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受精32

时间: 2020-09-30    进入日语论坛
核心提示:32「あんたが珍しいものを持っていると聞いたんだが、本当か」 レオが小声で訊いた。吐く息がピンガ臭い。クラウスがその店には
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32
 
「あんたが珍しいものを持っていると聞いたんだが、本当か」
 レオが小声で訊いた。吐く息がピンガ臭い。クラウスがその店にはいったときには、もうだいぶアルコールを胃袋に垂らし込んでいる様子だった。Tシャツの腕をまくり上げ、これ見よがしにどくろの入墨を露出させていた。右手の甲に鳥の爪《つめ》のような入墨もある。
「ああ、叔父《おじ》が貰《もら》った勲章だ」
「どういう絵柄がはいっている?」
「十字のマーク入りだ」
 クラウスは故意に〈鉄十字〉という言い方を避けた。
「それに党員証もある」
「本当だな」
 レオの目が光る。「もしそれが偽物でなければ大変な貴重品だ。なかなか残っていないのだ。敗戦国に成り下がった時点で、みんな処分してしまったからな。あんたの叔父というのはよほど気骨があったのだろう」
「いや、そうじゃない」
 クラウスはおもむろに首を振る。カウンターの奥から女主人が注文を訊《き》く。レオと同じピンガを頼んだ。
 路地の奥にあるこの酒場には年に一、二度、人から誘われたときだけ足を運んだ。馴染《なじ》みではない。女主人は四十歳を少し過ぎたくらいだろうか。二十代半ばまでは男だったという噂《うわさ》はどうやら本当らしい。中学校時代の友人がたまたま客として来ていたとき、そんなやりとりを耳にした。性転換手術はブエノスアイレスの名医のところでやったことは、別の常連客から聞いた。
「勲章とか党員証には、俺《おれ》のほうが興味があったんだ。ガキの頃からね。俺が叔父の家に行って見つけて、ねだったんだよ。すぐくれた。俺の母親に見せると、ひどく怒られてね。それから先は、親兄弟にも見せずにしまい込んでいた。しかし、サルヴァドールにそういう品物を集めている所があるなんて知らなかった。懐かしいね」
 クラウスはピンガを勢いよく口に入れる。アルコール分が喉《のど》を刺す。
「あんたも、俺と同じ類《たぐい》の人間らしいな。党員証や勲章だけでないんだ。制服や銃器、ロケット砲の設計図まで揃《そろ》えている」
「ロケット砲?」
「そう。もうひと息で大量生産にはいるところだった」
「よくそんな代物《しろもの》が残っていたな」
 クラウスは本気でびっくりする。
「俺はその辺のことは素人だが、眺めているだけで胸が熱くなってくる。みんな二十代の男たちが考え出したと思うと、その愛国心には頭が下がるね。大ドイツを救うために、ありったけの知恵を絞ったんだな」
「見てみたいな」
 クラウスが言うと、レオは一瞬考える顔つきをした。
「今のドイツに欠けているものが、そこに詰まっているのだろうな。年代物のワインと同じだ」
 クラウスは黙り込んだレオを無視して、女主人を見やる。五、六年前と比べて少し太ってはいるが、胸のふくらみや声色、仕草のどれをとっても、女性以上に女らしい。ブエノスアイレスの外科医は、ペニスと睾丸《こうがん》を包む皮膚を利用して、膣《ちつ》と大陰唇までもつくってくれたらしい。女主人と恋仲になった男がクロコジーロの常連であるので、直接耳にした話だ。
「あんたに、勲章と党員証を寄贈してくれる気があるなら、見せてやってもいい」
 レオが言った。
「それは構わん。あんたらがきちんと保管しておいてくれるなら、俺が持っているよりましだ」
 クラウスは手を上げて女主人の注意をひき、レオにもう一杯ピンガを持って来るよう目配せする。
「ドイツは今のままではいかん」
 レオに向き直り、クラウスはドイツ語を口にする。
「ヨーロッパは欧州連合とかなんとか騒いでいるが、あんなのは六十年も前にヒトラー総統が考えたことだ。あのとき、事がうまく運んでいれば、欧州の統合など立派にできあがっていた」
「あんたの言う通りだ」
