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受精27

时间: 2020-09-30    进入日语论坛
核心提示:27 朝九時に出発するマイクロバスには二十人たらずが乗り込んだ。運転手はジョアナではなく、黒人の男性だ。年配の乗客が前の方
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27
 
 朝九時に出発するマイクロバスには二十人たらずが乗り込んだ。運転手はジョアナではなく、黒人の男性だ。年配の乗客が前の方に坐《すわ》り、舞子たちは中程に席をとった。お腹の大きいユゲットも、車は気にしていない。
「このあたりの夢のような景色もいいけど、たまにサルヴァドールの雑踏を味わわないと世捨て人になる」
 舞子と寛順《カンスン》の間に挟まれてユゲットが言った。
 前の座席の中年女性四人は、買物の話をしている。そのうちのひとりは紙片に買物リストを書いており、隣の厚化粧の女性が細かく助言をしてやっていた。どうやら市場でしこたま買い込み、そのまま自宅へ配送させるつもりのようだ。テーブルと椅子《いす》、ナプキンなどの単語も聞こえる。食堂で使う一式を買うのに違いない。
 舞子には特別買いたい物はない。きのうツムラ医師から預かったフィルムをひと巻、ポーチの中に入れていた。診察のあと、舞子が日曜日にサルヴァドールまで行くと聞いて、彼は鞄《かばん》の中からコダックのフィルムを取り出した。
「サルヴァドールの写真屋だと三十分で焼きつけてくれる。大事なものです。誰にも見せないで下さい」
 ツムラ医師は声を潜めて言い、百レアル札を一枚手渡した。
「サルヴァドールの古い街並をもう一度歩いてみたい。旅行ガイドを読んだら、興味がわいてきた」
 寛順が英語の本を見せた。病院の売店で買ったのだろう。活字ばかりで写真がなく、舞子は頁をペラペラとめくっただけで返す。
「わたしは例のレストランに行きたい。病院では出ない地元のバイーア料理がたくさんあったでしょう」
 ユゲットのひと言で昼食の場所は決まったも同然だった。
「クラウスはまだサルヴァドールには戻っていないわね」
 寛順が訊いた。
「退院はしていないはず。一度見舞いに行こうとは思うけど」
「わたしはベランダから見かけたことがある。夕方よ。スケッチブックを持って、庭の中を散歩していた。病人というより、画家の格好だった」
 舞子が口をはさむ。たぶんスケッチをするふりをして、病院の中の様子を調べていたのだ。
「案外、病院が気に入って居つくかもしれないわね」
 ユゲットが応じる。
 海岸線が見えていた。なるほど絵のような美しさだ。ヤシの並木があり、芝生のなかに白い壁、赤い屋根の別荘が点在し、その向こうは海だ。綿のような白い雲が控え目に浮いている。
 別荘の群が切れると、砂洲《さす》とヤシの林だけになった。砂洲の手前は浅い川だろうか。カヌーのようなものを操って、水草から何かを採集していた。
 砂洲にはやはりヤシが育ち、いくつも日陰をつくっている。目をこらすと、そこにも水着をつけた海水浴客が何人か見えた。そして砂洲の向こうはやはり海と青空と雲だ。
「この間、マイコはプールで泳いでいたわね」
 ユゲットが思い出したように言う。
 夕食前のほんの三十分くらいだったろうか。プールに誰もはいっていないのを見て、部屋で水着に着替え、十数回、行ったり来たりしたのだ。そのうち人が増えたので、上がって部屋に戻った。ユゲットは途中から来て、プールサイドの寝椅子で本でも読んでいたのだろう。
「きれいな泳ぎで、びっくりした」
「舞子の泳ぎって、見たことがない」
 寛順も驚く。
