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正しい乙女になるために30

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:美しき道徳 夏がくると、とたんに世の中が下品になります。日焼けした肌を露出して、海や山で酒池肉林を営む人々の群。雑誌やテ
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 美しき道徳
 
 夏がくると、とたんに世の中が下品になります。日焼けした肌を露出して、海や山で酒池肉林を営む人々の群。雑誌やテレビはこぞって「夏のアバンチュール」をあおり、「開放的な夏休み」は汗と欲望の渦巻く猥雑なエロチシズムで満たされます。嗚呼、なんとはしたないことでしょう。夏休みはクーラーの効いた部屋で、毎日読書にいそしんでおればよいのです。四十日もあれば、プルーストの『失われた時を求めて』を読破出来ることでしょう。
 乙女とは道徳的でなければなりません。不道徳な誘惑のはびこる夏に外出するなど、もってのほか。ここでいう道徳とは、「空き缶を道に捨てない」とか「お年寄りをイジメない」といった類のものではありません。辞書によれば道徳とは、「法律など外的な規約ではない、個人の内的な規範」。つまり、「海水浴に誘われちゃったぁ。変なことされちゃうかなぁ。されてもいいなぁ。……でも、もったいないし、やめとこー」とお高くとまる吝嗇の精神のことです。他者からの自堕落な誘惑を自己の美意識によって排するストイシズム──道徳とは、つまり、スタイリッシュな自己愛なのです。
 不道徳の示す誘惑は、常に現実の快楽を提供します。そして道徳が夢みるものは、非現実的な観念の快楽です。実存である僕達が観念を追求すれば、重力磁場の抵抗を受けます。故に道徳の求道は受難を伴い、「我慢」というものが必要になってまいります。しかし、この「我慢」こそが、道徳のマゾヒスティックなエロスの正体。「自由」や「平等」が何になりましょう。相対性から耽美は生まれません。私が私を愛する為には、抑制という装置を使い、サディストな自己とマゾヒストな自己を分裂させなければならないのです。
 クラシカルな思想は、無意味が故に最高の道徳=責め道具となります。「夕方六時には帰宅しなければならない」「髪はみつあみにしなければならない」。タブーとは破る為にあるといいますが、破ってしまえば不粋というもの。自分でも半ばノイローゼになりながら、「何でこんなこと守らなきゃいけないんだろう」と嘆きつつ、強迫観念的に守ってしまう道徳の悲劇的な美しさは、フィクションの聖なるアラベスク模様であり、DNAに対するラディカルなレジスタンスでもあります。僕達は道徳を尊重し、立派なナルシストにならなくてはなりません。とりあえず、これを読んだ乙女な貴方には、今年の海水浴を禁止することにいたします(違反者はビンタ)。
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