 レオの赤い顔が嬉《うれ》しそうに輝く。「ドイツは欧州連合の一員などという、ちっぽけな地位に満足してはならん」
 レオもドイツ語で言ったが、どこかポルトガル語の訛《なま》りがあった。
 女主人は、持ってきたピンガをレオの前に置く。
「プロースト」
 クラウスはドイツ語で乾杯を促す。
「プロースト。あんたのような同志がこんな近くにいるとは思わなかった。嬉しい」
 レオが応じた。
「嬉しいのはこちらのほうだ。もっと早く知っておけばよかった」
 もうひと押しすれば、レオの態度も軟化しそうな気配だ。「考えてみれば、外地にいるドイツ人のほうが、本当のドイツだな。本国ではドイツ精神はさびれてしまっている」
「あんたもそう思うか」
 レオは満足気に頷《うなず》く。「ドイツに新しい力を吹き込むのは、俺たち外地にいる人間だ」
 レオの誘いで、もう一度グラスを突き合わせる。
 狭い店内は混み始めていた。旧式の柱時計が九時をさしている。クラウスは、レオが酔いつぶれるまで待つつもりでいた。
「あんたに見せたいものがある。時間はあるか」
 新たな客がはいってくるのを見て、レオが訊いた。
「まだ宵の口じゃないか。もう少し飲める」
 クラウスはわざと悠長に構えた。
「ちょっと来てみないか。あんたなら喜んでくれそうだ」
 レオはヨロヨロと立ち上がる。足取りが危なっかしい。クラウスはレオに肩を貸し、店の出口で二人分の勘定を払った。
「すまんな」
「いや、いい話が聞けた。こういう話はブラジル人には分かってもらえないからな。ドイツ人の血が流れていないとな」
「それも、真正のドイツ人の血──」
 レオはよろけそうになり、クラウスの肩に寄りかかる。
「足元には気をつけろ」
 レオは、スキンヘッドの頭、Tシャツにジーンズという軽装のくせに、靴は軍隊風のブーツだ。わきがの臭いが鼻をついた。
「大丈夫、大丈夫。歩こうと思えば歩けるが、同志の肩を借りるのも、気分がいいもんだ」
 酔っていても、曲がり角になるとちゃんとクラウスを誘導して、広場まで来た。
「あそこだ。あんたに見せたいものがあるのは」
 レオは石畳の上で足を踏んばり、顎《あご》をしゃくり上げた。
「あの建物に住んでいるのか」
 クラウスはさり気なく訊く。
「住んでいるのは別の所。俺はあそこの管理人。すべてを任せられている」
 レオはクラウスの肩から腕をほどき、ひとりで歩き出す。よろつきながらも建物の入口まで行きつき、ポケットから鍵束《かぎたば》を取り出した。
「さあ、はいってくれ」
 扉を開け、内側のスイッチを押した。照明は暗く、うっすらと中の様子が判る程度だ。小部屋があり、その向かいに木製の階段が上に延びている。エレベーターはなく、廊下の奥にガラスケースが置かれていた。近寄って見ると、竿《さお》に総《ふさ》だけがついた旗の残骸《ざんがい》だった。
「連隊旗だ」
 レオが低く唸《うな》った。「生き残った隊員が竿を分解して、周囲の総を細かく切って持ち帰った。連合軍の没収から免れるために、靴底に入れたり、軍服に縫い込んだり、石けんをくりぬいて隠したりしたんだ。竿は、骨折の添え木に代用したり、リュックの底に収めたりしてね」
「何人が持ち帰ったんだい」
「百三十五名。四千三百人いた連隊のうち生き残ったのは四十分の一。しかし生き残った者でも、途中で荷物を取り上げられたりして、総をなくしたのもいる。だから、寸法が少し短くはなっているがね。隊員の結束のシンボルだよ」
「よく手にはいったな」
「隊員のひとりが戦後ブラジルに移住してね。生き残りの連中の承諾をとって、ここに保管している。本国ではこんなものどこにも飾れない。旗にとってはここが聖地みたいなものだ。生き残り百三十五名も、今では大半が死んでしまって、消息が判るのは二十名もいない。しかし年に一回、ドイツからこの連隊旗に対面しに来る隊員もいる」
 レオは胸に手をあてながら言う。「八十歳を越えた老人がこの前で涙を流しているのを見ると、こっちも胸が熱くなる。死んだ戦友のことを思い出しているのだろうな」
