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創造の人生22

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:開発 戸沢から仕事の手順を教わった島沢は、さっそくテスト用のテープの試作にとりかかる。しかし、何度やっても納得のいくテー
(单词翻译:双击或拖选)
 開発
 
 戸沢から仕事の手順を教わった島沢は、さっそくテスト用のテープの試作にとりかかる。しかし、何度やっても納得のいくテープができない。テープベースが悪すぎるのである。その頃アメリカでは、プラスチックをベースに磁気テープをつくっていたが、日本にはアセテートの薄いフィルムさえなかった。戸沢はやむを得ず市販のセロファンを使って試してみたが、伸び縮みが激しいうえに、吸湿性が高く、まったく使いものにならない。そこで、これを硬化する方法を考えるなど、いろいろ挑戦してみたが、いずれも失敗に終わった。やはり、紙をベースにするしか方法がないとの結論に達した。ところが、その紙を供給してくれるメーカーがない。テープベースは幅六ミリで、相当の張力に耐えるものでなければならない。しかも、テープ一巻の所要時間が決まっているので、厚さにも制約がある。厚ければ巻いたときに大きくなりすぎるのだ。また磁性材料をまぜた塗料を塗る関係で、テープ表面は平滑さが要求されるなど、面倒な制約があるため、発注したくてもどこの製紙会社も相手にしてくれなかったのである。
「本州製紙に僕の従兄弟がいる。彼に相談してみよう」と、盛田がいいだした。そして戸沢とともに大阪に出向いた。井深が、知り合いの宣教師ロバート神父(明治学院大教授)から譲り受けたアメリカ製テープレコーダをかついでの出張であった。現物を見せて説得しようというのだ。
 企画課長をしていた盛田の従兄弟の手引きで、本州製紙の首脳陣に会った盛田は、話合いの模様を録音したテープ(スコッチ製)を、その場で再生してみせたうえで、次のように訴えた。
「私どもは、いまこれと同じ機械を開発しています。このテープをつくろうと思っていますが、ベースにいいものがなくて困っています。こちらで、なんとかつくっていただけないでしょうか……」
 このデモンストレーションと盛田の巧みな説得に、本州製紙の首脳陣は異常な関心を示した。自分たちの声がその場で聞ける便利な機械と、その開発に賭ける若い事業家、技術者の情熱にうたれたのである。そして、同社の淀川工場に全面協力させると約束してくれた。
 その頃、木原を中心とするテープレコーダ開発陣は、二十四年九月につくりあげた原型機をたたき台に、改良型の試作を急いでいた。設計を担当したのは井深がスカウトした三好謙吉(元東京計器技師)と木原で、ヘッドは東北大と東北金属の協力を仰いだ。駆動部のモーターは、日本電気音響(通称電音)が開発したヒステリシスモーターを導入。問題の多かった伝導ベルトは、専門メーカーを探し、人造ゴム製のベルトをつくらせた。こうして、ともかく国産初のテープレコーダ(録音時間六〇分)「G1型」の一号機を完成させることができた。昭和二十五年一月のことであった。
 東通工技術陣は、これでコンシューマ商品開発の突破口を開いたわけである。しかし、これを本物にするには問題がいくつか残っていた。なかでも最重点課題は、録音テープの量産体制をいかに確立するかであった。
 昭和二十五年四月、テープ開発室に何人かの新人が入ってきた。東大工学部応用化学科出身の天谷昭夫と、同じく法学部出身の徳本慎一などがその代表的な人物である。天谷は一高在学中、海軍航空技術廠に勤労動員され、盛田のもとで働いた経験があった。その関係で白木屋時代もアルバイト学生として、何度も東通工に出入りし、幹部とも顔見知りだった。もう一人の徳本は、法律事務所を開いていた親の意向で法科に進学したが、根っからの発明狂で、在学中から駒込の理化学研究所に出入りし、いくつかの特許を取得するといった変わった経歴を持っていた。たまたまそれを知った井深が、その才能を見込んで東通工にスカウトしたものである。
 その頃になると、掘っ立て小屋まがいのテープ開発室も少しはマシになり、化学実験室らしい雰囲気が整ってきた。そんなテープ開発室に配属された天谷と徳本は、戸沢から仕事の段取りを教わり、磁性粉と溶剤の量産研究に着手することになった。
「当時、直径五〇ミリ、長さ一メートルぐらいで、一方が封じられた石英チューブのなかに、蓚酸鉄の入った長さ二〇センチ、幅三センチの金属ボードを入れ、小さな電気炉で粉を焼いていましたね。それをやっていたのは、高田君という中学出の坊やだった。私はその坊やに教わって粉焼きをはじめたが、最初はどうもできが悪い。取り出すと燃えてしまったり、焼きが甘いとかでなかなかうまくいかない。燃えてしまうと肝心の磁性がなくなりますからね」(天谷昭夫)
 できる粉は一回に二〇グラムが限度。そこで天谷は自分なりに考え、手づくりで回転炉をつくった。最初につくったのは容量一キログラム程度のもの。だが、粉の使用量が多くなったため、翌年には容量一〇キログラムにスケールアップせざるを得なくなった。
 テープづくりに必要な一連の設備も、全部、戸沢や現場の担当者が考え出した手づくりの機械である。しかし、作業場の環境は最低の一語につきる。部屋のなかを人が通ると磁性粉がパーッと舞い上がる。おかげで頭はかゆくなるし、シャツの袖や襟は一日で茶褐色に変色してしまう。身だしなみのよいことで定評のあった戸沢も、これには手をやき、テープベース用の紙を折って襟元にはさみ、汚れを防ごうとしたが、ほとんど効き目がなかったと述懐するほどであった。
 そんな思いを重ねてつくったテープなのに、木原たちから「スコッチの紙テープに比べ、うちのテープは塗りムラやノイズが多すぎて、とても使えるシロモノじゃない」と、酷評される。それが戸沢たちテープ開発室の面々の発奮材料になった。
 
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