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男とは何か23

时间: 2020-09-27    进入日语论坛
核心提示:第二十三信「馴染みの店」について『一杯のかけそば』という短篇小説がひところ随分と話題になった。 私は涙もろいタチだから、
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 第二十三信「馴染みの店」について
 
『一杯のかけそば』という短篇小説がひところ随分と話題になった。
 私は涙もろいタチだから、あれが転載された週刊誌を読んで恥ずかしながら貰い泣きをした口だ。
 だからといって、いい話だから君もまだ読んでいないのなら是非読んでみなさい、というつもりはまったくない。ただ、あれを読みながらふっと思ったのは、昔、私にもあんなふうに情けをかけてくれたそば屋のあるじ夫婦のような人がいたな、ということだ。
 それは昭和二十年の終戦から五、六年経《た》った頃のことだ。私は大学に入ったものの、学校の勉強どころか空腹をしのぐために、学校へ出るよりはアルバイト先に顔を出す方が多いという毎日だった。それはなにも私だけでなく、あの頃の学生というのは、ほんのひと握りの裕福な連中を除いてはほとんど似たり寄ったりの半飢餓状態にあった。
 その頃の私は、学部の先輩で、新聞社に勤めながら文芸評論を書いている人に誘われて、まだ学生の身分でありながら新聞記者の卵のような仕事を学校そっちのけでやっていた。といっても正社員ではなく日当制だったから収入はたいしたことはなく、三度三度の食事に事欠かない程度に過ぎなかった。
 だが、夕方の一杯となるととてもそんな余裕はなかった。酒の味を覚えたてだったのと、なにしろ酒豪揃いの新聞社だから、仕事が退《ひ》けるとどうしても近くのバラック建ての飲み屋街に足を運ぶことになるのだが、懐の方にはとてもそんなゆとりはない。
 だから飲むとはいっても、一杯三十円の焼酎をグラスに二杯が財政上の限界で、調子に乗ってもう一杯、あるいは湯豆腐やモツ煮込みといった肴を取ろうものならたちまち懐は破綻してしまい、翌朝の外食券食堂のメシ代に喰《く》い込んでしまう。
 毎晩のように顔を出していたその店は、十人も入るといっぱいになる小さなカウンターの飲み屋で、私の母親とほぼ同年輩のおばさんが一人でやっていて、われわれ若い客はそのおかみを「お母さん」と呼んでいたものだ。
 だんだん馴染《なじ》んできて、私なんかが、空きっ腹におつまみなしで焼酎を流し込んでいると、焙った目刺しを二、三本ひょいと差し出し、片目をつむって、「サービスよ」と言ってくれたりするようになった。
 懐が乏しいとき、「じゃあお勘定して」と声をかけると、まるでこちらの財布を透視してでもいるように、「いいよ、つけといてあげるよ」とぶっきら棒に言ってくれ、そのあたりを境にひと月分を給料日に払うようになったんだが、なにしろひどい時代だったから、靴下一つ買うのにも考え込むという按配で、どうしても飲み屋の勘定は溜まりがちになり、ひどいときは一年くらい溜めたこともあった。それでも「いいのよ、気にしないで。あなたの勘定くらいじゃ潰れないから」と言ってくれ、遠慮して足が遠のくと、電話がかかってきて「なぜ来ないの?」と水を向けてくれたりもした。
 これはなにも私だけに限ったことではなく、同じような若い常連は、随分とその「お母さん」の世話になったもので、それこそ『一杯のかけそば』以上の人情を受けたことになる。その「お母さん」はもう二十年以上前に亡くなったが、考えてみればあの飲み屋に慰められ励まされたおかげで、曲りなりにもいまがあるような気がするくらいだ。
 それから後も、さまざまな「馴染みの店」が私にはあった。縄のれんのような一杯飲み屋もあれば、銀座の地下の潜水艦の中のような小さな酒場もあったし、いま七十になってまだ毎晩店に出てきているママの店は三十年以上も通い続けている。
