であった。
「ええ、暑いのに憂鬱《ゆううつ》よ。でも、そんなこと言ってたら師匠はつとまらないけど」
茜ますみは美しく笑って五郎を顧みた。
「八千代ちゃん、偶然だね。何号車?」
「五号車ですわ」
五郎に答えながら八千代はふと気づいた。
茜ますみに寄り添って立っている五郎が、今日は馬鹿《ばか》に大人びて見える。意識して大人っぽい態度をとっているようなのだ。
「それじゃ、僕とますみ先生とは三号車だから……ビュッフェにでも来なければ気がつかない所でしたね」
五郎が微笑して茜ますみを見る。二人の視線は二度絡み合った。別に何の意味もない眼と眼の交換に、八千代は二人の親密さを感じた。
八千代の前にトーストとコーヒー、茜ますみと五郎の前にも各々朝食用のパンが運ばれて来た。
コーヒーにはポリエチレン袋に入った砂糖が添えてある。五郎が茜ますみのコーヒーに砂糖を入れ、まめまめしくミルクを注いだ。
「この位でいいですか」
「結構よ」
内弟子と女師匠との短いやりとりなのだが、言葉のはしに以前にはなかったニュアンスがある。
コーヒーを飲みながら、八千代はひそかに茜ますみと五郎を観察した。
五郎が茜ますみに対して下僕のようにまめまめしいのは以前通りである。違ったのは両者の間に人間同士の交流が感じられることであった。少なくとも忠実な番犬とその女主人というような差別待遇が今の二人にはなくなっていた。茜ますみのコーヒーに砂糖を入れてやっても、五郎の態度には前のような卑屈な所がない。不思議なほど堂々としていて自信たっぷりなのである。
(二人の間にどんな変化が起こったのだろう)
さりげなく八千代は訊《き》いた。
「今度のお供は久子さんではありませんでしたの」
大阪への出張|稽古《げいこ》の助手は必ず久子にきまっていた。
ますみの顔をちらと狼狽《ろうばい》の色がかすめた。
「久子さんは東京のほうにあの人でないと困る仕事があるものだから、今度は五郎さんに来てもらったのよ」
五郎をふりむいて同調を求めるような微笑を浮かべる。
「そうなんです。僕のような大阪に不馴《ふな》れな人間がお供してもお役に立つかどうか心配なんですが……」
ぎこちなく五郎が言う。
「あら、そんなことないわ。本当は地方の仕事は男の人のほうがなにかと押し出しが立派でいいものなのよ。いずれにしても大阪は、これからなるべく五郎さんを中心にやってもらうようにしないと、私もお婆さんになってしまったから旅行はしんどいのよ」
「お婆さんだなんて……先生はいつまでもお若いですよ」
五郎とますみのやりとりを八千代は黙って聞いていた。確かに二人の間の垣根ははずされている。
食事を終えて、三人はビュッフェを出た。八千代の座席のほうがビュッフェに近い。
「それでは先生、お気をつけて……」
八千代が会釈すると茜ますみは機嫌のよい調子でうなずいた。
「あなたもね。東京へ戻ったら猛稽古《もうげいこ》しましょう。すてきな鳥辺山心中を踊って頂くためにね」
艶《えん》なまなざしが八千代から五郎へ転じて、二人は二つ先の車へ移って行った。
車の動揺にますみが少しよろける。すかさず五郎のエスコートの手が伸びた。
二人の後姿がドアの向こうに消えてしまうと八千代は深い嘆息をついた。どうみても恋人同士の茜ますみと五郎の様子である。
(もし、そうだとしたら、五郎さんと久子さんは……)
中村菊四は五郎と久子との逢《あ》い引きのシーンを目撃したと八千代に語っている。
 京都駅に到着したのは午後一時だった。
茜ますみと五郎に別れの挨拶《あいさつ》をし、八千代は京都駅前の広場でタクシーに乗った。
「Mホテルへ、お願いします」
ホテルへの予約は東京の家から電話してあった。
走り出したタクシーの窓から八千代は久しぶりに見る京都の町に眼を細めた。
古いままの屋根が続いている。十年一日の如《ごと》く京都の家並には変化がなかった。
Mホテルは南禅寺《なんぜんじ》に近い岡の上にあった。赤い欄干が緑の中で鮮やかであった。
ボーイに案内されて部屋に落ち着くと八千代はすぐに電話をかけた。四条の大文字旅館である。
「おそれ入りますが、そちらに東京から市橋貴美子さんがお泊まりの筈《はず》ですけれども……」
染子の本名は市橋貴美子である。染子というのは芸者としての彼女の商売名だ。
「へえ、東京の『さつき』のお嬢はんでっしゃろ」
染子の家である置家の家号は「さつき」である。
