ひとりもの店賃《たなちん》ほどは内にいず
どうもひとり者というものは、気ままで、さびしくって、愛嬌《あいきよう》のあるものだ。ただしそれは、男の場合で、年ごろの女はひとり者であろうが、ふたり者であろうが、ひとをやきもきさせるだけで、とんと愛嬌はない。昔も今も、かわいげのあるひとり者といえば、男と相場がきまったもんだ。近ごろはまた、インフレ続きで、月給より物価の方がサッサと上がってしまうから、三十すぎないとまともに結婚はできない。いよいよ、おかしく、さびしい独身貴族がふえるだろう。
昔はマンションという便利なものがなかった。といって三|間《ま》も四間もある一戸建てでは不経済かつ不用心だから、たいていは長屋に住むことになり、毎月|大家《おおや》さんに店賃《たなちん》、すなわち家賃をおさめることになる。ところが女房持ちだと、仕事に出ても一人は内におり、仕事がすむとサッサと帰って来て、またいっしょに夜業《よなべ》をはじめることになるわけだから、家賃相当に、あるいはそれ以上に利用することになる。そこへいくとひとり者は、仕事がすんでも道草をくってなかなか帰らないし、時にはまるっきり帰らない晩もあるのだから、「店賃ほどは」と同情せざるをえないわけだ。どうせ律義《りちぎ》に帰ってみたところで、
屁《へ》をひっておかしくもなしひとり者
というふうに、おもしろくもおかしくもない、たださびしいだけの境涯なのだから、雨が降って銭《ぜに》がなく、映画にも喫茶店にも飲み屋にも寄れないで帰った晩などは、
ひとり者|小腹《こばら》がたつと食わずにい
ということになるのもやむをえない。
飯《めし》なんぞも、そのつど暖かいのをいただくということは、便利な電気|釜《がま》がある今日このごろでもめんどうだから、
ひとり者こめんどうなと二升たき
ということに、どうしてもなりがちだ。
飯はまあ、それで片づくとしても、手のつけられないのは、ちょいとした|ほころび《ヽヽヽヽ》だ。
ひとり者ほころび一つ手を合わせ
アパート中で、一番人のよさそうな|かみさん《ヽヽヽヽ》か、やさしそうなOLに目をつけて、低姿勢で頼みこむ時の情けなさといったらない。
しかしまあ、そのくらいのことは、頼みこめばカタのつく世の中だが、あの方の処理だけは、ごめんどうを願うわけにはいかない。いくら吉原《よしわら》を筆頭に千住《せんじゆ》、板橋《いたばし》、新宿《しんじゆく》、品川《しながわ》という赤線のほかに、六十なん個所の青線のあった江戸時代であったとはいえ、ふところは寂しく恋人はないという状態では、いかんせんである。ましていわんや、売春禁止以後、パンマやトルコが出現したとはいえ、冒険をあえてするという勇気もなければ、銭もない善良なるひとり者は、おのずから自家発電ということになる。
ひとり者となりの娘うなされる
平安《へいあん》・鎌倉《かまくら》のころは「皮つるみ」といい、室町《むろまち》・江戸から現代にかけては「せんずり」(千摺)という自慰《じい》のわざも、いい年をしたひとり者なら、かならず妄想《もうそう》とともに行なうことになる。ことにアパートの隣室の彼女におぼしめしでもあろうものなら、一心不乱に彼女のことを思い描きながら行なうのであるから、ちょうど呪《のろ》いをかけて祈りつめているようなあんばいだ。一念通じて、隣の娘も同じ時刻にうなされているに違いない、と同情したわけだが、陰《いん》にこもって物すごいようで、なんともおかしい。
みずから慰める時は、一国一城のあるじであるから、独居もまた楽しからずやであるが、なにぶんそのほかは留守居がちであるから、いきおい恋人はあるが、デートの場所がないという友だちにねらわれることになる。
ひとり者けちな出合いにかりられる
ひとり者二階をかしてなりこまれ
|千駄ヶ谷《せんだがや》ではなかった、あとにのべる不忍《しのばず》の池の、当時のラブホテルに行く銭もないという仲間にかりられるのだから、「けちな出合い」ということになるのだが、時にはまた、友情を発揮し、見るに見かねて貸す場合もある。ところが、情けが仇《あだ》となって、彼女が妊娠したか、手に手をとって駆落ちか、はたまた心中未遂かということになって、
——もとはといえば、おまえのところで。
と、どなりこまれる仕儀とあいなったわけだ。
四、五十代のみなさんは、ジャック・レモンとシャリー・マックレーン主演の『アパートの鍵《かぎ》かします』というアメリカ映画をご記憶でしょう。さすがは現代アメリカのひとり者だけあって、留守がちなアパートの鍵を浮気な上役どもに貸して、出世の糸口をつかもうと、抜け目なく立ち回るというプロットである。当然のことながら、日本は江戸版の「長屋の鍵かします」の方が、お人よしでのんびりしているが、そこはそれ、時と所と人情はことなっても、「店賃ほどは内にいず」という、また内にいてもしようがないひとり者の境涯から発生した、似たりよったりのケースなので、なんともおかしいのである。