「久しぶりだったから息が続かなかった。海が近くてプールがあると、却って泳がないものね」
 泳ぎながら、明生《あきお》とプールに通っていた頃を思い出していた。明生と並んで泳ぐ背泳が好きだった。
「今度はマイコが先生になって、わたしたち二人が生徒。あのやかましい水球の仲間入りするより、ずっといい」
 ユゲットが言う。
「お腹の大きいのが三人、スイスイと泳いだら面白い」
 寛順も乗り気になっていた。
 病院内のすべてのレクリエーションには指導員がついているのだろうが、まだ泳ぎそのもののレッスン風景に出くわしたことはなかった。
 バスは前回とは違う道筋を辿《たど》った。
 陸路から突然海岸に出、前方に海が開けた。岬の先にある城砦《じようさい》のような建物には見覚えがあった。
 マイクロバスは海岸の方には下って行かず、ジグザグに坂道を登った。着いたのは、やはり前回と同じ教会前の広場だった。
 黒人の運転手が、出発時刻は三時半だと告げた。前の座席に坐っていた中年の四人組は、早くも物売りの少年につきまとわれている。
 前回来たときは修理中だった教会が、出入り自由になっていた。ユゲットに誘われて、石段を登った。物売りも柵《さく》の中までは追って来ない。
 礼拝堂の内部は金色と褐色で内装が施され、円形のステンドグラスから透過してくる陽光だけが頼りだ。柱の陰の薄暗い席で、老婆がじっと頭を垂れていた。
 祭壇と天井に金箔《きんぱく》がふんだんに使われている他は、説教台も腰板も椅子も、すべてコーヒー色の木材でできている。どこか土俗的な雰囲気がする。
「白人たちの教会ではなかったのね、きっと」
 ユゲットが金色のキリスト像を見上げて言った。褐色の十字架にかかげられたキリストの顔はヨーロッパ人ではない。髪も縮れ毛で、ムラータの容貌《ようぼう》に近い。
 舞子と寛順が祭壇の周囲を眺めている間、ユゲットは膝《ひざ》を折って祈っていた。
 教会を出たとたん、カセット売りの少年と、祈りの文句を書いたリボン売りの女の子が寄って来る。二人は兄妹なのか、石畳の下り坂まで来ても諦《あきら》めない。寛順が仕方なく一レアル紙幣を与えて、女の子から三本のリボンを買った。
「ここに来るたびに買わされる」
 寛順は苦笑し、ユゲットと舞子に一本ずつ分けてやる。舞子はポーチのベルトに結びつける。日本の神社で買うお守り札と思えばいいのだが、お札を押し売りする子供など日本にはいない。まさしくここはブラジルだ。
 坂道の途中にコダックの看板が出ていた。店構えの大きなカメラ屋で、カメラの他に望遠鏡なども売っている。舞子は二人に外で待っててもらい、店の中にはいる。英単語を並べながら、一時間で出来上がるか訊いた。鼻髭《はなひげ》を生やした店の主人は、人差指を立てて承知したと言い、控え証を出し名前を尋ねる。マイコ・キタゾノと発音したが、店主はそのアルファベットが分からず、最後には舞子が自ら記入するはめになった。
「日本人か?」
 店主は笑顔を見せた。舞子が頷くと、「この店のカメラの九割は日本製だ」と両手を広げた。
 店を出るとき、自分がずっと、カメラの存在さえ忘れていたのに気づいた。三十六枚撮りのインスタントカメラを三個スーツケースの中に入れてはいたが、撮ったのはまだ十枚にも満たない。もともと写真には興味がなかったが、ブラジルに来てからは、この頭がすべての場面を記憶しておいてくれそうな気がするのだ。
「レストランにはいる前に、カンスンが見たがっている旧市街に行って見ようか」
 ユゲットが誘った。
 医学部の古い建物跡から坂道を横に曲がった。真中の凹《へこ》んだ狭い石畳が建物の間に延びている。車のはいり込む幅はなく、通路の上には出窓が何重にも張り出していた。
