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旅路13

时间: 2019-12-29    进入日语论坛
核心提示:    13翌日、雄一郎と千枝は中里親子をつれて、函館を案内した。昨夜の有里の態度が、雄一郎の心も、千枝の心もすっかり和ま
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翌日、雄一郎と千枝は中里親子をつれて、函館を案内した。
昨夜の有里の態度が、雄一郎の心も、千枝の心もすっかり和ませていた。
案内するといっても、雄一郎も千枝も函館は、はじめてであった。おまけに函館見物の大半は弘子の希望で、石川啄木にゆかりの土地ばかりを観て歩くことになった。
石川啄木が函館に暮したのは、明治四十年の五月から九月までである。たった四か月ではあったが、「僕はやっぱり死ぬときは函館で死にたいように思う」と語ったほど、彼はこの土地が気に入ったらしい。
  函館の青柳町《あおやぎちよう》こそ悲しけれ
友の恋歌矢車の花
  しらなみの寄せてさわげる
函館の大森浜《おおもりはま》に思いしことども
  函館の臥牛《がぎゆう》の山の半腹《はんぷく》の
碑《ひ》の漢詩《からうた》もなかば忘れぬ
 啄木が函館の町をうたった歌は多い。
弘子は啄木に心酔しているだけに、永いこと、函館の町に憧《あこが》れを持っていたらしかった。
今度の北海道旅行の目的も、どうやらそのへんにあったのではないだろうか。
とすれば、室伏一家にとっては、大変に迷惑な話だった。
弘子は、青柳町はもちろん、啄木の歌に出てくるとおぼしき箇所を歩き回った。
やがて、啄木の墓のある臥牛山の中腹の共同墓地へ寄った。
「とうとう、やって来たんだわ……」
弘子はうっとりと墓碑を眺めていた。
「やっぱり来てみないと、本当の歌の意味はつかめないわねえ……」
一人で勝手に感動したり、はしゃいだりした。
立待岬《たちまちみさき》から、雄一郎は一行を五稜郭《ごりようかく》へ案内した。
幕末の頃、安政四年から、八年がかりで造られたという日本最初の洋式設計の城郭である。また、明治維新の際、江戸を脱出した榎本武揚を主将とする幕臣たちが、明治政府軍と激戦を交えた、つわものどもの夢の跡でもあった。
しかし、弘子はせっかくの雄一郎の案内にも、啄木ゆかりの場所以外はまるで関心をしめさなかった。
そんな弘子と、楽しそうに雄一郎の説明を聞いている有里との対照は、なんとも奇妙なものだった。
知らない人が見たなら、雄一郎の見合の相手は、弘子ではなく有里かと思い違えるかもしれなかった。
それほど、弘子の態度は自分勝手で、そっけなく、それを補おうとする有里は、遠慮がちにではあったが、どうしても雄一郎や千枝との会話が多くなった。
そして、弘子と雄一郎の違和感は、湯ノ川温泉へ帰りつくころには、かなりはっきりとした形となってあらわれるほどになってしまっていた。
翌朝、ようやく腰をあげた中里家の人々と共に、雄一郎と千枝は函館本線を塩谷へむかった。
塩谷の駅には、はる子とそれから思いがけず手宮駅長南部斉五郎が出迎えていた。
「駅長さん、留守中に何かあったんですか」
雄一郎は思わず南部に駈け寄った。
「私の手落ちかなにかで……」
すると、南部は鼻下のチョビ髯《ひげ》をふるわせて笑った。
「なんにもありゃあせん……わしゃ、お前の親がわりだからなあ、わしの伜《せがれ》のお客さんを迎えに来たんじゃよ」
「駅長……」
雄一郎の胸に、熱いものがこみあげてきた。
「駅長じゃない、親父《おやじ》さんと呼べ、この大飯ぐい……、いいか、こういう時は、わしたち年をくった者に任しとくもんだ」