 それは私が酒飲みのせいでそうなったんで、母さんに言わせれば、「あなたがもしお酒を飲まなかったら間違いなくもう一軒家が建ってたわね」ということになるのだが、私は、家一軒よりもっと大切なものが、この「馴染みの店」にあったような気がしてならない。
 とくに日本のサラリーマンというものは、会社を退けた後、その仲間と連れ立って一杯やり、昼間の続きを酒でほぐれた状態でやり合うというところがあって、これをトインビーあたりが「日本型ビジネスの一つの大きな原動力」と評価し羨《うらや》ましがっているくらいで、一種仕事に不可欠な時間といっても、けっして酒飲みの自己正当化には当らない。
 そこで、その「馴染みの店」だが、君もそろそろサラリーマン二年生だから、二軒や三軒のそういう店が出来た頃ではないかと思うのでちょっと言っておきたいと思う。
 それというのも「馴染みの店」というのにはある意味で両刃の剣的性格があるからだ。
 なにしろ「酒」とくれば「女」と続くのは今も昔も変わらないことで、「馴染み」になれるというのは、会社のすぐ近くにあるからとか、勘定が頃合でリーズナブルだからといった理由もないではないが、その店の人間と波長が合い、好意を持てるということなしにはなかなかそうはならないもので、しかもそれはたいていが女性である。
 私が若い頃世話になった飲み屋のように、母親ほどに年が違えばそんな気分になることはまずないが、五つや六つ年上だったら「好意」なるものの盾に男と女の気持がまじったとしてなんの不思議もない。
 そこでだ。私の長年の懺悔録《ざんげろく》の箴言《しんげん》によれば、もしその「馴染みの店」を大切にしようと思うのなら、じっと我慢して「好意」にワクをはめ続けるのが最も賢明だと思う。
 こういうと、そんなことから飲み屋の女と結婚しなければならないような羽目にでもなってはと、それを危惧してのことのように受け取られるかも知れないが、そうではない。もし君が飲み屋の娘と結婚をする気持を固めたからといってそれに反対するつもりはないし、結婚しないまでも飲み屋の女を恋人にしたからといって咎《とが》める気もない。
 ただ、ひとたびそういう特別な関係になってしまうと、その相手がママであろうと使用人だろうと、もはやそこは「馴染みの店」たり得なくなるからだ。つまり一軒の貴重な「馴染みの店」を失うことでもある。
 男と女の思いというのは不思議なもので、かっとのぼせて飯も喉を通らなくなるほど惚れ込んでもそれを言葉に出して確認しないまま時間が経過すると、嘘のようにただの「好意」に澄んでくるもので、「馴染みの店」の場合、(ああこれでよかったんだ)と必ず後で思うものだからだ。
 女のことでついでにいえば、かりに深くなろうがなるまいが、その店の誰かと気持が通じ合っているのが「馴染みの店」だから、その相手と違うもう一人の店の女に心を移すのもまた、その「馴染みの店」を失うきっかけになるというのを忘れないことだ。
 女というものは、別に気持を確認し合ったわけでもなく、もちろん深い関係などなくても、自分が好意を持っていて、しかもしょっちゅうやってきてくれる客に、新入りの女の子に尋常でない関心を抱かれたりすると、嫉妬《しつと》する権利があろうがなかろうが逆上するのがパターンだからだ。
 それも、自分の方ではどうでもいいと思っている客でも、それが自分に通ってきてくれているのが明白な場合、その客が自分以外の女に熱っぽい目を向けたりすると、心穏やかでなくなるのが女というもので、これは飲み屋ばかりとは限らないのだが、小さな箱の中だけに、そんなことにでもなろうものなら、たちまち気まずくなって、ついつい足が遠のくのもまた、酒飲みのパターンの一つなのだ。
 これは蛇足かも知れないが、「馴染みの店」と自分で思っている店の勘定だけは、どこにも優先させてキチンキチンと払うよう心掛けておいた方がいい、「馴染みの店」という男の止まり木を大事だと思うならば。
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