 通路は途中で鉤形《かぎがた》に曲がり、広い階段通りに出た。大通りがそのまま急な石段になっており、下の方にある広場まで続く。石段の両側が古い町並だった。
「車なんかいらない時代の街のたたずまいね」
 寛順が感激した面持で言う。「自転車だって、この階段道だと登って来れない」
「お手伝いや奴隷がいたから、こんな不便な所に住めたのかもしれない」
 ユゲットが石段に腰をおろして言った。
「でも、本当に人間だけの街ね。路地からこの石段に出れば、まっすぐ海が見渡せるでしょう。陽が沈むのを見ながら、ここでいろんな遊びができる。石段上がりをしたり、石にクレヨンで絵を描いたり」
 その情景がありありと浮かぶ。舞子もユゲットの傍に坐《すわ》った。寛順だけが立ったまま海を眺め、また振り返って石段の上を見つめる。カメラにおさめたら、カレンダーの写真になりそうな寛順の美しさだ。
「海辺のリゾートもいいけど、こんな古い街並もいい」
 ユゲットが嘆息する。「サルヴァドールって、海を眺めるためにできた街なのよ。先祖がアフリカから連れてこられたので、その子孫もずっと海を眺めながら暮らした。海のかなたにきっと天国を感じていたのだわ」
 石段の下の方から、黒い服をまとった老婆がゆっくり登って来る。手に竹籠《たけかご》をかかえ、一歩一歩足を踏みしめる。黒い犬が一緒で、早足で四、五段登っては、主人の到着するのを待ち、また駆け登る。
 近づいて来ると、老婆はまず寛順に「ボーア・タールヂ」と言い、ついで舞子たちにも笑顔を見せた。息切れもしていない様子で、重そうな籠の中には、丸いパンと紙包み、マンゴーに似た果物がはいっていた。
 寛順がいつまでもその後ろ姿を見送っている。寛順の頭のなかには、故郷の古い村が思い出されているのかもしれない。農村と港という違いはあっても、同じように住民が中世以来の住居に生活しているところなのだ。
 再び狭い石畳を通る間、寛順は何か考えるように口をつぐんでいた。
 表通りでは、土産物店の前で男たちが呼び込みをしている。「ヤスイヨ」という日本語を舞子に浴びせかけた男もいた。店内にTシャツを山のように積み上げている。
 広場に面した料理学校はすぐ判った。
 レストランには四、五組の先客がいたが、運良く窓際のテーブルに坐れた。
 舞子は、病院のレストランで見かけなかった料理だけを皿についでいく。ほんの一口だけ取るのを見て、給仕の卵が近づき、皿を持ってくれる。舞子は給仕が選ぼうとする料理に対して、イエスかノーを言えばいい。給仕は舞子の指示通り、十種類ほどの料理を色鮮やかに皿につぎ分け、微笑しながら舞子に渡した。
 ルーレット盤のようになった舞子の皿を見て、寛順もユゲットも手を叩《たた》く。いい考えだと感心する。全部味わって、二皿目には気に入った料理だけを攻めれば良いのだと言うが、そこまで食欲があるかどうか分からない。
 食べるとき、パレットの上の絵の具をナイフとフォークでかき混ぜるような気分になる。黒っぽい温野菜にはかすかな甘味があった。橙色《だいだいいろ》に煮つめられた牛肉は、独特のカレー風味がきいていて、もう少し食べたい気がした。
「あれを見て」
 窓際にいたユゲットが、食べる手を休めて言った。
「ドクター・ライヒェルじゃない?」
 寛順も声を上げる。舞子は上体を伸ばして窓の外を見やった。
 向かい側の歩道をひとりで降りてきているのはジルヴィー・ライヒェルだ。病院にいる時の比較的地味な服装とは違って、金色のブラウスに白いパンツ姿だ。大柄な金髪は、人通りの多いなかでもかなり目立つ。
「なかなか魅力的な中年だわ」
 ユゲットが見とれている。
