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ぐうたら愛情学48

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:夫の悩み・夫の不安  餅を食いすぎた重くるしさ ぼくの友人でK君という男がいました。 K君はまだ隣れなる独身者の一人であ
(单词翻译:双击或拖选)
 夫の悩み・夫の不安
 
  餅を食いすぎた重くるしさ
 ぼくの友人でK君という男がいました。
 K君はまだ隣れなる独身者の一人でありました。
 会社の同僚や先輩の中には、
「K君、そろそろ、女房をもらったらどうだ」と奨める人もあり、また、
「実際、独身の君が羨ましいよ」
 と呟く友だちもいました。
 K君がいつもふしぎに思うのは、会社の昼休などに仲間が四、五人集まると、必ずといってよいほど、「恐妻だ」の、「女房がこわいからな」などという言葉が、みなの口からとびだすことです。
「おい、おい、女房って」K君は彼等の一人にたずねました。「そんなにこわいものかい」
「こわいさ。いや、こわいと言うより重くるしいな」
「なぜだろ」K君は首をかしげて、「それは、君たちが奥さんにかくれて悪いことをしているからだろ。スネに疵《きず》をもたなければ、奥さんにたいして、こわい筈ないじゃないか」
「いや、いや、スネに疵をもたなくても女房はこわいよ。こわいというより重くるしいんだな」
 妻帯者の連中はそう言うと、ドッと笑い、それから幾分、K君を憐れむような口調で言うのでした。
「まあ、君も結婚すれば、わかるさ……」
 一年後、K君は結婚しました。結婚して数ヵ月たった時、彼ははじめて同僚たちがあの時しゃべっていた言葉がなるほどと思い当るのでした。妻をこわいと言うわけではもちろんないが、一種ハッキリと名づけることのできない圧迫感を感ずるのです。別にそれは妻を愛していないわけではなく、たとえ妻に愛情をもっていても、(事実、K君は妻を愛していました)この重くるしさを妻におぼえるのです。
「これは一体、どういう理由だろうかねえ」
 K君はある日、ぼくの家に遊びにきてソッと打明けました。
「別にぼくの女房の責任じゃないんだ」彼は、目をしばたたきながら言うのであります。
「夫の口からほめるのもヘンだが、うちの女房はそりゃ、控え目な女らしい女だ。性格的にも亭主を尻にしいたり、ぶつかってくるタイプじゃない。それなのに、どうして夫たる者が彼女に重くるしさを感ずるのだろう」
「ア、ハ、ハ」ぼくは笑いました。「心配するな。そりゃ君だけじゃない。どんな亭主も自分の女房にその重くるしさを感じているんだよ。つまり、正月に餅を食いすぎて腹がモタれたような、あの感じではないかな」
「ウン、ウン、そうだ」K君はびっくりしたように肯《うなず》きました。「その感じ、その感じ」
      ×    ×  
 ところでみなさん、誤解のないように言っておきますが、K君が肯いたこの重くるしい感じというものは、普通いわれている夫婦の倦怠感とはちがうのです。ぼくの知人でまだ倦怠期どころか、結婚後、半年たたぬ青年T君が、ある日、ぼくにこんな話を告白したのを憶えています。
「つい、この間のこと、ぼくは結婚後、はじめて女房にウソをつきました。それはこんな事からです。
 この間の土曜日の夕方、会社の帰りがけにいつものように新宿駅で電車をのりかえようとしました。その時、なぜか今日は妻と一緒に晩飯をたべず、独身時代のように独りで飯をくってみようというふしぎな衝動に駆られたんです。自分でもなぜあんな気持になったのか、今でもわかりません。
 夕暮の新宿の歩道には、たのしそうに恋人たちが肩をならべています。ぼくはその中にまじって、ブラブラと歩きました。自分も昨年まではああした一人だったんだと考えると半分、ふしぎな気がし、半分、つまらない気持がするのです。一人で晩飯をたべ、それから独身時代によく行ったバーをのぞいてみました。なぜか知りませんが楽しかった。今までにない解放感を感じたのです。
 家に戻ってみると、妻はまだ待っていましたが、ぼくは久しぶりで学校時代の友人たちと会ったのでとウソをついてしまいました。
 ぼくは、決して女房に飽いたわけじゃありません。気質もいい女ですから、嫌いな筈もないのです。それなのにどうしてあの日の夜、あんな解放感を感じたのか合点がいかないのです」
 さきほどのK君といい、この青年といい、二人の若い夫には、共通して言っている言葉があります。読者の方々は、既にそれにお気づきになられたでしょう。その言葉というのは、
[#ここから1字下げ]
(1) 女房に決して飽いたのではない。愛しているのである。にも拘《かかわ》らず……
(2) また、女房は気だての悪い女ではない。むしろいい女である。にも拘らず……
[#ここで字下げ終わり]
 というわけなのです。
 それでは二人とも、いや世の男とか、亭主というのは、あまりに我儘で身勝手で利己主義の権化じゃないかと言われるでしょう。そう言われても仕方のないことも、よくわかっているのですが、しかし、これは矢張り事実であり、真実であり、しかもこの感情はたんに男の我儘だけから生れているのでもないと断言できるのです。ではこの夫の心理はいったい、何処《どこ》に根ざしているのでしょうか。なにが原因なのでしょうか、今日はそれについてみなさんと一緒に考えてみましょう。
 