そういうと、南部は中里みちのところへ歩み寄って行った。
「どうも遠方を……よういらっしゃいました」
駅長らしい鷹揚《おうよう》な敬礼をしてから、うしろに慎しく控えたはる子を紹介した。
「これが雄一郎の姉のはる子でございます」
「遠いところを、ようこそ……」
はる子は一歩前へ出て、ていねいに一礼した。
雄一郎には、みちがなんとなくけ圧《お》されている様子なのがよく分った。位負けとでもいうのだろうか、いつも人を小馬鹿にしたような顔で応待する女が、南部の前では一応神妙にしている。
はる子の態度にほとんど隙《すき》のないのも、みちを驚かせたらしい。
尤《もつと》も、みちがけ圧されるのも道理で、南部斉五郎という男は、普通なら今頃は東鉄の要職にある人物だった。今をときめく尾形政務次官とは中学時代の同窓で、お前俺と呼び合う仲だったが、尾形が岩鉄《がんてつ》(岩倉《いわくら》鉄道学院、明治期鉄道の最高学府)を出たのに対し、彼は家が貧しかったため、中学だけで鉄道へ入った。しかし、清廉潔白《せいれんけつぱく》、人情の機微を解し、昇進こそ遅かったが、現場での信望は篤《あつ》かった。
当時、東鉄内部では、上層部と現場の間に意見の対立があり、彼は現場を代表させられて上司の尾形と激論をかわし、結局意見がいれられなかったため、彼はいさぎよく身をひき、自らすすんで地方の駅長の道をえらんだのだった。
しかし彼の人物を惜しむ声は多く、つい先日も、尾形政務次官の内命を受け、札幌管理局の大岡局次長が、南部の中央への復帰を要請してきたが、彼は、
「誤解されるといかんから申し上げておくが、私は決して十五年前のことにこだわって居るわけじゃない、従って、尾形君にも私怨《しえん》はさらさらないつもりだ……、意見の相違はあっても、彼と私とが年来の友人であることは気持の上で少しも変っていないつもりだ。しかし、私はすでに骨を北海道に埋める気でいる。たって、私を東京へ復職させるというのなら、私は鉄道を辞職する……」
と、きっぱり拒絶した。
南部斉五郎が部下を思うことは大変なもので、それは雄一郎の例でも判るように、実の父親以上であった。
雄一郎を鉄道へ入れてくれたのも彼だし、千枝を売店で働けるように取り計らってくれたのも彼だった。両親を失った室伏きょうだいが曲りなりにも生きてこられたのは、すべて彼のお蔭だった。
彼の下に働く者は、実際、いつでも彼のために生命を投げ出すことを辞さないほどだった。
この日も南部斉五郎は雄一郎のために、完全に父親の役をつとめてくれていた。
南部駅長は先に立って、中里家の一行を塩谷の室伏家へ案内した。
家の中は、はる子の心づかいできちんと片づき、棚には菊の花が飾られていた。
無論、尾鷲の中里家には比ぶべくもなかったが、部屋のすみずみにまで、中里親子を心から歓迎する気持がこもっていた。
しかし、みちや弘子が家へ上って、じろじろと部屋の中を観察してみるまでもなく、彼女たちは、この室伏の家にはまったく不釣合いであった。
弘子は囲炉裏《いろり》の煤《すす》で、てかてかに光った柱や天井の梁を気味悪そうに眺めていた。
有里は、みちと弘子の従者といった形で、二人のうしろに控え目に坐っていた。
会話は、もっぱらみちと南部のあいだで取り交わされた。
みちは出来るだけ沢山、雄一郎の非を探し、帰ってから浦辺友之助や勇介に数えたてるつもりだったし、南部はこの親子が、将来雄一郎の嫁として、義母としてふさわしい人物かどうかを観察していた。
「すると、鉄道というのは、およそ何年くらい勤めれば駅長さんになれるもんなんでございましょうねえ」
「当人の努力次第ですな。年月じゃありません」
「それでもなんでございましょう……帝大を卒業した方と小学校卒とじゃ、先へ行って随分とひらきが出来てしまうんじゃございませんか」
