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創造の人生58

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:研究所長交代 森園がアメリカを舞台に猛烈な売込み活動を展開している頃、ソニー内部でちょっとした異変が起きていた。中央研究
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 研究所長交代
 
 森園がアメリカを舞台に猛烈な売込み活動を展開している頃、ソニー内部でちょっとした異変が起きていた。中央研究所の鳩山道夫所長の進退問題が表面化したことである。
 前に触れたとおり、鳩山は、昭和三十六年、井深に請われて、通産省工業技術院電気試験所から、ソニーに移った、学識経験豊かな一流の研究者であった。当然のことながら、ソニー首脳陣も、その活躍に大きな期待をかけていた。鳩山自身も、井深の期待に応え得る研究所をつくりたいと、それなりの構想を描いていた。電気試験所や電電公社の電気通信研究所から何人かの人材を引き抜いたり、中研の開所式で「トランジスタの研究は、製造部門に研究能力があるから、われわれは、その次のことをやっていこう」と抱負を述べたのもそのためであった。
 その鳩山の遠大な構想も三年で、春の淡雪のように消えてしまった。理想と現実が噛み合わなかったのである。
「一口でいえば、私とソニーという企業の体質の違いかな。もちろん、ほかにも理由はいくつかありましたよ。たとえば、私が提唱した基礎研究という言葉の解釈に誤解があったとか。要するに、トップは、基礎研究でもやらせておけばエサキ・ダイオードのようなすばらしい成果が出てくるのでは、という期待感をもっていた。研究所のスタッフは、私の〈トランジスタはやらなくていい〉という言葉の意味を取り違えた。真意は、トランジスタの周りにもやるべきことがいっぱいある、という意味だった。それを言葉通り受け取って、先行してしまったというわけです」(鳩山道夫)
 こんな調子だったから、三年たってもトップの期待に沿う成果が出るわけがなかった。鳩山にいわせると、研究所をゼロからはじめて三年で成果をだせというのは酷だという。しかし、当時のソニーにはそんな理想論は通用しなかった。それはクロマトロンの開発とかかわりがあった。
 クロマトロンの開発部隊が〈乏しい予算で社運を賭けた大仕事をやっているのに、中研はメシのタネにもならない、あさっての研究にうつつをぬかしている。これはおかしい〉という声が首脳陣の一部から出てきたのだ。鳩山もその都度、弁明し、理解を求めた。だが、状況は悪くなるばかり。そのうち鳩山のよき理解者であった井深までが「こんな大事なときに、道楽ばかりされていたのでは困る。研究所はもっと実用的なものに関心ある人にまかせなければダメだ」といいだした。これには鳩山もショックを受けた。だが、黙って引き下がるわけにはいかない。そこで「もう二、三年やらせてほしい。そうすれば必ず成果が出る」とねばってみたが、井深を飜意させることはできなかった。
 結局鳩山は研究所を離れ、常務として研究、技術全般を見ることになった。鳩山の後任には、井深とは昔馴染みで、昭和三十八年、NHK音響技研をやめ、ソニーの一員になっていた島茂雄(当時、常務、特機部門担当)をあてることにした。
 森園が帰国し、古巣の特機部門に戻ったのはその直後である。特機部門は業務用のVTRをはじめ、放送局向けのオーディオ機器、特殊用途のテープレコーダといった受注品を扱うセクションであった。ところが、森園が復帰してしばらくたったある日、井深に呼ばれた。社長室に出向くと、井深は思いがけないことを口にした。「放送局向けの機器は手間がかかって面倒だから、この際手を引くことにした。後始末はキミにまかせる」というのである。一瞬、森園は自分の耳を疑った。たしかに放送局相手の商売は苦労が多かった。仕様はきびしく規制されるし、納期はやかましい。その割に利潤は少ない。つまり、ビジネスとしてはうま味のない分野だった。だが、放送局で自社の機器を使っているという実績は、ユーザーに大きな安心感を与える。そのメリットをあっさり捨てていいのかと心配になったのである。
 しかし、井深は平気だった。それどころか「うちはコンシューマ商品にすべてを賭ける」と、自信をもっていいきる。井深がいったんいいだしたら絶対にあとに引かないことは、森園もよく知っている。それだけに黙って引き下がるしかなかった。のちの話になるが、そのために森園自身、たいへんな苦労を強いられることになるのだから皮肉であった。
 放送機器部門からの撤退というアクシデントはあったが、事業全体を見る限り、ソニーは着実に拡大基調をとっているかに見えた。VTR、電卓、カラーテレビの開発、ソニービルの建設、IBMへの技術供与と、次々に目新しい話題を世の中に提供した。しかし、その陰で盛田や吉井が資金繰りで苦労していたことも紛れもない事実であった。当然のことながらそのしわ寄せはどこかに出てくる。中研所長の交代はその反動の最初のケースだったといえる。それを契機に研究所や半導体部門の予算が大幅にカットされ、以前のように冒険ができなくなるのである。
「ソニーは目先が利きすぎた。IC(集積回路)がそのいい例です。ICの開発がうまくいかなくなると、さっさとやめてしまう。そして、自社の機器に必要なデバイスは自分たちでつくり、よそでできる標準品はつくらなくてもいいといいだしたんです。これは結果論かもしれないが、あのとき、ラジオ用やテレビ用のトランジスタを開発したように、関係者が一丸となって取り組んでいれば、ICを軌道に乗せることは不可能じゃなかった。ソニーの技術の一端をまかされていた人間として残念に思っていたんです」
 心ならずも中研所長のポストを離れざるを得なくなった鳩山の弁だ。これは、単に鳩山だけでなく、当時、半導体部門のリーダーだった研究者、技術者の誰もが感じていたことであった。
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