 連隊旗の竿は一メートル半くらいの長さだが、四つか五つかの継ぎ目がある。塗料も剥《は》げ、先端の金属部分にも錆《さび》が出ていた。総は全体として黄色を保っているが、断片毎に褪色《たいしよく》の度合が異なっている。
「四十人にひとりの生存者か」
 クラウスは呟《つぶや》く。
「俺たちは、死んだ人間の志を無駄にしてはいけないのだ。それを分かっている者がどれだけいる? 死んだ連中は全体主義の可哀相な犠牲者くらいにしか思われていない。そうではないのだ」
 レオは総だけの連隊旗を何百、何千回と眺めたに違いない。それでもまだ見足りないというように、しばし視線を釘付《くぎづ》けにしたあと、階段の方に足を向けた。
 階段の壁には、目の高さに手紙類が掲げられていた。茶色に変色した便箋《びんせん》やノートの切れ端が、簡素な額に収められている。
 ──大ドイツ永遠なれ
 ──ヒトラー総統万歳
 最初の二つの手紙の末尾はそう締めくくられている。
 クラウスは眼をそむけ、階段を上がった。
 二階はフロアー全体が展示室になっていた。むき出しのままの兵器もあれば、陳列ケースにはいっている品物もある。
「サルヴァドールでこういう物を見ようとは思わなかった」
「ようく見てくれ、ここには本当のドイツの魂がある」
 満足気に頷き、壁際の兵器の前に立つ。「これがMG42機関銃」
 知っているかというようにレオが顔を向けた。クラウスは当然という表情を返したが、こういう代物については現物を見たのはおろか、書物からの知識さえなかった。
「こちらが弾薬庫で、七・九二ミリ弾が三百発はいる。しかし、十五秒で全部射ち尽くす」
「というと、一分間に千二百発──」
 クラウスは口ごもりながら、銃把の部分に刻印された文字を眺める。MG42、一九四二という数字が読みとれた。
「毎分千二百発の弾丸を前にしては、連合軍兵士も身動きひとつできなかった」
 レオは胸を張った。「材料は、ほとんどが鉄板のプレス加工、全体の重さはどのくらいだと思う?」
 訊《き》かれてクラウスは首を振る。
「十一・六キロ。この性能でその重さだから、山岳兵にとっては移動も楽。しかもマイナス二十度でも作動する」
 レオは今にも自分で扱いかねない手つきをして、身をかがめる。「サイトスコープの取りつけも簡単。プラスチック製の銃床は取りはずせて、全長を短くもできる」
「この缶詰の大きいやつは?」
 クラウスは三脚の横にある小さな容器を指さす。
「ドラム弾倉。五十発入りだ。射ち放しにはせず、五発ずつ点射をした」
 レオは横にあった展示物の方に移動する。酔いは完全に醒《さ》めたような、しっかりした足取りだ。
 高さ一メートル、缶詰ほどの太さの砲身は、根元のところで角度が調整できるようになっていた。
「重迫撃砲三四型。口径八センチで、最大射程二千五百メートル。曲射弾を入れれば、遮蔽物《しやへいぶつ》を飛び越えて敵の陣地を直撃できる」
 レオは、部屋に並べられているすべての銃器の性能を頭の中に入れているようだ。黙って聞いていれば、一時間でも二時間でも案内人としてしゃべり続けるだろう。
 陳列ケースには、使い込まれた雑のうや水筒、短剣などの小物がおさまっている。
「この二つのベルトの違いは判るか」
 レオが訊く。どちらも似たような品物で、クラウスの目に区別はつかない。
「こちらのバックルはアルミ製。横にある鉄製よりは前の時代の物だ。バックルの文字の意味はもちろん読めるね」
「ゴット・ミット・ウンス。神は我らと共に、だな」
 バックルの中央には、鷲《わし》が鉤十字《かぎじゆうじ》を足でつかんだ模様がレリーフにされ、その上にドイツ語が彫られていた。
「誰が作ったかは知らんが、良い文句だと思うよ。勇気が出てくる」
 レオは自分で頷く。「俺がいつも感心するのは、こっちの野戦用食器」
 隣のケースの中には、何種類かのスプーンやフォーク、缶切りがあった。ナイフ、フォーク、スプーンの三本が缶切りの胴にすっぽりはいるようになっている。見事な工夫だ。
「こんなところにも、ドイツらしさが現れているんだ」
 レオはクラウスが感心したのを見てとり、しばらくそこに留まったあと、部屋の奥に足を向けた。