「はい、いらっしゃいましたらお呼び願いたいのです。東京の八千代とおっしゃって下さればわかります」
受話器の奥の声はのんびりと答えた。
「へえ、それが、もう家には居やはりまへん。なんや大阪のほうへ、遊びに行かはる言うて昨日、お発《た》ちにならはりました」
「大阪へ……」
京都から大阪までの距離は特急で三十分ばかりである。今まで大阪へ芝居見物や市内見物に出かける時も、染子は京都を根拠にしていた。
「宿は京都に限るわ。静かだし、ロマンティックだし……大阪はなんだかせせこましくて嫌だわ」
という染子の主張を八千代はもう何度も聞かされている。
「染子さん……いいえ、あの市橋貴美子さんは、荷物も全部持ってお出かけになりましたの。つまり、もうお宅へはお帰りにならないんでしょうか」
「へえ、大阪から真っ直ぐ東京へ帰らはるようにお聞きしましてん」
「そうですか」
八千代は礼を言って電話を切った。どうやら染子とは入れ違いになってしまったらしい。暫《しばら》く、八千代はぼんやりしていた。染子が京都にいないとなると急に心細い。
気を取り直して、八千代はバスルームでシャワーを浴びた。朝が早かったのと、一人旅の気疲れか体が僅《わず》かにけだるいようだ。
部屋着姿になってから手帳をみた。T・S映画の京都撮影所の電話番号を探した。
能条寛はすぐに電話口へ出て来た。ちょうど遅い午食で仕度部屋へ戻った所だったらしい。
「少々、お待ち下さい。今、代わりますから」
佐久間老人の声と入れかわりに、とびつくような寛の調子が受話器へ流れて来た。
「八千代ちゃん、どこからかけているんだ」
「Mホテルよ。今しがた着いたの。母には大阪のお芝居を見に行くって言って出て来ちゃったんだわ」
「それにしても、よく出て来れたね」
寛の声を聞いている中に八千代は胸が切なくなって来た。
「逢《あ》いたいわ。ヒロシ、話がたくさんあるのよ」
一人きりのホテルの部屋だということが、八千代を大胆にさせた。
「逢いたいよ。僕だって……」
照れくさそうに、しかし寛もはっきり応じた。
「口惜《くや》しいけど、まだ仕事があるんだ。五時、遅くとも六時には終わる……」
「でも、夜間撮影があるのでしょう」
「大丈夫、今日の僕の出番は九時か十時からなんだ。それまで四時間くらいは体があくよ」
「悪いわ。疲れているのに……」
「何いってるんだい。タフ・アンド・ガイが表看板の僕じゃないか。ホテルへ迎えに行くよ。夕飯を一緒にしようよ。待っててくれるね。八千代ちゃん」
「お待ちしてます」
受話器を置いて八千代は腕時計を見た。午後二時を十分過ぎたばかりである。
(六時まで、あと四時間……)
ひどく待ち遠しい気がした。
「そうだわ。その間にしなければならないことが……」
八千代は苦笑した。恋はともすると思考力を失いがちだ。
(私ったら、なんのために京都まで来たのかしら……)
目的の一つは写真であった。有田いねの説明によると、細川京子のアルバムの中から剥《は》ぎ取られていた一枚の写真は、細川昌弥の小学校卒業記念の写真だったという。
細川昌弥が卒業した小学校は京都の平安神宮に近いS小学校ということだった。
八千代は手早くワンピースに着かえた。
平安神宮ならホテルからそう遠くはない。寛と逢《あ》うまでの中に、出来れば一つでも多くの材料を集めておきたいと思った。
ハンドバッグを抱えて八千代は部屋を出た。エレベーターで一階へ下りる。フロントへ鍵《かぎ》をあずけて言った。
「ちょっと近くまで行って来ます」
ホテルの外は暑かった。日ざしも強い。ホテルの冷房で、うっかり外の暑さを忘れて帽子をかぶって出なかった事を八千代は後悔した。
S小学校の所在地はわかっていた。左京区北白川である。
Mホテルは東山区でも左京区寄りの位置だからそう遠くはない筈《はず》である。それでなくても京都の街は東京とくらべたら東西南北の距離が短い。
眼の前の道をタクシーがのんびり走っている。インクラインのそばで八千代はタクシーを止めた。
「北白川のS小学校へ行きたいんですが」
「S小学校というと……?」
中年の運転手は車を走らせながら思案している様子だった。
「あの、京大のグラウンドの近くだって聞いたんですけど……」
S小学校の所番地を告げると運転手は見当がついたようだった。
タクシーの窓からはなだらかな京都の山々が淡くかすんで見えた。八月十六日の大文字焼で有名な如意ヶ嶽《によいがだけ》の峰々も濃緑に包まれていた。