  女は急変するが男は……
 一般に言って、男というものは結婚した後、自分を「夫」と感じるまではなかなか時間がかかるものなのです。これにたいして、女性は結婚して一人の男性を愛するようになると、比較的すぐ彼の「妻」に成長することができる。子供を生んだ瞬間から「母親」の意識にめざめます。
 つまり、ぼくら男性は結婚をしたあとでさえも、一人の「夫」や「父親」になりきるまで大変、心理的にも努力がいるし時間もかかるのです。彼は「夫」や「父」である以前に、まず「男」なのです。ところが、女性のあなたたちは、結婚をなさると「女」であることをやめて「主婦」や「母親」になれるという優れた才能をもっていられるのです。
 ぼくの後輩のO君は、つい最近、恋愛結婚をしました。新妻は、まだ大学にいっている女子学生でした。新妻の両親は、娘が学校を卒業してから式をあげるのを考えていたようですが、アツアツの二人は一日も離れて暮しているのが我慢できず、遂に式を早く挙げてしまったわけです。
 新婚旅行は箱根に二日間、三日目に東京に戻ってきて、O君は新妻と神田の駿河台を歩いておりました。
 駿河台は、みなさんも御存知のように大学の沢山あるところです。ちょうどお昼どきでしたから、本をこわきにかかえた女子学生たちが道を歩いている。O君は新妻とその道を歩きながら、
(ああ、俺の女房もこの女性たちと同じように本当は女子学生なんだなあ)
 そう、ふと思って妻をふりかえり、瞬間、ハッとしました。なぜハッとしたか。O君の少しうしろを歩いていた新妻は、たった四日前まで、いま道を歩いている娘たちと同じ女子学生であったにかかわらず、和服を着た姿、白いハンドバッグの持ちかた、歩きかた——それらすべてがもう女子学生ではない、一人の人妻の姿態だったからです。
 O君は大変、狼狽しました。恥ずかしいようなヘンてこな気分でした。だがO君の新妻は、彼の気持もしらずまぶしそうにニッコリと笑いました。
「なぜ、ぼくがその時狼狽したかと言いますと」後になってO君は言っています。「四日前まで女子学生だった女が、結婚した途端にすべての点で妻になった。それにくらべて男性のぼくは、まだ夫になりきっていなかったからです。夫という実感さえ、自分に湧いてこなかったからです」
 そうです。これはO君だけの印象ではありません。ほとんどすべての男性にとって、「夫になった」という実感を自分に作りあげるまで二年もしくは三年もかかることでしょう。だが、まるでサナギがある日、突然、蝶になるように、女性は「妻」に即座に変化します。あるいは「主婦」に変ります。だがノロノロして鈍い我々男性は相変らず、夫というよりは「男」なのです。
      ×    ×  
 みなさんは、この話を少し極端すぎるとお思いかもしれません。ぼくが誇張しているのではないかとお考えになるかもしれません。よろしい。それでは、あなた方の中でもう結婚され、お子さんのある方は、御主人に次のような質問をしてごらんなさい。
「はじめて赤ちゃんが生れた時、パパとしての気持が起ったか」と。
 すると、あなたがたの御主人の八十パーセントまでが、(正直なところ)こういう返事をなさるでしょう。
「いや、戸惑っちゃったよ。これが俺の子供かと、コソバゆいような気持で見つめてたね」
 お怒りになってはいけません。これが男というものです。
 たいていの男性ははじめて自分の子供のできた時、なにかコソバゆいような気持と戸惑いと、それから女房にたいする劣等感を抱きながら自分の赤ん坊を見つめる。コソバゆいような気持とは、この小さな真赤な顔の肉体が俺の第二世かというふしぎさと恥ずかしさです。戸惑いとは、父親になったという実感が、まだ起らず、当惑した気持です。
 けれどもそうした感情よりも、彼が驚くのは、生れたばかりの赤ん坊に乳をふくませている妻の顔です。それは昨日まで彼が知っている妻の顔ではなく、全く今まで知らなかった、新しい「母親」の顔です。幸福と母性愛とにみたされた「母」の表情なのです。この顔にたいして、まだ「父」にもなれぬ彼は一種の劣等感を感ずるのです。
「妻」になる時だけではない。「母」になる時も女性の方が男にくらべて急速だということが、これでおわかりでしょう。もちろん、あなたたちは、それが当然だとおっしゃるかもしれません。母になるまで、その女性は九ヵ月も十ヵ月も子供をお腹のなかで育てたのだから、彼女は決して突然、母になったのではないと反駁なさる人もいられるでしょう。そうです。しかし、それ故に男は女性と同じように我が子の父と、心も生活もなるためには、十ヵ月もたち遅れているとも言えるのです。
 このように女性が妻や母に変るスピードにくらべると、男というものは「夫」や「パパ」になりきるまで大変、時間がかかるものなのです。何度もくりかえしますが、男は結婚をしたあとでさえも、「夫」や「父」である以前にまず「男」なのです。ところがあなたたち女性は、結婚なさると同時に愛する者のために「女」であることを抑えて「妻」や「母親」にすぐ成長できる素晴らしい才能をもっているわけです。結婚をしたたいていの立派な女性は、よほどの場合をのぞいて、まず一人の男の妻か(主婦か)子供たちの母親であり、またそうであることに幸《しあわ》せを感ずることができるのではないでしょうか。
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