沖縄返還 闘争回避へ方針転換
7月31日 16時55分
沖沖縄返還を実現した佐藤総理大臣は、当初返還交渉に慎重だったものの、1970年の日米安保条約の改定前に沖縄返還を進めなければ1960年の安保闘争のような事態を招きかねないとする外務省の進言もあって、早期の交渉合意に方針を転換していたことが明かになりました。
外務省がきょう公開した外交文書によりますと、1967年3月当時、佐藤総理大臣は沖縄返還について、「セイジ活動の制限に反対する教職員らがボウドウを起こしたことに触れながら、いま返還となれば、このようなものまで全部引き受けなければならない、ともかく簡単にはさわれない」と述べ、国内のサハ勢力の反発をおそれ、返還交渉に慎重だったことをうかがわせています。
この発言を聞いた外務省の東郷(とうごう)北米局長は失望感をあらわにし、その年の8月にみずから作成した政府の資料で、「沖縄問題の核心は安全保障上の問題であり、現状のまま推移すれば、必ずやいわゆる1970年問題と絡められる」と指摘し、1970年の日米安保条約の改定前に沖縄返還を進めなければ1960年の安保闘争のような事態を招きかねないと政府内で沖縄返還交渉の加速を進言していました。
佐藤総理大臣は、その3か月後に行なわれたアメリカのジョンソン大統領との会談で、早期に沖縄返還の時期を合意することを主張し、1969年に日米両政府は1972年の返還で合意します。
これについて、龍谷(りゅうこく)大学の中島琢磨准教授は、「佐藤総理大臣は兄にあたる岸総理大臣が1960年の安保闘争で退陣したことを間近で見ていたので、1970年の安保条約改定で同じようになりたくないと考えた。外務省幹部の後押しも受け、沖縄返還を政権基盤の安定につなげようとしたのだと思う」と話しています。