車が止まった所に校門があった。S小学校と札が出ている。
八千代は料金を払って下りた。夏休み中だから校舎はひっそりとしている。運動場のすみの砂場で七、八人の子供が遊んでいた。近づいた八千代に好奇の眼を見はっている。
「あの、教員室はどこかしら」
八千代の問いに子供達は顔を見合わせた。
「なんやって、なんやってか」
などと八千代の言葉を聞きそびれた子が、仲間に尋ねている。誰《だれ》も答えない。
子供特有な遠慮のない視線を浴びて八千代は当惑した。
「ね、先生のいらっしゃる所はどこ?」
重ねて聞くと鉄棒にぶら下がっていた子が片手をあげた。
「あっちや」
指したのは校舎の中部辺りの見当だった。窓の開いている部屋がある。
「どうも有難う」
礼を言って、八千代は校庭を横切って行った。
暗い昇降口がある。下駄箱が並んでいた。古めかしい。廊下はその割にきれいだった。
八千代はハイヒールを脱ぎ、下駄箱の上にのせてから廊下を教員室の方角へ歩いた。
男の声が聞こえていた。二人である。声高らかに喋《しやべ》っている調子は世間話のようである。
開け放してある教員室のドアに立つと、八千代に部屋の中が見渡せた。真ん中の机をはさんで老人が二人、茶を飲んでいる。
二人の老人の中の背の高いほうが教師で、小肥りの額が抜け上がった男は小使いさんのようだった。服装と雰囲気が二人を区別させた。
八千代は驚いている二人へていねいに挨拶《あいさつ》し、尋ね人のことで、この学校の古い卒業写真を見せて貰《もら》いたい旨を伝えた。
「卒業写真が尋ね人の手がかりになるとは、どういうことですかな」
みるからに好人物らしい老教師は八千代の話に興味を持ったようだった。
「はい。実は私どもの尋ねている人が、このS小学校の出身らしいということが最近、わかりましたので、もし卒業写真を拝見してその人が見当たりましたら、一緒に卒業された方々の住所をお教え頂いて、もし心当たりがないかおたずねして回りたいと思いまして……」
八千代はなるべく曖昧《あいまい》な答え方をした。そんな彼女の様子に複雑な事情があると考えたのか、老教師はあっさり八千代の言葉を信用してくれた。
「なるほど、それでその尋ね人は何年に卒業されたんですか」
老教師の言葉にあまり訛《なま》りはなかった。教師という職業のせいかも知れなかったし、八千代が東京から来た人間と知って意識して標準語を使っているようでもある。
「昭和十八年らしいんです」
八千代は細川京子のアルバムに残っていた文字を想い出した。剥《は》がされた写真の傍に記してあったのは、昭和十八年三月二十五日、講堂にて、である。
「昭和十八年……だいぶ前ですな。終戦前というと……」
老教師は隣の部屋へ入って書類棚を眺めた。古い書類や名簿などがずらりと並んでいる。順序正しく並んでいる部分もあれば、めちゃめちゃに積み上げてある棚もある。
老教師はしばらくあちこちを探してから、古びたアルバムを取り出して来た。
「この中にあると思いますがねえ」
表に墨で昭和十年から昭和二十年まで、卒業写真|貼付《てんぷ》と書かれている。
どれも講堂らしい背景に五十人ばかりの生徒と、最前列にずらりと教師が並んでいた。
昭和十八年のを見た。今までのと同じような卒業写真である。食い入るように八千代は眺めた。
(この中に少年時代の細川昌弥がいる……)
細川昌弥の映画スター時代の顔を八千代は知っている。能条寛とライバル的な存在だったせいもあって、八千代はかなり関心を持っていた。しかし、似たような坊主頭の少年の顔ばかりだ。五十余人の生徒の中の約半分が男子である。昭和十八年卒業は四組あった。
合計二百余名の生徒が卒業したわけである。
写真の下部に生徒名簿がついていた。卒業生の姓名と住所がイロハ順に書いてある。
八千代は名簿の名を捜した。細川昌弥の名は簡単に発見出来た。彼は芸名と本名が同じである。
八千代はかすかな嘆息をついた。
やっぱり、あのアルバムから消えた一枚の写真はこのS小学校卒業記念のものである。
(なんのためにこんな卒業写真を剥《は》いで行ったのかしら)
疑問が新しく胸に湧《わ》いた。もし寛の推定が当たっているとしたら犯人は細川京子をこの一枚の卒業写真を奪うために殺害したということになるのだ。
しかし……。八千代は老教師を見た。
「わかりましたか」
