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日本人の笑い06

时间: 2018-11-04    进入日语论坛
核心提示:  口吸い  口吸えば笄《かんざし》の蝶《ちよう》ひらめいて このごろの若い諸君は、気取ってベーゼとフランス語を使うので
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  口吸い
 
 
  口吸えば笄《かんざし》の蝶《ちよう》ひらめいて
 
 このごろの若い諸君は、気取ってベーゼとフランス語を使うので、接吻とか口づけなどは、古典語になりかけている。あいびきがランデブーになり、今ではデートというようになったようなものだ。
 接吻というのは、もちろん翻訳語であるが、いつごろから一般に使い出したものか、どうもよくわからない。ノートをとっておかなかったので、作品の名前を忘れてしまったが、たしか明治三十年前後の森鴎外《もりおうがい》の作で、「親嘴《しんし》」という訳語を使っているところを見ると、そのころはまだ接吻は一般化していなかったにちがいない。
 どうもキスかベーゼの訳に「親嘴」はおかしい。クチバシを親しくするでは、小鳥籠のトマリ木の文鳥《ぶんちよう》みたいである。
 しかしこれは、鴎外先生の訳語ではない。中国人と英人ロブシャイドが協力して、慶応《けいおう》二年(一八六六)から明治二年(一八六九)までの四年間で完成した『英華宝典《えいかほうてん》』に、キスの訳が「親嘴」と「啜面《てつめん》」と、二つついているから、鴎外先生はこの訳語を拝借されたのにちがいない。
 というようなわけで、接吻というコトバが一般化したのは、比較的あたらしいことなのだが、いろいろ調べてみると、オランダ語の訳語としてこの世に生《せい》をうけたのは、今から百七十年ほど前の文化十三年(一八一六)といえば、まだ『浮世風呂《うきよぶろ》』の式亭三馬《しきていさんば》や『東海道中|膝栗毛《ひざくりげ》』の十返舎一九《じつぺんしやいつく》が活躍していた、江戸|戯作《げさく》の全盛期のことである。ご存じのように、幕末から明治にかけて英語文化がはいって来るまでは、オランダ文化であった。早くも二百余年前の安永《あんえい》三年に、杉田玄白《すぎたげんぱく》や前野良沢《まえのりようたく》らによって出版されたオランダ解剖《かいぼう》書の翻訳『解体新書《かいたいしんしよ》』には、今なお使っている「処女膜《しよじよまく》」をはじめ、「神経」、「淋巴腺《りんぱせん》」などいう訳語があらわれている。それから四十二年後の文化十三年に、『ズーフ・ハルマ』という蘭日《らんにち》辞典が、長崎《ながさき》のオランダ商館長ヘンドリック・ズーフの手によって完成した。
 その辞典のキスの訳語に、「接吻」とあるのが最初である。それからまた、幕末の文久二年に成立した、薩摩《さつま》の侍が訳したので普通に「薩摩辞典」といわれている英和辞典にも、『ズーフ・ハルマ』を参考にしたとみえて、キスに接吻の訳語をあてている。しかし、ごく少数の語学者だけが、これらの辞典を利用したので、なかなか一般化しなかったのであろう。
 おもしろいのは『ズーフ・ハルマ』の接吻の訳語の横に、「あまくちトモイウ」と注がしてあることである。たぶん、長崎地方の方言だと思うが、甘口とはよくいったものだ。もっとも、あと口のわるい辛口《からくち》もあるにはあるが、これなどは方言とはいいながら、なかなかの傑作《けつさく》である。
 方言はさておいて、接吻とか親嘴とか口づけとかいい出す以前、一般になんといったかといえば、「口吸う」と「口口《くちくち》」である。どうも両方ともソノモノズバリで恐れいったしだいだが、事実なのだから仕方がない。さらにまた、口と口だから、呂《ろ》字ともいったのは、江戸も後期のことであり、遊里《ゆうり》では、江戸以来「おさしみ」といっている。中でも、「口吸う」が古くて一般的であった。すでに、平安時代からいいはじめている。『源氏物語』などのエレガントな貴族文学には、そういうコトバや場面は出てこないが、武家や庶民の生活を取りあげた、羅生門《らしようもん》で名高い『今昔《こんじやく》物語』に、こんな話がある。
 最愛の妻に死なれた男が、埋葬《まいそう》する気になれず、死体を抱いて過ごしていた。
[#この行2字下げ]日ごろをふるに、口を吸いけるに、女の口よりあやしきくさき香の出《い》で来たりけるに、すくむ心出できて、泣く泣く葬《ほうむ》りしてけり。
 接吻をポイントにした、もっとも古い文学の一つなのだが、いささかエロ・グロすぎる。