 ジルヴィーは付近の地理には馴れている様子だ。五階建のビルの前で立ち止まり、鍵《かぎ》で扉を開けて中に消えた。
「店でもないのに何の用事かしら。まさかこんなところに別荘がある訳ではないし」
 寛順が首を捻《ひね》った。
 ジルヴィーは面接のとき、こちらの心理状態や関心事、子供時代の思い出についてはよく尋ねるくせに、自分に関しては何ひとつ話さない。ただ病院の近くにある一戸建の住宅に住み、紺色のベンツ車で通ってくるのだけは知っている。それも彼女から話したのではなく、たまたま病院の駐車場で彼女と出くわし、舞子が質問したから分かったのだ。
 周囲の建物が外壁を塗り直しているなかで、その五階建のビルだけがくすんだ灰色のままになっている。二階から最上階までバルコニーつきの窓があるものの、すべて鎧戸《よろいど》がおろされて、内部は見えない。両隣のビルの窓にプランターが置かれたり、洗濯物が干されているのとは対照的だ。屋上にある衛星放送用のアンテナと、避雷針のような高いアンテナだけが、不釣合に真新しい。
「たぶん、好きな男の人でもいるのよ。若々しい装いはそのため──」
 ユゲットが片目をつぶる。「どんな恋人と出てくるのか、じっくり見張ってみようか」
 交代で料理を取りに行った。舞子が気に入った二つの料理を皿に盛ろうとすると、また給仕が近づいて来た。やはり口に合ったでしょうという素振りで話しかける。舞子が少しでいいと言うのを無視して食べきれそうもない量をよそってくれた。
「気に入られたのよ、きっと」
 寛順が言う。「わたしのときなんか、じっと遠くから眺めるだけ」
 舞子はデザートを半ば諦《あきら》め、覚悟を決めて温野菜と牛肉を口に入れる。
 ビールを飲んでいる寛順は、目の縁がほんのり赤くなっていた。
 メインディッシュを食べ終わる頃になっても、ジルヴィーは建物から出て来ない。
「やっぱり普通の用事ではないわ。愛の巣があるのかもしれない」
 ユゲットが言う。
「でも愛の巣なら、もう少し窓辺をきれいにしてもよさそう」
 舞子は反論する。少なくとも自分なら、鎧戸を開け放ち、レースのカーテン越しに外の光を室内に入れたくなる。
「わたしも舞子と同じ意見」
 寛順が賛成する。「やっぱり、何かの用事よ。それも重大な」
 最後はどこか茶化すように言った。
 ユゲットがデザートにチーズを取り、寛順が大盛りのアイスクリームを持ってきたのに比べて、舞子は迷った挙句パパイアをひと切れ皿にのせた。
「もう夕食は食べなくていい」
 舞子は他の客を眺めながら言う。すべてのテーブルが客で埋まっていたが、他人が食べているのを見るだけで苦しくなる。
「マイコはそれが口癖。夕食をお腹いっぱい食べて、もう朝食はいらないと言ったはずなのに、翌朝になると、ちゃんとパパイアを四切れも五切れも食べてしまう」
 ユゲットが笑う。「それでいて体重が増えないのだから羨《うらや》ましい」
「出てきた!」
 寛順が窓の外を見やった。
 ジルヴィーはさして周囲を気にする様子もなく、扉を閉める。同じ坂道を脇目《わきめ》もふらずに上がって行く。
 手にしたハンドバッグも来がけと同じだった。
「何かを注文しに来たという感じね」
 寛順が確信ありげに言った。「例えば靴の注文とか洋服の仮縫い──」
「それだったら、お店の看板が出ているはずよ。あの建物には何にも標示がない」
 ジルヴィーの後ろ姿を最後まで見送ったあとで、ユゲットが異を唱える。
「だから、何か特別な靴とか洋服とか」
 答えた寛順自身も笑った。
「あるいは、ジルヴィー自身が、何かカウンセリングを受けているのかもしれない。そういうのってよくあるでしょう。心理学者がまたその上の心理学者に治療をしてもらう例。その証拠に、彼女、来たときよりも帰りがけのほうが生き生きとしていたわ。一時間半という時間も、カウンセリングにはちょうどいい」