心配そうに訊《き》く。
「はい、どうやら……」
「それはよかったですね」
「すみませんが、この生徒名簿の住所を写させていただけませんでしょうか」
「かまいませんよ。大変ですな」
八千代はハンドバッグからメモ帳と万年筆を取り出した。老教師のすすめてくれた机の前に坐《すわ》って写し出した。
「手がかりがつくといいですが、生徒の中でその住所に現在いる者が何人ありますかな。それでも京都は戦災にあわなかったので、まだよかったんですよ」
実際、老教師の言う通りであった。親の転勤で移転したものも、事情で故郷をとび出した者も少なくない筈《はず》である。昭和十八年といえば十七年前である。ましてその間には終戦という大きな社会変動をはさんでいた。
女の子であればほとんどが結婚している年齢である。五十人の住所を筆写しても、その中の何人が現在もその場所に住んでいるか心細い話だった。
名簿の筆写はかなり手間どった。京都の地名はわりあいに長いものが多い。
写し終わったのは四時すぎだった。老教師は隣室でテレビをみている。
礼を言って八千代はS小学校を辞した。
帰途のタクシーは吉田神社の横を通り、平安神宮から岡崎を抜けてMホテルへ向かった。
如何《いか》にも京都らしい平安神宮の朱の鳥居の前では外国人の夫妻が記念写真を撮っていた。付近は動物園やら美術館がある。
(細川昌弥は京都にいた時分、この付近に住んでいたと言った。そして、茜ますみも……) 八千代は町を眺めた。静かな町である。若い学生っぽいアベックが手をつないで散歩している。人通りも車の通行も、東京と比較にならないほど閑散とし、ゆったりしている。
(京都は恋をする都会だ……)
と或る雑誌の随筆欄で京都在住の作家が語っていたのを八千代はふと思い出した。
Mホテルへ戻り、シャワーを浴びてから、八千代はスーツケースを開けた。
白地のこま絽《ろ》に|琉 球 絣《りゆうきゆうがすり》を小紋染めにした夏の着物は八千代が自分で見立てて気に入っているものだった。赤、紺、水色、黒、茶、黄、グレイなど、かなり沢山の色を使っているのにそれらが巧みに調和して、夏らしい涼しげな色調をかもし出していた。
八千代は首筋にタルカンパウダーを叩《たた》きつけ、淡いピンクの長襦袢《じゆばん》を着た。ふわりとその上に着物をまとう。腰ひもをきりりと締める。姿見の中の八千代は全身が恋人を迎える喜びで上気しているようだ。
帯は濃い水色の無地、トルコ玉のような深い水色が絣の大人しさにモダンな感覚をプラスしていた。帯締めは紺一色。
八千代はスーツケースから草履《ぞうり》を取り出した。紺に銀をあしらってある。
再び、鏡の前に立った。念入りに衿許《えりもと》を直し、帯の結び具合を確かめていると卓上の受話器が鳴った。フロントが、
「能条様がお見えです。ロビーでお待ちになっています」
と告げた。
エレベーターで下りると、能条寛はロビーのすみで新聞をひろげていた。今日はサングラスをかけていない。ベージュの背広の下に茶色っぽい模様のスポーツシャツを着ている。ロビーには観光客らしい外人がそれぞれにくつろいでいたが、八千代の和服姿を見ると感嘆の呟《つぶや》きを洩《も》らした。外国婦人の中にはビューティフルを連発しているのもある。
八千代はうつむきがちに寛の前へ行って立った。気配で顔をあげた寛が一瞬、眼を見はった。
「八千代ちゃんだったのか」
彼の眼に恋人の美しさを賛《たた》える喜びと驚きがあふれるのを認めて八千代は安堵《あんど》し満足した。
「疲れていらっしゃるのでしょう。ごめんなさいね。勝手な電話をして……」
周囲の眼を意識して、八千代は他人行儀に頭を下げた。
「どう致しまして、勇気百倍さ。君の電話があってからNGを一本も出さなかったよ」
寛は立ち上がった。
「なにが食べたい。なんでもお好み次第さ」
「そうね」
八千代は微笑した。
「なんでも結構ですけれど、なるべく静かな所がいいの。人の知らないような、平凡な場所……。つまり、あなたのあまり行きつけのお家でないほうがいいわ」
寛をよく知っている店だと挨拶《あいさつ》やらサービスやらで、うっかりすると二人きりで喋《しやべ》る機会を失ってしまうのを八千代は怖れたのだ。
その気持ちはすぐ、寛にも通じた。
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