 奇妙な物体だった。四角い鉄製の箱の両側に、車輪がついている。箱の中央付近から円筒型のものが五十センチの長さで垂直に突き出てはいるが、砲身にしては口径が大き過ぎる。
「これも本国にはひとつも残っていないはずだ。戦後すぐアルゼンチンに移住したドイツ人から買いあげた」
「妙な大砲だな」
 クラウスは首をかしげる。
「俺も最初はそう思った」
 レオは小さく笑う。「野戦炊事馬車だよ。真中の丸い蓋《ふた》の下がシチュー鍋《なべ》で、圧力鍋になっている。時間の短縮ができるし、燃料も節約できる。煙突の左にある四角い蓋はコーヒー鍋。二頭立ての馬に引かせ、これで百二十名分の調理能力がある。ドイツ軍は兵器と同じように、こういう日常用具にまで頭を働かせた」
 戦争は人間の知恵のありったけを絞らせるというが、その見本だろう。
 二階から三階に上がる階段の壁にも額縁が掛けられ、中にはさまざまな模様をもつワッペンが二十個ばかり集められている。
「専門職|徽章《きしよう》だ。下士官以下の専門職に対して与えられた」
 足をとめたクラウスにレオが言った。
「なるほど。これは多分、馬蹄《ばてい》係のものだろうな」
 馬蹄形をしたワッペンを指さす。
「そう。こっちは通信手」
 レオが示したのは稲妻形の模様だ。他の徽章もすべて暗記しているらしく、築城技術曹長、通信技術下士官など、次々と説明を加えた。
 陳列の仕方が通常の博物館と違っていた。物品をそのまま展示するだけで、一切の説明が添えられていないのだ。レオのような案内役がいなければさっぱり理解できない。逆に体験者にとっては、その物体を目にしただけで、思い出は湧《わ》き上がってくるはずだ。
 階段の壁には、世界地図も貼《は》られていた。年代毎に色分けされ、敗戦前にドイツがどこまで版図を拡げたのかが一目|瞭然《りようぜん》だ。イギリスを除く欧州の大部分、北アフリカまでが黄金色になっている。
 クラウスは、地図の左下にある南アメリカ大陸に眼を注ぐ。アルゼンチンとブラジルが黄色になっている。黄金色と区別されているのは、ドイツが直接の管轄下においたのではなく、親ドイツ政権だったことを意味しているのだろう。もはや現代の世界地図には、その痕跡《こんせき》さえない時代錯誤の色分けだ。
 過去の亡霊がここには生きている──。そんな驚きは、三階に足を踏み込んで増加された。
 陳列ケースの中には何種類もの勲章が並べられている。ひとつか二つくらいは、どこかで見た覚えがあるが、多くは初めて目にする代物だ。
「これが柏葉付騎士十字章」
 おごそかな声でレオが言う。クラウスは頷《うなず》いたが、名称はおろか、価値も知らなかった。
 十字形の中央に鉤《かぎ》マークがあり、上の方に小さな柏《かしわ》の葉があしらわれている。
「この勲章の持主は、十年前までアルゼンチンに生きていた。授与されたのは一九四二年、コーカサス地方での功績に対してだったらしい。百五十五人目の授賞だ。戦後も生き永らえたのは、戦闘で負傷し、いったん後方に送られたからだ。敗戦時は国防軍総司令部付の大佐だった」
「そのあとは?」
「連合軍の捕虜となって釈放されたあと、アルゼンチンに移住、鉄鋼会社の重役で現役を退いた。子供がなかったので、遺産はすべて我々の組織に寄贈された」
「組織?」
「そう。国際的な組織で、各国にまたがっている」
 レオは頷く。「その点では、さっきあんたが眺めていた世界地図の黄金色と黄色の部分よりは広い」
 クラウスは、隣の陳列ケースに眼を移す。手帳や書類が保管されている。読もうとしたが、頭のなかでは、レオが口にした組織という言葉が反響していた。
「あんたが所有している党員証は、ここにもひとつしかない」
 レオが指さす。ガラスの下に茶色に変色した手帳があった。クラウス自身も、党員証を見るのは初めてだ。
「よくは覚えていないが、少し違うような気もする」
 クラウスはわざと首をかしげる。
「じゃ、あんたの持っているのは初期のやつかもしれん。年代によって紙質や文字の配置が違っているのだ。これは一九四一年の発行だから、大量に出回った頃のもの」
 レオは陳列ケースの前をゆっくり移動する。
「こっちは軍歴手帳。あまり汚れていないのは、所属部隊毎に一轄して保管されていたからだ。こっちの給与支給帳のほうは──」