 江戸時代にはいると、接吻もけっこうじゃないかという気取らない庶民の時代であるから、俳諧《はいかい》の方でも早くから「口吸う」を恋の詞《ことば》として扱っている。もと俳諧師《はいかいし》であった西鶴の『好色五人女』巻四は、八百屋《やおや》お七《しち》の物語であるが、仲をせかれた恋人の吉三郎《きちさぶろう》が、お七のうちへ野菜売りに変装して、デートに行くという場面がある。その宵は雪が降りやまないので、お七の親がそれともしらずあわれんで、土間の片すみにとまらせることになった。夜がふけて冷えこんでくると、お七もまた、それとしらず、
 ——さっきの子はどうしました。せめて湯でも飲ましておやり。
と、下女にいいつけると、下男《げなん》の久七《きゆうしち》が心得て、茶碗《ちやわん》に湯をくんで吉三郎にやったが、暗いのをさいわいに前髪などなぶり、はては足をさすってみて、
 ——きどくにアカギレを切らしておらぬ。これなら口をすこし……。
と口をよせたが、
 ——いやいや、ネギやニンニクを食った口かもしれぬ。
と思いなおす、という場面である。めずらしい男色の接吻シーンである。
 日本文学の中でもっとも美しい接吻シーンは、古今を通じて、人情本の為永春水《ためながしゆんすい》の右に出るものはない。
 小梅《こうめ》の百姓家の離れをかりて、出《で》養生している丹次郎《たんじろう》のところへ、その年十七の深川芸者|米八《よねはち》が、見舞いがてらデートにやってくる。いろいろとやりとりがあって後、丹次郎が引きよせて口を吸おうとする。
 アレサ、マア私もお茶をのむわね、と丹次郎の飲みかけし茶をとって、さもうれしそうにのみ、また茶をついで、二口《ふたくち》三口のみ、歯をならして|くくみ《ヽヽヽ》し茶を縁がわより庭へはき出し、軒端の梅の莟《つぼみ》をちょいと三つばかりもぎりてかみながら、すこし離れて丹次郎のそばに寝ころぶ。
 お七のうちの下男でさえも、ネギやニンニクを食った口かもしれぬ、と二の足をふんでいるのに、現代のヤングたちは、彼女がいまさっき餃子《ぎようざ》を食ったかもしれないのに、やにわにむしゃぶりつくのが情熱的だと思いこんでいる。それにくらべると、この十七の米八のふるまいは、清潔でしかも色気たっぷり、永井荷風《ながいかふう》先生が絶賛したのもむりはない。
 しかし小説とちがって、五・七・五の短詩型で、接吻シーンをとらえてもっとも美しい句はといえば、俳諧・川柳を通じて、主題句にまさるものはない。江戸時代の町娘は、桃割れか結綿にゆって、黄八丈《きはちじよう》を着こみ、鹿子《かのこ》の帯などしめていたものだ。髪にはお定まりのカンザシ、この場合は銀板を切りぬいた蝶を三つ四つつないだフサがゆれているという寸法である。なにしろはじめてのことなので、大きいショックが伝わって、笄の蝶がヒラヒラときらめく、という美しい情景である。
 もっとも、「豆|盗人《ぬすびと》は雛《ひな》をねだられ」というこの句の前句といっしょに見ると、グッとユーモラスになる。豆盗人というのは、アソコの泥棒である。もちろんコッソリいただくわけにはいかないのだから、だましすかしていただいちゃったのであるが、相手はまだ子ども気のうせない十四、五のローティーンなので、お雛さまを買ってえ——とねだられ、くすぐったい顔をしているという場面である。ただし今どきは、お雛さまなんぞねだるようなあどけないローティーンはいない。へたに手を出すと、ヒモつきでゆすられる恐れがあるから用心にしくはない。
  おさしみの前に土手をばちょっとなで
 いかにもあどけない前句に対して、この方はいささか玄人《くろうと》っぽい、ヘビーデートのありさまである。接吻のことを水商売の世界で「おさしみ」といったのは、それがいかにもおさしみを二人でたべ合っているかっこうだからである。もっとも、この句は表面、板前がいよいよ刺身《さしみ》を作ろうとする直前、マナ板にすえたマグロの土手肉をちょいとなでるという、あのなにげない職業的な所作《しよさ》をよんだものなのだが、しかしそれだけでは川柳にならない。
 この土手はやっぱり、|あの《ヽヽ》土手で、前戯の前戯で、気分を出すためにちょいとなでた、というわけである。もっとも、この土手は、皇居前広場の土手で、いきなりナニするのは照れくさいので、あいた片手でもじもじと土手の春草をなでたんだ、と体験にてらしてご解釈のむきは、それでもさしつかえないというのが、川柳の本意である。
 いずれにしろ、お正月には和服姿になる恋人をお持ちのみなさんは、土佐《とさ》の高知《こうち》の坊さんではないから、遠慮なく蝶々のカンザシを買ってやって、大いにひらつかせ、かつ、トロのお刺身《さしみ》をいただかれるがよい。
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