 舞子が言うと、二人とも感心したように頷《うなず》く。
「なるほど、それね。専門家だけのカウンセリングだと、看板など掲げなくてもいい」
 ユゲットが結論づける。「でも、彼女には、わたしたちが見ていたことは言わないことね。自尊心の問題だから」
 そう言って給仕を呼ぶ。
 三人で三十八ヘアイスの代金は、ひとり十三ヘアイスずつ出し、余った一ヘアウをチップとしてテーブルに置いた。
 レストランの出口でも三、四人の給仕に見送られた。
 広場に出て、ジルヴィーが訪れた建物の前に行ってみる。表札も何もない。木製の扉についた真鍮《しんちゆう》の把手《とつて》だけは、ピカピカに光っていた。
 坂道を登り、舞子は途中にあるカメラ屋でプリントされた写真を受け取った。
「まだ何枚もフィルムは残っていましたよ」
 と髭面《ひげづら》の店主は言い添える。代金は二十五ヘアイスで、ツムラ医師に見せるためのレシートもポーチの中にしまい込む。
 あと一時間くらいしか残っていない。海辺の市場に行って買物をするにも中途半端な時間だった。
 上の広場にある石像の前で、男が弾き語りをしていた。木箱に腰かけ、ニスの剥《は》げたギターをかかえて伴奏をとり、語りかけるように唱う。ボサノバなのかもしれないが、ところどころに叫びを入れて、民族音楽風でもある。
 舞子は一ヘアウをギターケースの中に入れた。十ヘアイス紙幣や硬貨が既にはいっているところからすれば、かなりの人気者なのだろう。傍で聞いているのは二十人足らずだが、木陰のベンチや石の柵《さく》に腰かけている観光客も耳を傾けている様子だ。
 教会の裏手にある店の外に、テーブルとパラソルが出されていた。
 席をとってコーヒーを注文する。
「みんな教会の正面ばかり眺めたがるけど、わたしは後陣が好き。パリのノートルダム寺院もそうだし、シャルトルの大聖堂もそう」
 ユゲットが教会を眺めやって言う。なるほど、教会の正面が、漆喰《しつくい》や木材、タイルなどで華やかに装飾されているのに比べ、後ろの方は美しさよりも実質的な力強さが優っている。大きな柱と大きな梁《はり》が縦横に交叉《こうさ》して、高い屋根と鐘楼を支えている。
「舞子、写真を撮ったのね、見てもいいかしら」
 寛順が訊いた。ツムラ医師からは誰にも見せるなと言われていた写真だ。
「わたしの撮ったフィルムではないの」
「誰の?」
「ドクター・ツムラ」
「だったら、よけい見たい。どうせカメラ屋が見ているのだから、わたしたちが見ても構わないわよ」
 ユゲットが言った。
「じゃ、わたしが確かめてみる」
 迷いながらも、舞子は袋から写真を撮り出し、まず自分で点検する。室内でフラッシュをたいたらしく、色が良くない。秘密めいた写真を期待していた舞子は落胆し、二十数枚の写真をテーブルの上に置いた。
「何か実験室のようね」
 そのうちの一枚に眼をやったユゲットは、興味がないというように写真を押しやる。
 寛順だけが一枚一枚を吟味していく。
「ドクター・ツムラはこれをどこで撮ったのかしら」
 寛順が訊《き》いた。
「知らない。ただわたしがサルヴァドールに行くと聞いて、即日仕上がりを頼んだの」
「プリントを急いだのね」
「そう思うわ」
 舞子の返事に寛順は納得し、また写真に眼を走らせた。
 見終わった写真をユゲットに渡す。
「どこかしら」
 ユゲットに言われても舞子は首を振るしかない。写真はパネルのようなものを写し出していた。
「少なくとも実験室ではないわね」
 首をかしげたユゲットに、寛順は別の写真を手渡す。
「これは保険会社の名前だわ」