 レオは、手垢《てあか》がつき表紙の四隅がすり切れて丸くなった冊子を示す。「兵士が常時上衣のポケットに入れておいた。そしてその横が認識票」
 楕円《だえん》形の金属板を目にするのもクラウスは初めてだ。紐《ひも》を通すためのものか、上部に二個、下部に一個小さな穴があけられている。
「この認識票も、常に首に吊《つ》り下げておかねばならなかった。真中にある三つのスリットは何のためか知っているか」
 レオが視線を向ける。表情から、もう酔いの気配は消え去っていた。
「いや知らん」
「戦死したとき、半分に折り畳むためだ。楕円の半分になった認識票は部隊本部に送られた。いわば、これが兵士の命と同じ」
 折り畳まれた認識票が山積みにされている光景が思い浮かぶ。実際の屍《しかばね》の山よりは清潔で処理しやすい。手のひらにのる程に小さいこの金属片こそ、軍隊を象徴するのかもしれなかった。
「あんたに話していた設計図というのが、これだ」
 壁際に、ひときわ立派なケースがあった。照明も特殊らしく、青白い光が細密画のような図面を照らしている。
「五十年も前のものとは思えん」
 クラウスはシミひとつない図に眼を注ぐ。
「紙もインクも加工がしてある。百年はおろか、二百年、三百年後を見越して製作したらしい。俺《おれ》は素人だから分からないが、物理化学の専門家がみると、この図をもとにすれば高校生でも原爆が製造できるらしい。あと半年かそこら敗戦を遅らせておれば、原爆製造に行きついていた。そうなれば、イギリスもソ連も叩《たた》けるし、いずれアメリカ本土へも攻撃をしかけることができた」
 レオが唇をかむ。
 設計図は十数枚が重ねられていた。本来なら一種の文化財として、政府機関によって手厚く保管されるべき貴重品であるのは確かだ。
「こんな大切な物、どういういきさつでここに保管されているのだ?」
 クラウスはレオに訊く。
「詳しく語れば、一冊の冒険小説かスパイ小説になるさ。あんたはヒトラー総統の最後のベルリン攻防については知っているね」
 反問されてクラウスは首を振る。「ま、知らんのが当たり前かもしれん。おしなべて、あんたたちの世代は歴史を知らん。いや知らんといっても、あんたらの責任ではない。知る機会を奪われたのだ。あの時代の出来事はすべて悪夢として片付けられてしまっている」
 初対面のとき感じたレオの印象が、クラウスのなかで変化し始めていた。粗野で中味のない男だと思っていたのだが、スキンヘッドのなかには、洗脳風に叩き込まれたとはいえ、少なからぬ知識と理論が詰まっているようだ。
「総統は自ら死を覚悟されてはいたが、ドイツの巻き返しは考えておられた。そのためには、これらの設計図を持ち出す必要があった」
「ベルリン陥落直前に、ベルリンから運び出したというわけか」
「そう。南の方へだ。アルプス山中に地下研究所があって、そこで新型爆弾は完成されるはずだった」
 レオは目を見開きながら息を継ぐ。「しかし、連合軍はスパイを使ってそこにも包囲網を敷いていた。結局、研究所は最重要な物だけを残して爆破され、アルプス越えで、イタリアのジェノバに集められた。あの港からは南米行きの船が、戦中戦後とも絶えず出ていたからな。生き残りの連中と品物はアルゼンチンに着いた。しかし、設計図はあっても材料がなければ何もならない」
「どこか他の国と提携する方法もあったのではないか」
「そういうことも論議されたらしい。しかしそれでは技術を吸いとられるだけで、ドイツの再興には結びつかないという意見に落ちついたらしいんだ。だからここに残った。タイムカプセルだな」
 クラウスは図面に見入る。まさしくヒトラーの意志がそこにあった。新型爆弾が完成していたとして、彼は一体どこで使おうとしたのか。ロンドン、パリ、モスクワ、ワシントンなど、連合国の首都それぞれに決死の飛行隊を送り込み、投下させるつもりだったのだろうか。そしてすべてを焦土にした挙句に勝利を手中にし、築き上げる彼の帝国──。
 果たしてそんなものがドイツといえるのか。
 クラウスは沈痛な顔でケースの中を覗《のぞ》き込む。
「まあ、総統の計画というのはこれだけではなかったのだがね」