「いや、それも当人次第ですな」
南部はみちの意地の悪い質問を、柳に風と受け流していた。
「左様でございましょうか、どこの社会でも、やっぱり学歴というものが出世にひびいてくるものと違いますか」
みちは、あくまでも学歴有用論で南部を組み伏せようとする。
「私の周囲では、すくなくともそうなっているようでございますがねえ……」
南部の眉《まゆ》がすこし動いた。
「ほう、そうですかな……」
表情はいつもと同じ温顔である。
「帝大出てきた奴でも駄目な者は駄目、小学校卒でも役に立つ奴は役に立つ……。人間の価値は学歴でもないし、肩書でもない、役に立つか否かです。鉄道は駅長になったから偉いというもんじゃありません、線路工夫でもえらい奴はえらい……」
南部は話しながら相手の反応をじっとみつめていた。
「この保線区に岡本という爺《じい》さんがいます。保線、つまり、常に線路を守る役目ですな、雪崩や崖《がけ》くずれで列車が危険におちいることがないか……、事故を未然にくい止める、いわば縁の下の力持ちですな。岡本爺さんにとって、札幌、小樽間の線路はまるで我が子みたいなものなんですよ、どこの区間が雪崩に弱いとか、どこそこは高波にやられやすいとか、我が子の体みたいに手、足、爪《つめ》の先まで健康状態がわかっとる。肩書なんかありゃしません、大学卒でもない……、しかし、そういう人が鉄道にとってはひじょうに大切なんです、なくてはならない存在なんですよ」
「線路工夫のお話など、承っても仕方がございませんわ」
みちは、ぴしゃりと言った。
「左様ですかな……」
南部は苦笑しただけだった。今度は弘子の方に向き直り、
「お嬢さんも鉄道にはあんまり関心をお持ちじゃないようですな」
と質問した。
「よくわかりませんの、鉄道のことなど……」
「ほう……」
眼許《めもと》に浮かべた微笑はそのままで、
「あなたは、失礼ですが、どんな趣味をお持ちですかな」
と聴いた。
「短歌の勉強を致しておりますの、明日香《あすか》会と申す女流歌人の方々の雑誌にも、時々投稿致して居りますようで……」
母のみちがかわって答えた。
「ほう……」
こんども、微笑をたたえたままである。
「今度こちらへ参りますにも、北海道は石川啄木が住んだことのある土地だというので、とても楽しみにして参りましたんですのよ」
「ほう……」
南部の顔から、微笑が消えた。
「あの……」
はる子が、そっと口をはさんだ。
「みなさま、長い道中でお疲れでございましょう、よろしければお風呂も沸《わ》いておりますから……」
「お風呂は宿へ戻ってに致します」
「宿……と申しますと?」
「小樽には、少々ましな宿屋もあるそうでございますね」
「はあ……でも、もしよろしければ、むさくるしゅうはございますが、私どもで、気易くおくつろぎ下さいませんでしょうか」
「いいえ、そういうわけには参りません、宿のほうが勝手でございますから」
みちはきっぱりと断った。
「よろしい、小樽の宿へ御案内しましょう……」
南部がすぐさま引き取った。
「はるちゃん、お望みにまかせたほうがいい……な」
はる子に、眼で素早い合図を送った。
「はい……」
はる子は南部の合図の意味が分って、素直にうなずいた。
この日のために、彼女がどれだけ多くの苦労をして準備をし、また、楽しみにしていたかなどということは、みちや弘子にとっては、なんの意味もなさなかった。それを察するだけの、心の豊かさも広さもなかった。
有里だけが、いまにも泣きだしそうな顔をして、じっと俯《うつむ》いていた。
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