 五、六枚目の写真を手にしたとき、ユゲットが言った。カメラはコンピューターの画面を大写しにしていて、横文字が十行ほど並んでいる。ユゲットはその下の方の文字を指さした。
「ブルークロス・ブルーシールドというのはアメリカの保険会社」
 寛順が驚いた顔をすると、ユゲットは続ける。「わたしも保険会社に勤めていたから、世界の主な保険会社は知っている」
「じゃ、これは?」
 寛順は握っていた別の写真を見せた。やはりコンピューターの画面が写り、似たような文字が連なっている。
「このボストン・ミューチュアル・ライフというのも保険会社」
 ユゲットが唸《うな》る。
「そうすると、この画面には患者の名前と年齢、性別、国籍、連絡先、診断名、保険会社が記録されているわけね」
 寛順が確かめるように言う。
「待って。さっきの写真、これこれ」
 ユゲットは、パネルを撮影した写真をもう一度見直す。「たぶんここに標示されているのは、保険会社の所在地よ。ボストン・ミューチュアル・ライフはもちろんボストンが本拠地、ブルークロス・ブルーシールドはコネチカット州にあるから、ここがそうかもしれない。東京にもソウルにも、いくつか赤い点が打たれているでしょう。当然、保険会社はあるはずよ」
 念をおされて、舞子も寛順も頷く。
「でも、なぜわざわざこんなパネルをつくるのかしら」
 寛順が首を捻《ひね》る。
「それは簡単。ネットワークを示すためで、わたしが勤めていた会社にもあった。フランス国内の支店と、海外で提携している会社を、こんなふうに書き入れた地図を作っていた。ほら、このネットワークの中心がサルヴァドールだから、そこにある会社と、これらの会社がネットワークを形成している」
「これはたぶん、サルヴァドールではなくて、わたしたちのいるフォルテ・ビーチ病院」
 横あいから寛順が言った。
「なるほど。それでドクター・ツムラが写真を撮ったのね」
 ユゲットが頷く。
「でも、どうして病院が、世界中の保険会社とつながりをもっているのかしら」
 舞子は疑問を口にした。こんな写真をツムラ医師が撮ったこと自体、理解できなかった。
「ここに診断名が載っているでしょう。病気と保険会社は大いに関係がある。ちょうど自動車販売会社が自動車保険会社と提携しているようなものよ」
 ユゲットに答えられても、舞子にはすんなりと理解できない。自動車と人間は違うような気がする。
「病院としても、その患者がどこの会社の保険にはいっているかは、把握しておく必要があるのじゃないかしら」
 ユゲットはつけ加えた。
「でも、これは普通の患者ではないのかもしれない」
 黙って聞いていた寛順が、別の写真を二人の前にさし出す。
 棚の上に銀色の容器がぎっしり並んでいる。何かの保管庫なのだろう。
「ドクター・ツムラがこれを同じ場所で撮ったとすれば、この検査材料の持主がコンピューターにインプットされているのではないかしら」
 半ば確信ありげに寛順が言った。
「すると、これらは一連の検査材料の管理物ね。材料を整理し、診断をつけて、保険会社と間をとりもつ──」
 ユゲットが自分を納得させるようにコーヒーに口をつける。
「しかし、病院がこんな保険会社のパネルを壁に飾ることってあるかしら」
 舞子はまだ納得がいかない。
「舞子、ドクター・ツムラには、今日のうちにこの写真を持って行くのでしょう?」
 寛順が真剣な眼を向けた。
「急いでいたので、夕食前にでも渡すわ」
「そしたら、ちゃんと言うのよ。さっきユゲットが教えてくれたこと」
「保険会社?」
「そう」
 寛順から頷かれても、舞子にはそれが何故重要なのか分からなかった。
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