 レオが言い、クラウスを促した。「時間はまだいいのか」
「ここにいると時間のことなど忘れる」
 クラウスは微笑してみせる。
「そうだな。どうせバーにいても、明け方まで飲んでいるだけだろう。それよりは、ここで過ごしたほうが、何十倍かましだ」
「いや本当に満足している。感謝する」
 クラウスから言われ、レオは得意気に腕組みをする。
「やっぱり、俺たちにはドイツ人という共通の血が流れているな」
 四階に上がる階段の壁には、横長の額が掛かっていた。
「あんた、これは読めるだろう」
 レオが額縁の前で足をとめる。ノートの一頁をひきちぎったような紙に、勢いのよいペン書きの筆跡が残っている。
「ナッハ・オステン、ウント・イムマー・ナッハ・ヌーア・オステン。東方へ、そして常に東方へのみ──」
「誰が書いたか判るか?」
「いや。シラーの詩、ゲーテの散文とも思えんが」
「総統の手書き原稿だ。専門家による筆跡鑑定で、本物だとお墨付きをもらっている。総統は五十歳を過ぎて、手にかすかな震えが出るようになった。その特徴もこの文章にはうかがえる」
 なるほど縦の線が真直ぐではなく、カーブする箇所で乱調をきたしているのが判る。
「よく残っていたものだ」
 クラウスは改めて感心する。
「見学の締めくくりに、あんたが喜びそうなものを見せるよ」
 レオと一緒に上がった四階は、それまでの階とは様相を異にしていた。博物館のような暗さとは反対の、透明な明るさが支配している。床はぶ厚いガラス板が敷かれ、壁も白く塗られて、並べられた椅子《いす》もガラスの材質でできている。しかも背もたれの部分が頭の高さまであった。
「前の方の椅子に坐《すわ》ってくれ」
 二十脚ほどの椅子は、全部同じ方向、白い壁に向かって並べられていた。
 クラウスは中ほどの椅子に腰かける。映画のセットの中にいるような感じがした。
 レオが照明のスイッチを操作すると、室内の印象が一変する。天井が暗くなり、高いところに人工の星が見えるのはプラネタリウムそっくりだ。床が白くほのかに浮かび上がり、壁は暗闇《くらやみ》に消え、どこか野外に坐らされている錯覚がする。
「そのまま前方を見ていてくれ」
 レオの声が後ろから届いた。
 正面が明るくなる。大きな広場が目の前に現れる。ずっと遠くに演台があり、その両脇《りようわき》からサーチライトが四本、夜空に向かって上げられている。こちらに背を向けて整列している兵士たち。自分もそのなかの一員になっている。不思議なまでの臨場感だ。
 周囲から拍手が起こっていた。遠くの壇上で、ひとりの男がマイクに近づき、演説を始める。黄色い軍服を着た彼がヒトラーであることは、スピーカーから流れてくる声で判った。現実さながらに作られたホログラムだ。
 ──ドイツ真正国民たる党員諸君。
 ヒトラーが呼びかけると、臨席していた全員が〈ヤー〉と声を張り上げ、右手を突き出す。声が鎮まり、右手がおりるのを待って、ヒトラーはおもむろに言葉を続ける。
 ──ドイツ国民は世界に冠たる民族である。これまでに我々が達成してきた事業がそれを証明している。そうではないか。
 短い問いかけに、再び〈ヤー〉という大合唱が広場の上空まで響き上がる。
 ヒトラーのこの演説がどこで行われたのか、クラウスは知らない。おそらく残されたフィルムを下敷にして、色をつけ、立体的なホログラムに仕立てあげたのだろう。音響までが実況風の現実味をもっている。
 画面は次々と変わる。しかしいずれも三分か四分のヒトラーの演説のみだ。広場であったり、どこかの講堂であったり、戦場の幕舎の中であったりするが、観客席がそのまま聴衆のなかに組み入れられるつくり方になっている。
 いま、ホログラムの画面はどこかの中庭だ。少年たちを前にしてヒトラーが演説している。黒っぽい外套《がいとう》の上に、青白いヒトラーの顔がのっている。心なしか表情は、最初のときのような緊張感がない。
 ──君たちとはここで別れる。しかしドイツはこれから始まるのだ。その任務は君たちの肩にかかっている──。
 ひとつひとつの発言が短いのは以前と変わらないが、鼻にかかった声が小さい。
 少年たちは十四、五歳だろう。着用している制服の寸法が合っていない。袖《そで》が短く、手首が丸見えのもあれば、逆にズボンの裾《すそ》を折り込んでいる少年もいる。演説を終わったヒトラーは彼らのひとりひとりと握手をし始める。
 少年たちは一様に涙をこらえている。唇をかみしめ、必死でヒトラーの手を握りしめる。そのあと、そっと手の甲で涙をぬぐう。
 遠くで雷のように響いているのは砲撃音だろうか。少年たちは次々に移動し、動かないヒトラーの前に立つ。小さな手をさし伸べる彼らに、ヒトラーが何か言いかける。その言葉は聞きとれない。
 百人近い少年たち全員が握手を終えると、ヒトラーは再び低い演台に立った。
 ──私は必ず復活する。そして君たちと手をとり合って再び戦う。大ドイツは永遠だ。君たちはそうは思わないか。
〈ヤー〉という少年たちの声がし、細い右腕が斜め前に突き上げられる。
〈ヒトラー万歳。神は我々と共に〉少年たちの大合唱が砲撃の音をかき消してしまう。
 いつの間にか横の席にレオが坐っていた。
「これを見るのが日課なんだ」
 薄暗がりのなかでレオが言う。
「見事なつくりだね」
「何度見てもいい。月に一回の集まりのとき、みんなと見るのだが、毎回、全員が涙を流す。最後の別れの場面があったろう。会員の中には、あのときのヒトラー・ユーゲントの一員だった者もいる。総統の手の感触、目の色、かけられた声を、まだくっきりと覚えているらしい」
「じゃ相当の齢だな」
「六十七歳。あのとき十四歳だったらしい。場所は地下司令|壕《ごう》のあったところだ。集められたヒトラー・ユーゲントの少年たちは、それこそ全ドイツから選び抜かれた優秀者ばかりだった。SS将校や国防軍の将校たちは、優秀であればあるほど捕虜となり、帰って来ない確率が高かった。ユーゲントの連中は、それを免れた。ドイツの最良の部分は、だからあのときの少年たちによって受け継がれたのだ」
 レオはまだ照明をつけない。ホログラムの余韻に浸るかのように、暗がりに坐り続ける。
「さっきあんたが言った組織というのは、そんなかつてのユーゲント団員によって動かされているのか」
 クラウスの質問に、レオは頷《うなず》く。
「運動はこれからが大切なんだ。総統の遺言で、五十年間は表だった活動が禁じられていた。いわば冬眠」
「その間、団員たちはどうしていたのだ」
 クラウスは自分の声が震えているのに気がつく。酔いは完全に消えていた。
「それぞれの任務を果たしていた。今になって五十年間の冬眠の理由が分かる。何だと思う?」
「さあ」
 クラウスは唸《うな》る。
「ひとつにはカムフラージュ。五十年間もじっとしていれば、敵も油断してしまう。あんたはロスアンジェルスのヴィーゼンタール・センターと言うのは知っているな」
「ナチス戦犯狩りの本拠地だろう」
「ホロコースト研究所という、表面は大人しい仮面をかぶっているが、懸賞金を出してナチスの戦犯を探し出している。時にはあざとく殺し屋を雇うことだってある。あいつら資金にはこと欠かない。そんな猟犬たちの鼻をあかすには、眠っているのが一番なんだ。動けば臭いをかぎつけられる」
「なるほど」
「もうひとつ、五十年間の沈黙は、仲間割れを防ぐ。有名なCIAやFBI、KGBでも仲間割れから内部告発が出て、組織は弱体化した。五十年も眠っていると、本物だけが残り、偽者は我慢ができなくなって脱会していく」
 ホログラムを見た興奮のせいか、レオは得意気にしゃべる。
「組織には名前があるのか」
 クラウスは声を鎮めて訊《き》いた。
「LB、ドイツ語のレーベンスボルヌの略だ。あんたなら意味も分かるだろう」
「生命の泉──」
「真正ドイツの生命を限りなく増やしていこうという意味が込められている。昔からあった運動なのだが、いずれ分かる時が来る。今夜はこのくらいでいいだろう」
 レオは立ち上がり、照明スイッチの方へ行きかける。「あんたの持っている党員証と勲章、いつ持って来てくれる?」
「見つかり次第、連絡するよ」
 室内が明るくなる前にクラウスは答えた。
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